Nokoru momiji o nugi sutete koso yurugarure |
殘る紅葉を脱ぎ捨てゝこそゆるがるれ |
2013年11月17日日曜日
詞句窯變 ― trans haiku 008 / 風花銀次譯
2013年9月13日金曜日
小説「身代わり狂騒曲」 10 ‐ 狂乱 / 風花千里
身代わり狂騒曲 風花千里
第十章 狂乱 一 佐助はお仙が帰った後の座敷で、独り項垂れていた。 「俺は源内の抜け殻か……」 源内は殻を脱いで冥土へ向かったというのに、世間は抜け殻を後生大事に崇め奉っている。春信も、平角も、南畝も、そしてお仙も。 誰も彼もが、佐助を甦った源内として扱ってくれる。が、佐助の本性には目を背け、見ない振りをした。 「抜け殻ってえのは中身が空っぽだ。だからといって、なぜ俺の中身も空っぽだと決めつけるんでえ。俺はこうしてものを考えたり、女子に惚れたりするじゃねえか」 気がつけば、拳を握りしめていた。
2013年8月31日土曜日
2013年8月19日月曜日
小説「身代わり狂騒曲」 09 ‐ 夢 / 風花千里
身代わり狂騒曲 風花千里
第九章 夢 一 雨が絶え間なく降っている。 梅雨時の雨はただでさえ鬱陶しいが、ここ数日は、やけに蒸す。足元からふやけるような心地がして、佐助は苛々を募らせていた。 苛つくのは、気候のせいばかりではなかった。 櫺子の戸を叩く音がした。 ──また、苛つきの種が来た。 返事をするのも億劫だった。 遠雷のように嫌な予感をもたらす音がした。男が櫺子を開けたらしい。 「源内先生、お留守ですか、源内先生!」 忙しない男の声が響き、内側の戸を、がたがた揺する気配がする。 ──何ぞ、急用か。
2013年7月31日水曜日
2013年7月20日土曜日
2013年7月7日日曜日
短歌&随想「翼擴星」/ 齋藤幹夫
翼擴星 -やほよろづの星々- 齋藤幹夫昧爽の星天幕のうらがはへ流れ鵲橋の殘像
渡り鳥にも越冬の爲南方へ渡つて行く夏鳥、越冬の爲に北方から渡つて來る冬鳥とあり、その他に旅鳥・漂鳥・留鳥等、鳥の行動に應じた呼び名がある。本邦で冬鳥の白鳥は、星座の世界においては夏の鳥。銀漢の眞上にその翼を擴げ、尾の部分にあたるデネブは、ヴェガとアルタイルとで夏の大三角を形作る。 神話では說が幾つかあり、そのひとつがゼウスが白鳥に化けたもので、これまた好色漢まるだしの逸話となつてゐる。
2013年6月30日日曜日
2013年6月28日金曜日
小説「身代わり狂騒曲」 08 ‐ 扇屋 / 風花千里
身代わり狂騒曲 風花千里
第八章 扇屋 一 吉原大門は、板葺き屋根付きの平凡な冠木門だ。 門の外から中を覗くと左手に辻行燈が見える。客待ちの駕 籠 舁 きが暇そうに時間を潰していた。 時刻は六つ前。駕籠で大門を出る客はほとんどいなかった。吉原の賑わいは、これから始まるのだ。 門を潜って左には面番所、右には四郎兵衛会所が設けられ、不審者や遊女の逃亡を監視している。さらに進むと、軒先に鬼簾を掛けた引手茶屋が両側に並んでいた。 「おんや、重坊 じゃねえか。この間は、いいお客を紹介してくれて、ありがとよ」 一軒の引手茶屋の前に出ていた若い衆 が、威
2013年6月18日火曜日
ひとり兎園會 7 「ダイダラボッチ」/ 齋藤幹夫
ひとり兎園會 ―其之漆 ダイダラボッチ― 齋藤幹夫
那賀郡 。平津驛家 の西 一二里 に岡 有 り。名 を大櫛 と曰 ふ。上古 に人有 り、體極 めて長大 きに、身 は丘 壟 の上 に居 りて、蜃 を採 りて食 ふ。其 の食 へる貝 、積 聚 りて岡 と成 りき。時 の人大朽 の義 を取 りて、今大櫛 の岡 と謂 ふ。其 の大人 の踐蹟 は、長 さ三十餘步 、廣さ二十餘步 あり。尿 の穴 址 は、二十餘步許 あり。 「常陸風土記」より
2013年6月14日金曜日
俳句十句「有翅卵生」/ 風花銀次
有翅卵生 風花銀次 冷やし瓜なまなかに冷え世紀末 とざいとうざいわが謹製の兒が步く 炎天倶に戴きて父子蒸發す 秋ぞろ〴〵と筋肉から筋肉へ 句碑の句が消えつゝありて良夜かな なが〳〵と神の留守居の木蔦かな日出處 の寒の烏を見にゆかむ 花の木はまだしづかなり初舞臺 らうたしや夢見月的夢のひと 春陰の卵生の父子わらはざり
2013年5月31日金曜日
2013年5月30日木曜日
小説「身代わり狂騒曲」 07 ‐ 吉原詣 / 風花千里
身代わり狂騒曲 風花千里
第七章 吉原詣 一 とん、とん、とんとんとんとん…… 金槌を使う音が小気味よく響く。 佐助は軒先についた雨樋の修繕に取り掛かっていた。 四月も半ばになると、日によってはかなり気温が上がる。今日は朝から快晴で、午後は汗ばむほどの陽気だった。 首に巻いていた手拭いで、額に浮き出る汗を拭う。佐助は着古した薄手の着物の袖を襷がけにし、裾を尻端折 りにしていた。 裏長屋に住む男が、通りがかりに話し掛けてきた。 「ご精が出ますねえ」 「いつ壊れたんだか知らねえが、途中から樋が
2013年5月27日月曜日
小説「曼荼羅風」8 -御慶- / 齋藤幹夫
曼荼羅風 齋藤幹夫
――其之捌 御慶―― 「これをみておどろくな。それっ……切り餅だ。切り餅ってたって餅じゃあねえぞ。みろ、みろ、一分金百枚、二十五両で一包みだ。いいか、二つで五十両で、三つで……なんだかわからねえけど、ほうぼうにいれてきたんだ。それ、それ、それ……」 古典落語「御慶」より 子供の頃から、正月のぬるくまったりとした気配というか、時間の流れというか、何だか解らない雰囲気が好きではない。御節料理の、煮しめ、酢の物なんか旨いとは思わず、もっぱら伊達巻や蒲鉾ばかり口にして、漸く大人になってから、それも酒の味が解るようになって旨いと感じるようになった。 昨今では正月早早から開けている店もあるから、昔みたいに御節料理を拵えない家庭も多くあるらしいが、わが家の女房は、やれ冬至だから南瓜だ、七夕だから素麺だ、といった具合に、節句だ何だののという時にはそれなりの物を用意するので、毎年御節料理が出される。合間に拉麺やら咖哩を挟むが、三が日の食事毎に出てくる御節には飽きる。それにも増してあの正月の雰囲気には何歳 になっても慣れないから、正月の四日、今日から曼荼羅風も開けると聞いていたので、暖簾を潜ることにした。店の玄関には「千客萬来」と書かれた木札の護符の付いた注連縄が飾られていて、それを暫し眺めた後、軽やかの音を立てる引戸を開け中に入ると、大将が「いらっしゃい」に新年の挨拶を付け加えて歓迎してくれる。私が挨拶を返すのも終わらないうちに、背後より厳かな新年に似つかわしくないでかい声が聞こえて来た。 「おい、挨拶がすんだらお前もこっちに腰掛けろい。大将、こいつも一緒にこっちでな」 後ろの框には例の如く、熊さん八つぁん。 「ああ、明けましておめでとうございます」 取り敢えず挨拶をして、框の通路側に腰掛けると、熊さんは「いい、いい。堅え事は抜きだよ。まあ、よろしくな」といって私の肩をぽんぽんと二度叩いた。八つぁんは「御慶。最初は生麦酒 でいいよな。大将、こいつに出してやってくんねえ」と私の返事も聞かずに勝手に注文をしてしまった。 私の前に生麦酒のジョッキ、突出しの手羽中の甘辛煮が三本出てきた。こういうのが食べたかったのである。改めて、今年も宜しくと杯を合わせると八つぁんが口を開く。 「今夜は俺が奢るから、お前も遠慮せず、じゃんじゃんやってくれよ」 来た早早、それも新年早早、行き成り奢ると云われても、はい御馳走様、とはいかない。 「何ですか、行き成り奢るなんて」 理由を聞いてみると、八つぁんは「当たったのよ、宝籤」と云ってきた。 「ほお、そいつは凄い。失礼ですが、御幾らほど当たったんですか」 八つぁんは口の端を妙に吊上げ、私の目の前に三本の指を立てて突出す。 「さ、三億ぅ」 私は素っ頓狂な声を出して驚いたが、すかさず熊さんが口を出す。 「三千円よ」 熊さんは、情けないのか、呆れているのか、どちらとも取れる表情をしながら猪口を口に運ぶ。三千円で奢っていては、直ぐに足が出てしまうし、自分の分さえ覚束無い程の金額ではないか。それなのに、この堂堂とした態度はなんだろう。莫迦なのだろうか。 「足が出るってこたあ、百も承知よ。そんなこたあどうでもいいのよ。いいから飲め」 尚更、はい御馳走様、とはいかない。いやいやそれは一寸、と遠慮していると熊さんが、いいんだよ、遠慮せずやれ、と無責任なことを云いながら、金目鯛の煮付を突っついている。 「そうだ、遠慮は要らねえ。三億円が三千円だろうと当りは当り。俺の生涯初の高額当選だ。正月から目出度い話だろう、どうだ。こんな目出度いことを一人占めしたんじゃあ、今度は罰が当たるってもんだ。目出度さの御裾分だ。熊なんか目出度いからって、金目鯛なんか食ってやがるぜ。当ったら鯛、なんて良いこと云うなあ、昔の者 は。」 八つぁんの意味不明な説明に、熊さんが尚更に呆れた表情で、その後を引き取る。 「昔の者が聞いたら、云った覚えは無えと云うだろうけどよ、腐っても鯛、まあ、当りは当りでその通りだし、黙って馳走になっとけ。そうすりゃあ、この莫迦も納得するし」 やはり、莫迦、のようだ。 大将も笑いながら、八ツ田さんの心意気に甘えれば良いと云うので、ここは素直に御馳走になることにした。 「幸先の宜しい新年でしたねえ。重ね重ね、おめでとうございます」 「御慶」 何やら八つぁん、さっきから「ぎょけい」だかなんだかと、訳の解らないことを口にしている。普段から訳の解らないことを云っているから、いつも通りと云えばそれまでだが、それでも何だか気持が悪い。 「さっきから云っている、その『ぎょけい』というのは、一体何です」 「おめでとうと云ったら御慶だろう、普通」 さっぱり解らない。自分自身には「普通」のことでも、他人から見たらそれが「普通」なのかどうか解らないのだから「普通」と云われても困る。なのに、八つぁんに「普通」と云われても、尚更困るだけである。 「お前の普通は俺らにしてみれば、異常なんだよ、蛸八ッ。年が改まっても、莫迦は改まんねえなあ。莫迦の年輪刻んで、太くしてんじゃあねえよ」 熊さんが代弁してくれた。 「やい、この野郎。今日の目出度え席で、莫迦莫迦云ってんじゃねえよ、莫迦ッ。 ――『御慶』ってえのはよお、落語よ。富籤で千両当った男の噺よ」 八つぁんは反論しながらも「御慶」が落語から来ている事を教えてくれたが、それでも何のことだか解らない。 「『御慶』ってどんな噺ですか」 「『御慶』という噺は――」 と大将が、口を開きかけた八つぁんの差し置いて、割って入って来た。ここで割って入らないと、そのまま八つぁんが「『御慶』という噺はなあ――」などと話し出し、全く違うものにしてしまうと、懸念してのことだろう。歳 末 も押し迫った二十八日だというのに、仕事もせずにぶらぶらしている八五郎は、良い夢を見たから富籤に当たるに違いないと、それこそ夢のようなことを云いだす。呆れて離縁を迫る女房を尻目に、女房の着ている袢纏を腕ずくで脱がせて、質屋にも持って行き一分借り受け、富籤の札を買いに湯島天神へ。途中大道易者が出ていたから、梯子の上に鶴がとまる夢をみたから、鶴は千年、梯子は八 四 五 で、鶴の千八百四十五番の富籤の札を買えば千両当たるかどうか、占ってもらう。易者が云うには、梯子は下から上へと登る物だから八四五では無く五四八、鶴の千五百四十八番の札を買わなければ当たらないとのこと。云われた通り、鶴の千五百四十八番の札を買った八五郎、見事大富千両に当たってしまう。千両をそのまま貰えるのは二月末。今すぐにだと手数料二割引いた八百両になると云われるが、その銭が無いと離縁されてしまうと、八百両を持って帰る。 一包み二十五両が三十二個で八百両を見せられて、先程まで離縁を迫っていた女房も掌を反して大喜び。女房は春着が欲しい、珊瑚珠が欲しい、俺は裃が欲しい、裃には太刀が必要だなどとやりだし、早速裃脇差を買いに行くことにした。途中大家の所に行って、事の次第を話し、溜まっていた店賃を払い、祝儀まで出して喜ばれ、裃脇差も仕入れて帰って来た。大晦日になり、正月が来るのが待ちきれない八五郎は女房に手伝ってもらって裃を着て、夜が明けるのを今や遅しと待ち構える。陽が昇るや否や、早速大家のところへ年始の挨拶。裃脇差の八五郎だが、様にならず挨拶も碌に出来ない。大家に白扇を貰い、長いのは憶え切らないから短くって気の利いた挨拶、おめでとうと云われたら「御慶」お上がりくださいと云われたら「永日」と返すと教えられる。行く先々、出会う相手におめでとうと云わせては「御慶」と返し、無理矢理お上がりくださいと云わせ「永日」と返す。 そこへ向こうからやってきた知り合いの三人組に、おめでとうと云わせる。三人纏めて「御慶御慶御慶」と返すが、三人組には鶏の声にしか聞こえずに珍紛漢紛。八五郎「御慶と言ったんだ」と説明するが、三人組は「何処へ行ったんだ」と聞き違え「恵方参りに行ったんだ」 ――なんて噺なんですが、これ良かったどうぞ召し上がって下さい、と鯨の竜田揚げを出して来た。く じ ら、と洒落たようだ。 「正月から鯨とは益益縁起が良いや」 どこが「縁起が良い」のだか、八つぁんの気持は解らないが、漸く『御慶』の謎は解けた。しかし、今日は奢ると云う八つぁんに、私は「永日」と返した方がいいのではないか。 「何を下らねえこと云ってやがんだ、宝籤にも当ってもねえくせしやがって。『御慶』『永日』を使える者は、宝籤にあたった奴だけと江戸の昔から決まってやがんだよ。聞いてなかったのか、さっきの噺。上 の空から高みの見物か」 一寸だけ苛っとして、そっくりそのままお返しします、と云ったら、確かに「永日」は返して貰った、と云いながら頷いているから、二の句が継げない。そこに熊さんが口を開いた。 「ところでよ。千両たあ、今の銭勘定だと幾らぐらいになるんかな」 私も『御慶』を聴きながら、ふと湧いた疑問であった。そこにすぐさま大将が答える。 「それはですねえ――。例えば、曼荼羅風 の御品書にある湯豆腐ですが、江戸の頃の居酒屋では八文くらいだったようですので、四千文で一両ですから、曼荼羅風 のは三百円で、――えぇと、一両が十五万円になるってえと――、千両は一億五千万円になります」 「へえ、結構なもんだなあ。じゃあ、富籤が当った者は一生安泰だな。江戸の頃なんざ、今みてえに物が溢れてるってこともねえだろうからなあ。あんまし銭を使うこともねえだろう」 熊さんの言葉に、私も相槌を打つ。 「江戸時代の物価の何を対象にして、現代の物価に置き換えるかで、違ってくるから一両は幾らになるって、一概には言えないようで。これが卵だと話は変わってくるってな具合でして。今じゃあ、一パック十個入りが二百円程度で買える卵ですが、卵の価格の変動はこの五十年程変っていませんから、私も卵なんてえもんは風邪を拗らせた時くらいにしか食わせて貰えなかったくらいで、ちょいと昔の収入ではかなり高価なもんですね。江戸の頃にも高価なもんでして、一個が十文とすると、千両が八千円くらいにしかなりません。反対に江戸の町で一番高い土地代ってえのは、坪十八両くらいだったようでして、今の地面の値段で換算すると、千両がン十億円の価値になります」 「通貨収縮 、通 貨 膨 張 がごちゃ混ぜの世の中じゃないですか。今の世が安定しているのかいないのか、良いのか悪いのか判んないですが」 私の言葉に、今度は熊さんが相槌を打つ。 「しかし大将、詳しいねえ。まるで江戸時代に知り合いでもいるみてえだな」 「いえいえ、ただ好きなだけですよ熊澤さん。古典落語ってえのは、昔の暮しっ振りが見てとれなくちゃあいけませんから、自然と覚えてしまうもんでして、あれ、八ツ田さん――」 大将の目線の先を追うと、八つぁんが卓に突っ伏して寝てしまっている。 「なんだあ、この蛸八は。こいつは餓鬼ん時からこうだ。授業が始まるとすぐ寝てしまう。そんで夜が眠れねえから、毎日遅刻だ。しょうがねえなあ、じゃあ大将、勘定をしてくれ」 奢ると云った張本人が寝てしまって、熊さんが代りに払うと云う。私も財布を取り出すと、熊さんはそれを押し止めた。 「いいよ、いいよ。今日は俺が奢るよ。実は俺も宝籤で十万当った」 「お後がよろしいようで」註:文中の落語の引用部分は、興津要編『古典落語』講談社文庫に拠った。
2013年5月25日土曜日
詞句窯變 ― trans haiku 007 / 風花銀次譯
Nyoze nyotai nyonyo to yougan huki idashi |
如是女體によによと溶岩噴き出だし |
2013年5月22日水曜日
短歌&随想「熊動星」/ 齋藤幹夫
熊動星 -やほよろづの星々- 齋藤幹夫春雷に刹那けもののにほひして北辰かすかなる
人でなし、傍若無人といつた言葉は、動 ぎあり抑 人であらせられぬところの「神」の爲の言葉と思へるほど、聖書や數多ある神話の神神のやりたい放題加減には呆れるどころか、笑ひたくなるほど。特に希臘神話の全能神ゼウスの好色漢 振りは、世の男達からは感嘆の聲が擧がるかも知れぬが、女達からは輕蔑の眼差しを向けられても仕方の無い。 春の代表的な星座の小熊座とその母の大熊座も、この好 色 漢 の犧牲者。
2013年5月20日月曜日
2013年4月30日火曜日
2013年4月29日月曜日
短歌&随想「烏磔星」/ 齋藤幹夫
烏磔星 -やほよろづの星々- 齋藤幹夫櫻散り梢の先に
日本神話の八咫烏は神武東征の際に、神武天皇一行を熊野から大和へと道案内をし皇軍を勝利に導いた。その功績は現代に於いても崇められ、八咫烏を祀る八咫烏神社、熊野那智大社、賀茂御祖神社もある。また陸上自衞隊の中央情報隊、中部方面情報隊、そして日本サッカー協會のシンボルマークになつてをり、一九九七年に發見された火星と木星の小惑星には後に八咫烏と命名されるなど、希臘神話の烏とは月と鼈の違ひがある。磔 の闇夜の烏かがやきにけり
2013年4月26日金曜日
小説「身代わり狂騒曲」 06 ‐ 工房 / 風花千里
身代わり狂騒曲 風花千里
第六章 工房 一 佐助は同じ町内にある春信の工房に来ていた。 工房は二十畳ほどの広さ。彫師が一人と摺師が一人、各々専用の作業台で仕事をしている。他に若い男が三人。彫師、摺師の手伝いと雑用をこなしていた。 「ちょいと! その小袖の裾の線、流れるようにひと息で彫っておくれよ。でないと、せっかくの立ち姿が崩れてしまうんだから」 弟子に案内された作業場で、あるじの春信が職人に細かな注文をつけていた。 「わかりやした」 作業台の前に座った彫師が間髪を入れずに答えた。彫師は四十前後。小柄な男で、綿の作業着の袖を紐で襷掛けにし、頭にねじり鉢巻きの
2013年4月25日木曜日
詞句窯變 ― trans haiku 006 / 風花銀次譯
Yoru nagara hana no yama towa narinikeri |
夜ながら花の山とはなりにけり |
2013年4月22日月曜日
小説「曼荼羅風」7 -芝浜- / 齋藤幹夫
曼荼羅風 齋藤幹夫
――其之漆 芝浜 ―― 「じゃあ、おことばに甘えて、ひさしぶりに一ぱいやらせてもらおうか……おっと、そうときまりゃあ、大きなものについでもらおうじゃねえか。この湯飲みにたのまあ……おっとっとっと……なつかしいなあ、おい、お酒どの、しばらくだったなあ、よくまあ御無事で、おかわりもなく……あはははは……ああ、においをかいだだけでも千両の値打ちがあるなあ、たまらねえやどうも……だが、待てよ……」 古典落語「芝浜」より 今年も残すところ今日と明日で、曼荼羅風も今日が納めというから、自宅の大掃除の手伝いを適当にやっつけて、年末の御挨拶がてらに一杯やることにした。 先客は長卓に三人。熊さんが奥に、手前に八つぁんが坐り、その間にはこの商店街の魚屋「魚金」の御亭主の金さんこと金咲さんが坐っていた。金さんは大の酒好きなのだが魚屋という商売柄、朝早く築地なんかに行かなくてはならないから、深酒は出来ないとのことで、滅多に一緒になることがない。八百屋の八つぁんも朝早く市場に行かねばならないはずだが、この人いつも飲んだくれている。 大将とこの御三方に挨拶を申し上げ、八つぁんの左隣に腰掛ける。 「金咲さん、お久しぶりです。年内はもう御仕舞ですか」 「仕舞えじゃねえよお。こいつんちは魚屋だから大晦日もやんねえと正月用の刺身が無えだのなんだのって客が大変なことになっちまう」 金さんに聞いているのに八つぁんが応える。もう慣れたがこの人は何時もこうだ。黙ってはいられない性質なのだ。 「明日は築 地 も休みよ。開 ってたとしても行かねえけどね。ぎりぎりまで仕入れて売れ残りでもしたらそれこそだかんね。納めの今日なんか大変だったよ。普段来ねえ人らがわんさか来んのよ。俺らが行く時間は場 内 までは入られねえけど、場外なんか足の踏み場も無いかんね。だから今夜はこう、のんびりとね――」 金さんはきゅうと盃を空ける。そして〆鯖、鱸、鰤、槍烏賊の刺し盛りから鱸を摘んで、また盃をきゅうと空ける。 「それにしてもよお、金ちゃんお前 、毎日魚弄ってて、酒の肴も魚で飽きねえもんかねえ」 私も同じことを思っていたが、熊さんが代弁してくれた。 「飽きないね。魚があるからこちとらおまんまが食えんのよ。それに曼 荼 羅風 はうちから卸させて貰ってる大得意さんだよ。食わねえとね。魚に飽きてたんじゃあ、商いなんか出来っこないよ。魚様様だね」 特にこの鯖の締まり具合がなんか、とか云いながら今度は〆鯖を口にする。私も食いたくなったので、温燗と一緒に注文した。 「相すみません。金咲さんに御出しした奴で出っ切っちゃいまして。今日が納めの正月休みに入っちまいますんで、多くは絞めてなかったもんですから。鱸ならありますんで、如何です」 多少残念ではあったが、大将の御勧め通りに鱸を貰うことにした。 「鱸も旨いよ。〆鯖はこれを摘みなよ。ほら」 金さんが自分の刺し盛りの皿を私の方へ近づけた。すると、目の前を通過する皿から〆鯖を一切れ摘み、口に入れる八つぁん。 「八っ、何でお前さんが食ってんだよ。おいらはこの兄さんに差し上げたんだよ」 「いいじゃあねえか、一切れぐらい。まだ残ってんじゃねえか。けちなこと云うな。お前ん店には売るほどあんだろ。でも本当に旨えや。ほら食ってみろ。旨えぞぉ」 八つぁんは、さも自分のものを分けてやったと云わんばかりに、私に勧める。うちで売っている魚とここの〆鯖は違うよ、と八つぁんに云っている金さんに礼を云って口にすると、旨い。こういうのを「いい仕事」と云うのか知らないが、要は旨ければいいのだ。私が注文した鱸も旨い。舌の上の後味を温燗で流すと、今年も終わりかあ、なんて気持が湧いてくる。 「なんだかんだで今年も終わりよお。後は紅白を視るくれえしか残ってねえなあ」 今日の熊さんは私の心の内を見透かしているようだ。金さんがそれに応える。 「うちと八んとこは明日まであるけどな。明日は早く店仕舞いするし、おまけみたいなもんだね。うん、終わったようなもんだ。でも今年は『芝浜』に行けなかったな――」 「なんだい、そりゃあ。芝の方で魚屋の寄合でもあんのかい」 八つぁんが尋ねるが熊さんが横槍を入れる。 「金、お前、なにを寝惚けたことぉ云ってんだい。芝に浜なんか無えぞ。遠の昔に埋められているじゃねえか」 「熊ちゃんも八も物を知らないから困るねえ。落語だよ。歳 末 の、それも魚屋っていったら『芝浜』だよ。ねえ、大将」 大将は笑みを浮かべて頷いている。私もそんなことなど知らなかった。熊さんは、へえ、と感心しながら、どんな噺だと聞いてくる。 「『芝浜』って噺はね――」 金さんが語り出した。 腕は立つけど大酒飲みで、飲んでゆっくり朝寝するのが気持良いと云う魚屋の金さんは、そんな様だから朝が早い魚河岸に行かずに仕事をすっぽかすことが頻 繁 で、ここのところ暫く仕事に出ていない。歳 末 も近いのに毎日がこんな有様じゃ借金を返すどころか、歳も越せないと、確 り者の女房が、寝ている金さんを起こして無理矢理仕事に行かせた。 金さん、しょうがねえと天秤担いで河岸へ行ったけれども、まだ辺りは薄暗く問屋も軒並み閉まっている。女房が時 刻 を間違って起こしまったことに気付いた金さんは、時間を潰そうと出た芝の浜で革財布を拾う。中身は小判五十両。すぐさま長屋へ飛んで帰り女房に事の次第を告げ、仲間を呼んでのどんちゃん騒ぎ。果ては酔い潰れて寝てしまう。翌朝女房に起こされて、仕事に行け、昨日の宴会の代金はどうするんだと云われる。金さんは、昨日芝の浜で拾った金で払え、なんて云うけれど、女房に、芝の浜なんかには行っていないし、宴会だけが現 で財布を拾ったのは夢だと云われ、歳末も近いというのにとんでもないことを仕出かした、われながら情けないと改心し、ぴったりと酒を止め、生まれ変わったように働きだした。 それから三年目の大晦日、表通りに小さいながらも魚屋の店を持つことが出来た。 「借金取りの来ねえ大晦日なんて嘘みてえ」 金さんは感慨深げにそう云いながら、除夜の鐘を聞いていると、突然女房が見て貰いたいものがあると切り出す。女房が取り出したのは、三年前に金さんが芝の浜で拾った革財布。それを前にして事の経緯を話しだした。五十両拾ったのは夢と云ったが本当は現実で、金さんが酔い潰れている間に大家さんに相談したところ、ねこばばすればお縄になるからお上に届け、金さんには夢だと云った次第。この五十両は落とし主が現れず手元に下がって来て、だから此処にある。金さんは、あのまんまじゃ乞食にまで身を落としたか、手が後ろに回るところだったと、女房のこの行動に深く感謝する。女房は感謝されるとは思っておらず怒られると思っていたから、機嫌直しに酒を用意していて、久し振りに一杯飲んで、と金さんに差し出す。金さんは大いに喜び久々の酒を口にしようとするが「待てよ」と盃を上げる手を止めて――。 「よそう、また夢になるといけねえ」 「――てな話だね、大将」 「はい、お上手でした。『芝浜』は噺家によって金額が違ったり、主人公の名前が違ったりしますが、筋は変わりません。昔は、拾った金でどんちゃん騒ぎして終い、ってことも云われています。他の噺も演 る人によって変わるって云えば変わるんですが、まあ、だから落語ってものは面白いんで。三代目の三木助師匠の『芝浜』は特に有名でしてね、聴いている方に情景を浮かばせようってんで、安鶴さんや学者さんらと改作されたようですが、異を唱える御同業も少なからずいたようです。歳末の高座で多く掛けられる噺ですが、こう云う噺ですから、終わり良ければ全て良しってことで聴く方にも好かれるんですかね。さあ、これ良かったらどうぞ。残り物ですいませんが」 大将はそう云いながら小鉢を四つ、帆立の浜煮を出してきた。 「おお、こいつは嬉しいね」 金さんが早速箸を付け、旨いと一声唸ると他の者も後に続く。 「旨いねえ。魚も好いが貝も好い。魚さん、貝さん、死んでくれてありがとう」 「食っている最中に気色の悪 いこと云うじゃねえよ、この蛸八っ」 熊さんに叱られて、八つぁんときたら合掌したまま口を尖らせてむくれている。本当に「蛸」八、赤い顔した茹で蛸である。 「止しなよ、熊ちゃん。蛸に失礼だ。八はあんなに旨くない。魚屋のおいらは認めないよ」 「この俺が旨くないだとっ。食ってみねえと解んねえじゃねえか、そんなこと。おい、お前も笑ってるんじゃねえよ。不味いもんにされてんだぞ、俺が。何か云ってやれよ、仲間だろ」 私にお鉢が回って来た。この前も仲間扱いされたが、断じて違う。それに八つぁん、怒り所が違うと思うのだが、口にはしない。面倒臭いので無視して、金さんに話を振ることにした。 「金咲さんは落語がお好きなんですか」 「いいや、この噺が好きなのよ。魚屋が主人公だし、成功する話だし、人情噺で良いよね。」 「悪妻身にならず、ってやつだなあ」 八つぁん、先程のお怒りはどこへやら、もう訳の分らぬことを云っている。 「八ちゃん、違うよ。それを云うなら『悪銭身に付かず』でしょう。まあ、そんなことどうでもいいよね」 金さんの言葉は優しいが内容は冷たい。 「でね、昔ひょんなことから聴いたのが切っ掛けでね、今じゃこの噺を聴かないと、歳末って感じがしないくらい。師走になると、まあ、ばたばたするけどね、昔ながらの年の瀬ってな感じが無いよね。十二月になったらこの頃は先ずクリスマスでしょう。そんで、その次が歳末だもんね。でもこの噺を聴くとね、今年も終わりだ、年の瀬だねえって気持が戻ってくるんだよね。歳だね、どうも」 「そうだなあ、慌しいは慌しいが年の瀬っていう感じがなくなったねえ、この頃は」 「お前らはものの風情っていうもんが解ってねえんじゃねえかい」 八つぁん、豪い大逸れたことを云う。 「なにが風情だ、八公風情が。泥鰌みてえな顔をして」 熊さんまたしても私の代弁者となる。 「このぉ、人のことを蛸だの泥鰌だのと――」 「まあまあ、おこりなさんな、八ちゃん、怒りたいのは蛸や泥鰌のほうだよ。あ、そろそろ帰るかな。大将、御勘定ね」 八つぁんは納得がいかない様子で引き止めようとするが、金さんは相手にせず、皆さん良いお年をね、と云いながら店を後にした。 「お後がよろしいようで」註:文中の落語の引用部分は、興津要編『古典落語』講談社文庫に拠った。
2013年4月11日木曜日
ひとり兎園會 6 「轆轤首」/ 齋藤幹夫
ひとり兎園會 ―其之陸 轆轤首― 齋藤幹夫
七兵衞の家に一婢あり。人ろくろくびなりといへり。家人にその事を問ふに違はず。二三輩と俱に夜その家にいたる。家人かの婢の寢るのを待ちてこれを告ぐ。源藏往きて視るに、婢こゝろよく寢て覺めず。 已 に夜半を過ぐれども、未だ異なることなし。やゝありて婢の胸あたりより、僅かに氣をいだすこと、寒晨に現る口氣の如し。須臾 にしてやゝ盛にの甑煙 の如く、肩より上は見えぬばかりなり。視る者大いに怪しむ。時に桁上の欄閒を見れば、彼の婢の頭欄閒にありて睡る。その狀梟首の如し。視る者驚駭して動くおとにて、婢轉臥すれば、煙氣もまた消え失せ、頭は故 の如く、婢尚よくいねて寤 めず。就て視れども異なる所なしと。源藏虛妄を言ふものにあらず、實談なるべしとなる。 「甲子夜話」卷之八より
2013年3月31日日曜日
2013年3月30日土曜日
短歌三首「縮緬雜魚」/ 齋藤幹夫
縮緬雜魚 齋藤幹夫 海苔炙るにほひ纏ひてなまよみの甲斐性無しの屈強の彼奴 縮緬裝袖珍本の『» PDFで読む戀敵江戸彼岸櫻花辯 』 禁欲の續く眞晝に禁斷の土地に拔かれつぱなしの野蒜
2013年3月25日月曜日
小説「曼荼羅風」6 -小粒- / 齋藤幹夫
曼荼羅風 齋藤幹夫
――其之陸 小粒 ―― 友だちが、ちいさいといったら、「背がちいさけりゃあどうなんだ?」といっておやんなさい。「浅草の観音さまをみろ。わずか一寸八分でも、十八間四面という大きなお堂へはいっている。仁王さまは大きくても門番だ。太閤さまは、五尺にたりないからだでも、加藤だの、福島だのという家来がある。山椒は小つぶでもヒリリとからいぞ」とでもいったらどうだい? 古典落語「小粒」より 霜月の寒さの増す夜の通りを、曼荼羅風を目指し急ぎ足で歩いていると、前方にひょろりとした姿 の男が操り人形のような動きで此方に向かってきている。 「おう、お前も今からか」 見覚えがあると思ったが、やはり八つぁんである。相変わらず声がでかい。 「ああ、八つ田さん今晩は。其方も今からですか。今夜は遅い御出勤で」 普段は坐っている所ばかりしか知らないから気が付かなかったが、こうして面と向き合うと一七三糎の私が少し見上げる形となる。八つぁんは声もでかいが、身長もなかなかでかい。 「一寸会議やってて遅くなっちまった」 八つぁんの口から「会議」と来た。 「会議も会議よ。これから年末年始にかけちゃあ毎年のことながら野菜の値段が高くなるだろう。八百屋には辛え季節よ。その時期には別の物も扱って少しでも補おうってんで、クリスマスの玄関飾りから正月のお飾りやら売るんだがな、それでもどうもってやつよ。さて今年はどうするって嬶と会議をしてた。嬶と二人、無え知恵絞っても、元々無えから何も出て来ねえ。そして俺が代りに出て来た」 途中で厭になって打っ棄ったに違いない。それにしてもクリスマス・リースまでとは。 「そんな名前は知らねえが、それだろうな。今度倅を呼んで嬶と二人で会議をやれってことで今日のところは一応の鳧はつけて――」 店の前で立ち話もなんですから中に入りませんかと話を遮った。なにせ八つぁん、引手に指を掛けたまま話し続けるから、開けようにも開けられない。私に即されて中に入った八つぁんの後に続くと、框に熊さんが連れと二人で卓を挟んでいた。大将の「いらっしゃい」に掌を見せて応えた八つぁんは躊躇も無く熊さんのいる框に腰かけ、共通のお知合いなのかと思いながら長卓の方へ向かう私の襟首を引っ張り、框に腰掛けさせ、生麦酒を二つ頼む。 「よお熊。誰だい、この小せえのは。お前の隠し子か何かか」 共通のお知り合いではなかったようだ。なのに小せえだの、隠し子だのと失礼である。 「隠し子なんかじゃねえよ、蛸八。こいつぁ知合いの倅でよ、高校を中退 めちまってぶらぶらしてたから熊澤工務 店 で面倒見てんだが、二日に空けず現場で喧嘩をおっ始めるから、説教くれていたところだ」 「お前んとこの職人か、この小せえの。で、なんで説教なんかくれてんだい。下手でも打ちやがったのかい」 「説教のもと、その喧嘩のもともさっきからお前が云っているそれよ。先輩から小せえの、ちびだのと云われる度に喧嘩だよ。現場が先に進まねえったらねえのよ。それで説教だ」 確かに、不貞腐れた面で柳葉魚 を口に運んでいるこの青年、坐っていても背が低いことが判る。また、自分の気にしている、ましてや自分ではどうすることも出来ない身長のことを云われて反発したくなるのも解る。まだ若いから、とかそう云う問題ではなかろう。この歳の私でさえ気にしていることを云われれば腹も立つ。 「小せえって云われてか、へえ。で、身長はいくつあんだい、小せえの」態 とだ。八つぁん は態と云っている。青年はむっとしたまま答えもしない。 「悪 い悪い。でもよお、お前さんまだ若えし、これから伸びるかもしんねえじゃねえか。気にすんなって。小さくても箸は使える、って云うじゃねえか。人間、食えてなんぼだ。やい、お前は柳葉魚を手で食ってるな。箸使え、箸」 「云わねぇし。それを云うなら、小さくても針は呑まれぬ、だし。それに先のことなんか解んぇっすよ。今なんすよ、今云われんのがムカツクんすよ」 漸く口を開いたが、尚更御立腹のようだ。八つぁんの配慮の無さには無理もない。もう放っておいてやればいいのに八つぁんは続ける。 「おいらはこの通り小さかねえから、お前の気持なんざ解らねえが、職人の端くれなら、喧嘩すんなら仕事終わってからにしろよ」 八つぁんの云う通りだがその云い方では、はいそうですかと納得がいくはずもない。青年は益益むっとして、次の柳葉魚を手掴みで口へ運び、冷たいお茶で流し込む。 「解ってるんすけど、迷惑掛けちゃいけねえってことくらい」 この青年が尚更のこと気の毒に思えて来た。しかし、身長で人の価値が決まる訳では無いとか、身長が低くたって立派な人は大勢いるとか云ったって、下手したら嫌味に聞こえる。励ますの、慰めるのといった話は苦手である。 「大将、落語にはちびの出て来る噺はねぇのかい。こいつがよ、なんかすかっとするような痛快な噺はよ」 八つぁんが介入すると余計に話が拗れると思ってか、熊さんは大将に話を振ってみる。 「落語に、ですか。小さい者が出て来る噺はありますが、痛快無比って訳には――」 「それはどんな噺っすか」 青年の方から食い付いてきた。当人としてはそれほど気に病むことなのだろう。 「『小粒』っていう噺なんですが――」 子供、坊ちゃん、駒下駄の歯に挟まるなど背の小ささを莫迦にされている男がいた。背の大きいやつは雨が降ったら先に濡れると云い返すが、背の小さい奴はお天道さんから遠いから渇きが遅いと云い返され、大掃除の時には屈まずに縁の下に潜れる、長火鉢の抽斗の中で寝ていたとやり込められっぱなしで我慢がならない。 そこで、御隠居さんに知恵を借りて逆にやり込めてやろうと企む。御隠居さんから、観音様は、仁王様は、太閤様は加藤福島が云々と知恵を授かった小さい男、わざわざ莫迦にする男の許へ出向き早速試してみるのだが、観音様は一銭八厘でお堂は大きいが家賃は出ないだの、仁王様は自分の足にあわせた草鞋が売れない、太閤様の背は五尺に足りないから角力とりにはなれないなどと、巧くいかない。 小さい男、苦しい時の神仏頼みと柴山の仁王尊に二十一日の願を掛ければ、信心の威徳によって身の丈を三寸程伸ばしてやると夢枕に仁王尊が立った。そこで目を覚ますと布団から足が三寸ばかり出ている。これは有難いと跳ね起きてみれば、三 布 布団を横に着て寝ていた。 「てな噺なんですが、何の救いようもありはしません。ただの笑い話で。ああ、これ良かったら皆さんでどうぞ。聊か小粒ですが味はぴか一の文句無しですから」 大将、そう云いながら蒸し牡蠣を出す。 「面白え。そして旨え。本 気 、旨いっす」 小さい青年、さっきの噺でまた臍を曲げるかと思いきや、笑いながら蒸し牡蠣に早速口を付けている。 「そんなに旨いなら、俺のも食え。旨えもの食えば、厭なことも忘れるってもんだ」 熊さんが牡蠣の乗った皿を青年の前へ滑らせた時、大将が、あの、と声を掛けて来た。 「私、思ったんですが、工務店の仕事っていうのはでかい者 より小さい者のほうが、何かと便利ってなことはねえですか。ほら、どこか修繕するってえ時には、やれ狭いだの、やれ低いだのってえ厄介なもの多くございまして『入んねえよ、どっかに小せえ餓鬼いねえか。飛びっきり腕の立つ餓鬼はよお』なんて云わないまでも。ねえ熊澤さん、素人考えで相すみませんが」 「応、云われてみれば一理あんなあ」 流石大将、目の付けどころが違う。成程そうだ。マトリョーシカの箱を逆に収めようとしても無理な話。鼠捕りで象は捕らえられない。八つぁんは、かぁ、と意味不明な声を上げ、熊さんは腕組み押して頷いているが、青年は、でも高い所には手が届かないと反論する。 「踏み台があるじゃねえか。小せえやつは高え所も物を使えば何とでもなるが、でかい奴じゃあ低いとこ狭い所はどうしようもなんねえな」 「そう――、すね」 「そうよ、大が小を兼ねるなんてえもんは嘘っぱちだ。ただでかいだけのこの蛸八なんて熊澤工務 店 じゃあ糞の役にも立たねえ」 「でもつっかえ棒くらいにはなるかも」 青年、中中上手いことを云う。しかし、熊さんは苦虫を噛み潰したような顔の前で手をひらひらとさせながら云う。 「ならねえよ。じっとしていねえ。」 「なんだとこのぉ、云いたい放題じゃねえか。それに小僧、なんだい人のこと捕まえて、つっかえ棒ってのは、箆棒奴。おい、お前も何か云い返せ、仲間だろうに」 八つぁんは突然私に話を振って来たが、いつから仲間になったのだろう。仲間と云われてこんなに嬉しくないのも珍しい。話を振っておきながら、八つぁんは話を続ける。 「でも、まあいいや。俺もさっきは知らねえとは云え、小せえだのちんちくりんだの云って悪かったからなあ。これで相子だ」 「相子じゃあ無ぇっすよ。ちんちくりんって云うのが増えてるし」 「よく覚えてやがるねえ、どうも」 「敏感なんすよ。その手の言葉に」 青年はもう怒ってはいないようで、笑いながら返してくる。その時八つぁんが、ああっ、と素っ頓狂な声を出した。 「そう云えばよ、青年。お前んとこのこの老い耄れも、小せえ時は小さかったんだぜ」 当たり前である。 「そうじゃねえよ青年。お前と一緒でよぉ、ちんちくりんだったって話よ」 「誰が老い耄れのちんちくりんだ、蛸八手前。俺は標準だ。手前が無駄に出かかっただけじゃあねえか、餓鬼ん時から」 「老い耄れとちんちくりんは別っこだい。そうだったじゃねえか。騎馬戦やるときゃあ、お前はいつも上だったろう。お、俺ぁ――、一度でいいから上になってみてえと――」 「なんの話だよ。なんで泣いてやがんだい、お前。もういいや黙ってろ蛸八。――あのなあ、お前に小せえだの、ちびだの云ってるあいつだがよ、お前のこと買ってるんだぜ。俺にはよ、お前は呑みこみが早えとか、モノになるとかいつも云ってんだよ。使えねえ奴なんざ端から教えもしなけりゃ、置いときもしねえよ」 熊さんの言葉に今まで笑っていた青年は黙り込む。そしてこう云った。 「おやじ、今夜はこれで帰ります。明日も現場早いんで。御馳走様でした。」 熊さんは黙ったままひとつ頷き、八つぁんは何か云おうとしたが、大将の一言が皆まで云わせなかった。 「お後がよろしいようで」註:註:文中の落語の引用部分は、興津要編『古典落語』講談社文庫に拠った。
2013年3月22日金曜日
小説「身代わり狂騒曲」 05 ‐ 連 / 風花千里
身代わり狂騒曲 風花千里
第五章 連 一 「あー、まどろこしくて敵わねえ。何でだらだらした喋り方しかできねえんだ」 佐助は二階の文机の前で身悶えした。 「また源内さんの十八番が始まりましたね。その台詞は、何年も前から耳に胼 胝 ができるほど聞かされてます。これは私の癖なんだから、仕方ないじゃありませんか」 向かい側で、南畝が重ねた腕へ顎を載せて寛いでいた。 「歯切れが悪いってんなら黙ってりゃいいものを、ちんたらちんたら、よく喋ること。この調子で聞いてたら、あっという間に夜が明けちまわあ」 しばらく前から、漢詩や俳諧、戯作の指南を
2013年3月18日月曜日
俳句十句「急於星火」/ 風花銀次
急於星火 風花銀次 星の香のくちひげほしき夜長かな 銀漢に銀のいちもつ田之助忌 紅鶴橫死星使遁走したる後 星のうちの惑星に棲む男女 哉 讀みさしてなべて星讖の書と思ふ 星貨舖に箒が店晒しの刑 星の鬣梳く佯狂の若きかな らちもなき遊星學や春しぐれ 彗星の背姿 よき花の上 超音波檢査へ羅 睺 を見にゆかな
2013年3月15日金曜日
短歌&随想「角曖星」/ 齋藤幹夫
角曖星 -やほよろづの星々- 齋藤幹夫魔法や妖精が出て來て、血みどろや殘虐な死の描寫の無く、大人が子供に見せられる物が「ファンタジー」として大衆にも認知されてゐる向きが多いにある。反面「ダーク・ファンタジー」なんて言葉もあつたりで「ファンタジー」といふ物が至極曖昧な定義であるから、私はこの言葉が大嫌ひ。そのファンタジー物の中で、
生娘 咲 み桃や笑 くらむをとこなど角 ひとつ生 ゆいみじき獸 一角獸 は小説や漫畫、ゲエムの世界の西洋龍 や天馬 と竝び重寶され大衆の認知度も高い。
2013年3月6日水曜日
蟲雙紙 025 「拜み蟲は…」/ 風花銀次
蟲雙紙〈二十五〉 風花銀次 拜み蟲は顔よき。拜み蟲の顔をつとまもらへたるこそ、その祈ることのたふとさもおぼゆれ。ひが目しつるとふと思はるるに、一心にお命頂戴せむとかまへたる。このことは書きとどむべし。すこし年などのよろしきほどは、かやうのことを罪ふかく思はれけめ、今は心いとかろし。
2013年3月4日月曜日
ひとり兎園會 5 「蜘蛛」/ 齋藤幹夫
ひとり兎園會 ―其之伍 蜘蛛― 齋藤幹夫
文化元子年、吟味方改役西村鐵四郞、御用有レ之、駿州原宿の本陣に止宿せしが、人少にて廣き家に泊まり、夜中にふと目覺めて、牀の閒の方を見やれば、鏡の小さきごとき光あるもの見えける故、驚きて、(中畧)燈火など附けんと周章せし。右の(その)もの音に、亭主も燈火を持出て、彼の光ものを見しに、一尺あまれる 蜘 にてぞありける。打寄りて打殺し、早々外へ掃出しけるに、程なく湯どのの方にて、恐ろしきもの音せし故、かの處に至り見れば、戸を打倒して、外へ出しやうの樣子にて、貮寸四方程の蜘のからびたるありける。臥所へ出しも湯殿に殘りしも同物ならん。いかなる譯にやと語りぬ。 「耳嚢」巻之五より(文中括弧は引用者)
2013年3月2日土曜日
詞句窯變 ― trans haiku 005 / 風花銀次譯
Haru wa akebono tennyo mizukara obi o toku |
春はあけぼの天女みづから帶を解く |
2013年3月1日金曜日
短歌&随想「蟹薄星」/ 齋藤幹夫
蟹薄星 -やほよろづの星々- 齋藤幹夫かの星の
山陰の日本海で水揚げされる松葉蟹は商標のやうなもので正式和名は耀 に肖 ゆ薄冰 に沿ひひたすらによこばひの蟹楚 蟹 。 別の種類で松葉蟹の和名を持つ扇蟹科松葉蟹屬の蟹にとつては遣る瀨無さ一杯であらう。人閒樣にとつては何て呼ばれやうが賣れればいいのだから、そんなことにはとんとお構ひ無し。蟹の氣持なんざ考へてられるか、否、蟹なんぞに氣持を抱く腦味噌なんかあるものか、旨い味噌がたつぷりと詰まつてゐれば、それでいいのだ、と云はむばかり。
2013年2月28日木曜日
2013年2月27日水曜日
蟲雙紙 024 「叩き網は…」/ 風花銀次
蟲雙紙〈二十四〉 風花銀次 叩き網はのどかにやりたる。はげしきはわろく見ゆ。 捕虫網ははしらせたる。吸蜜中の蝶などを捕らへむに、ふと見やるほどもなくひらめき、そよかぜにふかれたるごとき花ばかりのこりたるこそおかしけれ。はたはたと花散らすはいとわろし。
2013年2月25日月曜日
小説「曼荼羅風」5 -もう半分- / 齋藤幹夫
曼荼羅風 齋藤幹夫
――其之伍 もう半分―― 「いやに正直だねえ…正直めッ!…… 何 でもいいようゥ、そのお金ねえ、あたしに預けておきよ、ねッ……さあ、お出しよ、こっちィ預かっとくから……ええ? いいよいいよ」古典落語「もう半分」より 今朝、出掛けに、子供は実家で晩御飯を食べさせて貰い、そのまま泊まるから、あなたは何処かで済ませて来て頂戴、と女房に云われ、きょとんとしていると、ほらまた忘れてる、今夜は今度のクラス会の打ち合わせで皆と食事をしてくると云っておいたでしょう、と来た。忘れていたのではない。端から聞いていないのだ。女房は確かに云ったのであろうが、私の方が聞いていないという意味である。そんな事を言い返せば要らぬ騒動が始まるから、ああ、とだけ答え、家を後にした。それにしても「クラス会の打ち合わせで皆と食事」とは如何なることだ。クラス会なんぞは参加者の把握と会場予約をすれば事足りるのではなかろうか。どうせ、クラス会の計画が持ち上がった時に「じゃあ、一度皆で会って、食事でもしながら打ち合わせをしましょうか。久し振りだし」ってな具合に話が進んだのに違いない。そもそも久し振りに会う場こそがクラス会であろうに。そんなことを曼荼羅風の大将と話しながら、秋刀魚の腸のほろ苦さに温燗などをやっていると、入口の引き戸の心地よい音が聞こえ、すぐさまそれを打ち消す騒々しい声が店内に侵入して来た。声の後に続いて入って来たのは熊さん八つぁんの二人組。入って来たなり熊さんが、お決まりの御挨拶(大将から聞いたところによる)をする。 「はい、こんばんは。大将、瓶麦酒ね、じゃんじゃん一本」 普段なら框の方に坐る二人だが、今夜は付場の前の長卓に、それも私を挟んで右に熊さん、左に八つぁんが腰を下ろした。なんだか厭だ。出された瓶麦酒を八つぁんが持ち、熊さんに「ほい」と傾け、熊さんは麦酒会社の商標が入ったビアタンを差し出す。八つぁんが注ぎ終わると、今度は熊さんが瓶ビールを、八つぁんに傾ける。「おっ、とととと。ほいお疲れさん」と八つぁんがビアタンを軽く持ち上げ、熊さんも、お疲れさん、と応える。これが二人に挟まれた私の顔の前で行われたのである。何だか鬱陶しい。 「今日はお二人、距離を置くように坐って。何ですか、喧嘩でもされたんですか」 「喧嘩なんかしてねえよ。熊がよ、そこに坐ったから、その奥の向こう側へわざわざ行って坐るのも面倒だから俺がここに腰掛けただけの話よ」 私は右の熊さんに聞いてみたのだが、左の八つぁんが私の後頭部に向かって答えた。 「お疲れ様でした。すんなり進みましたか、打ち合わせ」 大将が労いの言葉を熊さん八つぁんに掛ける。普段のこの時分なら、この二人組はこの店で、すでに御気分宜しくなっているのだが、たった今の御登場、それも素面だったのは、なにやら「打ち合わせ」なるものを行っていたようだ。 「すんなりは行かねえなあ。なんやらかんやらと必ず茶茶入れて来る奴がいるからよ。まあ、終わったからもういいや。大将もありがとさんで。祭の日にゃ、『曼荼羅風』って入った提灯が眩しいくらいだ」 熊さんは続けて私に「今日はよぉ――」と「打ち合わせ」とやらの詳細を教えてくれた。来月にここらの氏神様の祭があり、商店街は献灯会というものを立ち上げて献灯料を集めた。曼荼羅風も献灯料を出したようだ。献灯料は神社に寄付し、境内に社名店名の入った提灯がずらりと並ぶ献灯提灯台が設置される。その集計と報告会、祭の日の商店街の行事の打ち合わせが行われ、献灯会の会長が熊さんで、八つぁんが会計を任されているとか。 「ほんとに四の五の煩せえ奴が多いよな。だいたい打ち合わせなんか、軽くこう一杯やりながら、ちゃんちゃん、で終わらせてよ、はいお疲れさんでまた一杯ぐらいが丁度いいんだ。ごたごたと長えんだよ。茶じゃ間がもたねえし、茶茶は多いし」 女房は食事しながら打ち合わせ、八つぁんは飲みながら打ち合わせと来た。どうして「打ち合わせ」に付加価値を付けたがるのだろう。女連中はお喋り、男連中は単に飲みたいだけか。否近頃は「女子会」なんていうのもあるらしいから、一概には云えない。 「飲んじまったら蛸八、お前も喋り出すだろうが。それこそ纏まらねえよ。酒飲まねえで、お前が黙 りでいるからあの時間で終われるんじゃねえか。それはそうとよ、今夜はあんまし飲むんじゃねえぞ。大金預かってんだからな。酔うとどうなるか解らねえ」 八つぁんは献灯料の現金を風呂敷に包み、持って来ているらしい。熊さんにそう云われ、そうだそうだ、と云いながら風呂敷包みを胸に抱え込む。そしてすかさず「大将、熱燗頂戴」と云っている。解ってるんだか、解ってないんだか、解ったもんじゃない。 「本当に気を付けて、八つ田さん。まあ店に忘れて行く分には、落語の『もう半分』みたいなことはしませんので大丈夫ですが、外に出られた後ではね――。はい、お待ちどう」 大将は一合徳利と猪口を八つぁんに前に置いた。熊さんが大将に向かって「何だよ、その『もう半分』ってえのは」と訊いた。私も気になっていた。 「もう半分」という噺はですね――。 宿酔で今日はもう飲まないなんて云っておきながら、頃合いになるとついつい飲んでしまうのが酒飲みの性で、隅田川のそばの居酒屋に訪れた爺さんもその枠の内。江戸時代の居酒屋は一合ずつの計り売りなのだが、この爺さんは「これを一杯ッつ三杯飲むのを、半分ッつ六杯飲むと、それァまた…余計飲めるような心持がしましてねえ、へえ…それで、半分つつ飲むんですよ」と五勺ずつ頼む。相当酔いも回って来た爺さんは持って来た風呂敷包みを忘れて店を後に。風呂敷の中は金子五十両。居酒屋の旦那は後を追っかけて返そうとするが、そこへ身重の女房が現れて引き止め、爺さんが戻って来ても知らぬ存ぜぬで通して、猫ばばしてしまおうと企む。先の爺さん程無くして居酒屋へ戻り、風呂敷包みは無かったかと尋ねる。居酒屋の女房は、無い、知らぬの一点張りで、旦那も女房の押しに負けて、知らないとついつい云ってしまう。その金子五十両は娘が吉原へ身を売って借りてくれた金。爺さんは、その娘に「今夜ばかりは、お酒を飲まないでおくれ」と云われていたのに、飲んでしまってこの始末と己を悔いて、肩を落とし居酒屋を出て行った。一度は白を切った旦那だが、その経緯 を聞き、やっぱり猫ばばは出来ないと後を追うが一足遅く、爺さんは橋の上から身を投げてしまった。落胆しながら旦那が店へ帰ると女房が産気付き、出産。生まれた赤ん坊はすでに歯が生え揃い、白髪が生え、顔が先程の川に身を投げた爺さんそっくりで、それがぎろりと睨みつける。女房はあまりの出来事に卒倒しそのままあの世へ行ってしまった。残された旦那は女房の野辺送りを済ませ、爺さんの五十両を元に店を直し、女中を置いて、皮肉にも店を繁盛させた。赤ん坊には乳母を付けるが、どの乳母もすぐに「お暇を頂きたい」と云って来て長くは続かない。これは変だと、暇を求めて来た何人目かの乳母に辞める理由を問うと、この赤ん坊、夜な夜な床をそおっと抜け出し、行灯の油を舐め、寝ている乳母のほうをじろっと睨 め付けると云う。旦那は自分の目で確かめようと、その頃合いに赤ん坊の寝ている部屋の襖をそっと開けて覗き込む。その先には床を抜け出し行灯の油を舐める赤ん坊がいる。旦那が持っていた六尺棒で打ちつけようとした時、赤ん坊はひょいと振り向き、油皿をつき出し「もう半分ください」 「怪談ですね。怪談ですけど、志ん生師匠が演るっていいますと、ぞぞっていう背筋に虫が走ったような怖さはありませんが、味わい深いものです。今輔師匠ですと、先に笑わせておいて、後から地獄の底に引きずり込むような鬼気迫るものがありますね」 大将は話し終わり「これ、よかったら摘んでください」と軽く炙った栃尾の油揚げに刻んだ葱を乗っけて、その横に大根おろしを添えた一品を出してきた。 「こいつぁ、旨えなぁ」 「御代りが欲しいくらいですね。もう半分ぐらい」 熊さんの声に私が応えるが、いつも煩い八つぁんの声が聞こえない。様子を窺うと目を見開いたまま固まっている。こいつぁ、この手の話にゃ滅法弱くってなぁと熊さんが云う。 「大将、そりゃあ、ほんとうの話かい」 八つぁん、生唾を飲み込みながら間の抜けたことを訊く。 「落語ですよ、本当にあった話じゃありません。圓朝師匠は、怪しい物は神経病だなんて云っておったそうですが、『神経病』って云うのが当時の流行りみたいなもんだったんでしょう。ですが八つ田さん、そう気になさらずに。怖いと思えば、怖くない物まで怖い」 「でもよう、『幽霊の正体見たり旦那だな』って云うだろう。女の幽霊なら粋で別嬪の奴もいるかもしんねえが、旦那と来ちゃあ男だよ。色気も糞も無けりゃあ、怖えだけじゃねえか。それによ、俺がこの銭を失くしちまってよ、責任感じて気落ちして、身ぃ投げちまって、俺の孫かなんかに、そんなのが産まれた日にゃあ、どうすんだ。ああ、おっかねえ」 「化けて出んのはお前だ、蛸八。化け物が鏡見て驚いてるようなもんじゃねえか。それになんで身内に祟ってんだ。そもそもよ、身投げするような玉かよ。表六玉のくせしやがって。なんだ『旦那だな』ってのは。なにからなにまで間違ってるよ」 熊さん、一気呵成に叩き込むが、八つぁんには何処吹く風。臆病風のみ吹きまくる。 「厭だなぁ、今夜ひとりで便所行きたかねえなぁ。嬶について来てくれなんて云えねえし、この歳で寝小便もなぁ――。枕元に一升瓶置いとくってのも、入り切んなかったら、それこそ大 事 だ。もう半分足りません、なんてな――。――そうか、ここで出してっちまえばいいんだな。そんでもって小便の元になる酒 を飲まなきゃいい」 顔こそ此方に向けているが、八つぁんは私達に話しているのではない。どうも独り言のようである。本人は頭の中で思っているだけのつもりだが、全て口から出てしまっている。 「ちょいと便所行ってくら。そして、小便が済んだらお勘定だ。今夜はもう飲まねえ。訳は云えねえし、訊かねえでくれ。万が一の用心のためだと思ってくれ」 大将も熊さんもあんぐりと口を開けて、トイレに駆け込む八つぁんを見つめている。皆から預かった献灯料に不始末があってはならない。だから酒を飲むのも途中で切り上げて帰るとは、流石八つぁん見上げたものだと、思ったことを口に出していなければ皆がそう思ったものを、これでは台無しである。トイレから戻った八つぁんはそそくさと勘定を済ませ「ばたばたして申し訳ねえ」と風呂敷包みを確り抱えてさっさと店の外へ出て行った。 「救いようのねえ、臆病者の大莫迦だぜ」 熊さんが大きな溜息とともに呟いた。その時、曼荼羅風の引戸がからからと音を立てて開いた。そこには八つぁんが顔を覗かせていた。 「どうした。早速風呂敷を失くしちまったか」 熊さんは半ば立ち上がりながらそう云うと、八つぁんは「いや――」 「誰か一緒に帰らねえかな、と思って」 「手 前 ひとりで帰りやがれ。この表六玉がっ」 熊さんが怒鳴りつけると、八つぁんは幽かに音を立てながら引戸をゆっくりと閉め、閉まり切るまで幽霊のような恨めしそうな目付きで此方を見ていた。 「お後がよろしいようで」註:文中の落語の引用部分は、飯島友治編『古典落語 志ん生集』ちくま文庫に拠った。
2013年2月22日金曜日
小説「身代わり狂騒曲」 04 ‐ 重三郎の懸念 / 風花千里
身代わり狂騒曲 風花千里
第四章 重三郎の懸念 一 「やい、危ねえじゃねえか」 「おっと、ごめんなさいよ」 正面から来た男とぶつかりそうになり、重三郎は慌てて道の端へ避 けた。 「気をつけやがれ、すっとこどっこい!」 「すみません。ちょっと考え事をしてたもんだから」 重三郎は軽く頭を下げた。その拍子に、醤油を焦がしたような香ばしい匂いが、すん、と鼻をつく。思わず、男の提げていた岡持に目をやった。 「そこに入ってるのは、鰻か」 「そうだよ。豊島町〈伊勢屋〉の蒲焼っていやあ、この界隈じゃ有名なんだ」
2013年2月20日水曜日
蟲雙紙 023 「こころゆくもの…」/ 風花銀次
蟲雙紙〈二十三〉 風花銀次 こころゆくもの くはしくかいたる昆蟲圖譜の、蟲に影なかりける。夏山へのゆくさに、さきこぼれて、をのこどもいとおほく、蟲よくとる者の網ふりたる。しろくきよげなる捕蟲網に、いといと小さき蟲をとるべく花をすくへば、花天牛 入りたる。花天牛に、金 花 蟲 すこしまざりたる。ものよくいふ蟲屋ゐて、ひとのとりたる蟲の、種の同定したる。谷におりて飮む水。 つれづれなる折に、いとあまりめづらしうもあらぬ燈 盜蛾 の來て、世の中の物がたり、此の頃あることの、をかしきも、にくきも、あやしきも、これかれにかかりて、おぼろ
2013年2月18日月曜日
短歌&随想「船霞星」/ 齋藤幹夫
船霞星 -やほよろづの星々- 齋藤幹夫神々も挑みたりけむはるかなる沖の霞よ さらば星船
全天で最も大きい星座は海蛇座。春の代表的な星座で、獅子座の足元にその巨體をうねらせてゐる。頭を地上に見せ始めその全體が天を這ふやうになるまでには凡そ十時閒程掛る。この海蛇座が全天一位を獲得したのは今から三百六十年程前のこと。それまではアルゴ座が全天一位の座に君臨してゐた。その大きさは海蛇座の一・四五倍。 アルゴ座は希臘神話の「アルゴ號冒險譚」に由來する。ハリーハウゼンの特撮映畫『アルゴ探檢隊の大冒險』はこの神話を原作とし
2013年2月16日土曜日
詞句窯變 ― trans haiku 004 "Diecisiete haiku" / 風花銀次譯
詞句窯變「『命數』抄」 風花銀次 なんとも畏れ多いことだがホルヘ・ルイス・ボルヘスの詩集『命數』(一九八一年、邦譯未刊)に所收の俳句十七句を日本語の五七五に譯してみた。ボルヘスが「飜譯は原文の代替物とはなりえない」といつてんのは承知のうへだし、西班牙語に堪能つてわけでもないんだが、意外となんとかなつちまふもので、譯しちまつたもんはしやうがなく、あの手この手で譯したとはいへ、精確な譯などもとより望むべくもない本歌取りみたいなものだから、なんてこたあない、あたしがボルヘスの句をどう讀んだかを申し述べてゐるだけのことだね。まあ、惡しからず許されよ。 |
2013年2月14日木曜日
短歌三十首「當世鳴鳥狩」/ 齋藤幹夫
當世鳴鳥狩 齋藤幹夫 書初めに「紫色雁高我開令入給」大師流にしたため 烏帽子覆面赤袴 口語譯懸想 文賣 ねりありくらし 「當世鳴鳥 狩 」と氣取し甚六が女郞屋 にて暴 利 たくられり 助六を食 みておもふはとほき世の江戸の吉原中之町かな 梅剪 りて櫻折りたる向い家の關白亭主攝政女房 緋のハーレー・ダヴィッドソンとともにお釋迦の俗物の叔父にぞくぞく 花の定座を橫から掠む粹人は儲け無くとも賣るが喧嘩と
2013年2月13日水曜日
蟲雙紙 022 「すぎにしかた戀しきもの…」/ 風花銀次
蟲雙紙〈二十二〉 風花銀次 すぎにしかた戀しきもの 針のない時計。こはれた兜虫。蝶や蜻蛉 のうすきはね。蛇の衣のながながしきが、おしへされて文箱の底などにありける。見つけたる。 また、をりからあこがれし蟲の繪姿、雨などふりつれづれなる日、さがし出でたる。こぞのうつせみ。
2013年2月12日火曜日
2013年2月9日土曜日
ひとり兎園會 4 「幽霊」/ 齋藤幹夫
ひとり兎園會 齋藤幹夫
――其之肆 幽霊―― 一生の間さまざまのたはふれせしを、おもひ出して觀念の窓より覗けば、蓮の葉笠を着るやうなる子共の面影、腰より下は血に染て、九十五六程も立ちならび、聲のあやぎれもなくおはりよおはりよと泣ぬ。是かや聞き傳へし 孕女 なるべしと氣を留めて見しうちに、むごいかゝさまと銘々に恨み申すにぞ、扨はむかし血荒をせし親なし子かとかなし。『好色一代女』巻六「夜發の付声」より 井原西鶴 他人様の家庭の、長男坊が誰某と喧嘩して怪我をしただの、長女が誰某に赫々云われて学校に行きたくないと云っているだの、奥さんがパート先で若造の主任から口煩く云われていて辞めたいと云っているなどの情報は、わが女房の口から聞いてもうんざりするほどだから、テレヴィの「大家族云々」とかいう番組など私は一切視聴しないが、どうやら世間様では好評を博し、また一方では不評を買い、どちらにせよ視聴する者が少なからずいるようである。貧乏子沢山とは云わないまでも「子沢山ゆえの生活苦」といった内容が多いと聞くが、昔「子沢山」は、食糧確保の口減らしを理由として「間引き」が行われる要因のひとつであった。貧乏子沢山の他にも、丙午生まれの女は七人の夫を食い、丑年の次男は兄を食うという俗信や、障碍をもって生まれた、双子であった、男でなかった、女でなかった、飢餓等を理由に「子殺し」が行われていた。「間引き」 の方法には窒息、首を捻る、圧殺、餓死などがあり、川や海へ流す、埋める(野山や畑、床下や土間、便所の傍と場所は様々)などして処理したと伝わる。宮崎県米良地方には〽ねんねんころりよ おころりよ ねんねしないと 川流す、なる歌詞を持つ子守唄があり、これは間引き歌と云われる。 堕胎もまた歴史浅からぬものではなく、間引きとともに行われていた。要因にはやはり「貧乏人の子沢山」をはじめ、不義密通、母体保護等があるとされる。その方法は水銀を飲んだり、枝や根を局部に挿入したり、腹部圧迫、高所から飛び降りる等の記録が残っているようで、母体保護の観点からは首を傾げたくなるものが多く、堕胎より間引きの方が母体には安全であったと云える。先の宮崎県米良地方の子守唄には〽ねんねんころりよ おころりよ ねんねしないと 墓建てる、と続きがあり、しかしながら、基本的には墓を建てるはおろか供養すらしなかったようで、「七歳までは神のうち」「七つから大人の葬式をするもの」という諺もあり、極端に云えば人間として見做されていなかった。 妊婦が産褥で死亡した際の埋葬方法には幾種類かの方法が取られ、基本的には腹を裂き胎児を取り出したり、赤ん坊の代わりに人形を抱かせるなどして「出産」をした形を取らせる。そうしないと死してなお無念さが残り、成仏しないと考えられていたのだ。「うぶめ」はその死んだ妊婦の無念さがこの世に残ったものだと云われている。夜 発 とは辻にて客を拾う娼婦のこと(旅行代理店の店頭の「夜発バスツアー」なるチラシを見て、何だかいかがわしいものを連想するのは私だけだろうか)。井原西鶴の「夜發の付聲」では一代女が九十五、六体の「孕女」を見る。その姿は蓮の葉を笠にして被り、下半身に血が滲みた子供。「おんぶして、おんぶして」と泣くこの子らは負ぶわれたことのない堕胎された子供ら。一般(?)に「うぶめ」は下半身を血で真っ赤に染め、子を抱き、さめざめと泣いている女で、これに声をかけて来た者に「この子を抱いてやってくれ」と云ってくるとされ、一代女の見た「うぶめ」とは違うものである。この件に関しては京極夏彦氏が『姑獲鳥の夏』のなかで見事な考察をしているので引用させて貰おう。「つまりね、男が見るウブメは女、女が見るウブメは赤ん坊、そして音だけのウブメは鳥なんだよ。そしてこれらは 同 じ も の として認識されていたのだ。当然、ウブメは今どきの人が謂う幽霊とはイクォールじゃない。お産で死んだ女の無念というより、もっと広い範囲で捕らえなければ理解できないものなんだ」『姑獲鳥の夏』より 京極夏彦 間引きされた子供の幽霊なんぞは、古くから伝わるものを私は聞いたことがない(ただの無知によるものかもしれないが)。 何せ人と見做されていなかったのだから、無念さなど残る筈もない、と生きている者が思っていた結果がそこにあるとしか思えない。賽ノ河原で延々と、なる言葉もあるが、これは寺の経営手段のひとつだと思っているし、座敷わらしは間引きされた子が云々というのも今ひとつ納得がいかない。愚息が「妖怪と幽霊はどう違うのか」と聞いてきた事があり、そこで井上圓了を引き合いに出し妖怪と呼ばれるまでの経緯とか、柳田國男の定義等を持ち出して、小学生を相手に説明するには些か面倒臭い事であるし、聞かれたのが風呂に浸かっている最中であったので湯当りの原因になり兼ねないから「そんなものどちらも化け物なんだから、いちいち分ける必要ない。ただ『あな恐ろしや』『おお怖い』『ああ面白い』で済ませておけばいい。楽しければいいんだ」と云っておいた。そのうちに少しずつ教えてやろう。幽霊なんかいない、脳が作り出すまやかしだと云うことを。そのうえでいずれ酒を酌み交わしながら「怪」を語り合うのも一興かも。 栓抜きは何処にあるのか、と女房に訊けば、突っ慳貪に「食器棚の上から二番目の抽斗」だと云う。云われた通りに抽斗を開けてみるが、無い。無いから再び訊く。「無い筈はない。よく見ろ」と此方を振り向きもせず女房は答える。よく見ても「無い」のだから此処じゃないと云えば、女房は億劫そうに立ち上がり、溜息交じりに寄って来て、私をぐいと横にやり抽斗の中を覗き込むなり「ほれ」と栓抜きを目の前に突き出した。眼で見た物は脳によって処理され認識することが出来るが、見る側の記憶、精神状態や視点、あらゆる内的・外的な要因に影響され、ひとつの対象物は複数の観察者の眼に均等に、寸分違わず同一の物として映り、脳によって認識されているとは限らない。有る物が見えず、見えない物が有ると云った矛盾した認識をする場合が間々ある。こと幽霊なんぞに関してはそんなものだ、と私は思う。死ねば全てが終わり全て無くなり、残るのは屍と遺品と生きている側の感情のみ。死んだ者には無念や、恨み悲しみといった感情など無い。その様な感情を抱くのは生きている者。幽霊を見るのも須く生きている者であり、生きている者の脳が幽霊を作り出し、見せる。幽霊同士がお互いを認識し、「お先に出させて貰います」「この度は成仏することが出来まして、その節は色々とお世話になりました」「柳田さんの幽霊、最近見かけないけどどこか具合でも悪いのかしら」「あら井上さん、御存知なくって。成仏されたってって話よ、柳田さんの幽霊」「そう云えばここ最近顔色が悪かったですものねえ」などとやり合うことはあり得ない。 数年前父を亡くしたとき、悲しみはあったにせよ、死んだらそれで何もかも終わりという思いのある私には、それよりも死にゆく父に宿る癌細胞、己が増殖するために宿主を死へと誘い、何れは己が住処を無くすモノの不条理さに想いを駆け巡らせていた。この世に未練を残した者が幽霊となって現れるのならば、意識不明、危篤状態の最中に孫の声には反応する(最期の言葉はその孫の名前であった)のだから、父はさぞ未練があるに違いないと思い、ならば幽霊となって現れてみせよ、と心に思っていたりもした。危篤状態が三日三晩続き、皆が皆、疲労困憊の体。妹弟は体調を崩し深夜の院内のベンチに横になり仮眠をとっていた。妹弟の様子を見に行こうとしてナースステーションの前を通る。そこには父の心電図モニターが置かれ二十四時間の監視がなされていた。ナースステーションには夜勤の看護士は誰一人いなかった。先程からナースコールが引切り無しに鳴っていたので、皆出払っていたのだろう。その時父の心電図モニターが目に入った。緑色の光の線が横に真直ぐに流れている。妹弟は一先ず置いておいてすぐに病室に引き返し父の様子を見れば、人工呼吸器で息をしながら眠っている。さっきの心電図モニターは見間違いか、と首を傾げるも、取り敢えず妹弟を病室に呼び戻そうとナースステーションの前を通る。再び心電図モニターを見たが、今度は一定の振幅を繰り返す波形が左から右へ流れていた。妹弟を病室へ戻らせ、私は先程の件がどうしても気になって、ナースステーションの前で三度足を止める。心電図モニターに目をやると、波形は無く直線の緑色の線が流れ、一定の電子音が鳴っていた。急いで病室に戻ろうとした時、視界の端に何かがいた。振り向くと深夜の病院の薄暗い廊下にパジャマ姿で微笑えむ父が立っていた。やがてそれは霞のように私の前から姿を消した。病室に戻ると父の呼吸は止まっており、しかし私以外の者はその事に気がついてはいない。私が父を抱かかえたのを機に漸く気付いて慌て出し、皆が「お父さん、お父さん」と呼びかける。父は私の腕の中で、はぁ、と最期の息を吐き出し、引き取った。そのようなモノを私自身が見てしまうと、そりゃあ、三日三晩寝てないんだもの、無いものが見えたってしょうがない、と思ってしまう。 ひとり兎園會 ――其之肆 幽霊―― 閉会
2013年2月6日水曜日
蟲雙紙 021 「こころときめきするもの…」/ 風花銀次
蟲雙紙〈二十一〉 風花銀次 こころときめきするもの天牛 の材採集。かつて成蟲のとまりたるよき枝をたづねて、ひとりゆきたる。立ち枯れに日のあたりたる。落ち葉の、あつくつもりて、しめり、にほひたちたる。 材を割り、食痕をたどり、ゆかしう籠りたる幼蟲を見たる。羽化脱出後の材にても、朽木 蟋蟀 などゐて、いとをかし。橡 のしたをゆくとき、あしもとに、鐵砲蟲茸 のそびゆるも、ふとおどろかる。
2013年2月4日月曜日
詞句窯變 ― trans haiku 003 / 風花銀次譯
Syunsyou no jibun no kage to gokandan |
春宵の自分の影と御歡談 |
2013年2月2日土曜日
短歌&随想「獅歔星」/ 齋藤幹夫
獅歔星 -やほよろづの星々- 齋藤幹夫春立つを告ぐる星あれ獸園に
春告鳥は鶯。春告草は梅。春告魚は鴎に問ふまでもなく鰊。さて春告蟲は歔 欷 する拘 はれの獅子雪溪襀翅 なのか天鵞絨 吊虻 か、そもそも有るのか無いのかは銀次兄 にお願ひするとして、春告星といふものも聞いたことが無い。 春の星座の代表格は獅子座。立春の宵の口の東の空に、獲物に跳びかからむがごとく天頂を目指す雄雄しき姿を魅せる。尾の位置に輝くデネボラは、牛飼座のアルクトゥルスと處女 座のスピカで春の大
2013年1月31日木曜日
2013年1月30日水曜日
蟲雙紙 020 「にくきもの…」/ 風花銀次
蟲雙紙〈二十〉 風花銀次 にくきもの いそぐ事あるをりにきてとびまはるてふてふ。あなづりやすきてふならば、「今度」とてもやりつべけれど、さすがにうらめづらしきてふ、いとにくくむつかし。長押につととまりたる。また、とびたちて、ゆくかとおもへばおなじところにもどりたる。
2013年1月28日月曜日
小説「曼荼羅風」4 -二十四孝- / 齋藤幹夫
曼荼羅風 齋藤幹夫
――其之肆 二十四孝―― 「おっしゃりやがったねえ。 唐国 のばばあてえものは、どうしてそう食い意地がはってんだい? 鯉が食いてえ、たけのこが食いてえなんて……そんなばばあは、とてもめんどうみきれねえからしめ殺せ」古典落語「二十四孝」より 曼荼羅風に入ろうとした時に、高齢でいて矍鑠とした白頭翁と搗ち合った。白頭翁は無言で、掌をすうと差し出し先を即した。私は「お先です」と頭だけの会釈をして引戸を滑らせ中に入る。大将の「いらっしゃい」が終わらぬうちに、框を陣取っていた熊さん八つぁんがその場に直立し「こんばんは」と頭を下げてきた。私にわざわざ直立してまで挨拶をするわけがないから、どうやら私の後に続いて入って来た白頭翁に向けてのようだ。その白頭翁も大将に向かって軽く手を挙げ、熊さん八つぁんに「来とったのか」と云った。 「これは大家さん、暫くです」 この店 の大家のようだ。熊さん八つぁんとは何らかの知り合いなのだろう。私が長卓の一席に腰掛けようとした時、視界の端に熊さんと八つぁんが動いている。顔をそちらに向けると、二人とも声を出さずに口をぱくぱくさせ私に向かって手招きをしている。呼ばれるがまま框の通路側に腰掛けると「随分遅かったじゃねぇか。大将、こいつに麦酒をやってくれ」と恰も約束をしていたような口振りで世話まで焼いてくれる。白頭翁は長卓の一席に腰掛け、冷酒に甘海老と間八の刺身を頼んでいた。二人に目をやると、座卓に両肘を乗っけて肩を竦めて前屈み、おまけに正座までしている。何やら私を盾にして長卓の白頭翁から隠れているようにも見える。届いた麦酒のジョッキを持ち、乾杯の意で二人の前に差し出すと、猪口を鼻の前に掲げ、何とも小さい仕草で応える。 「何かあの大家さんとやらに、気拙いことでもあるんですか。店賃を払ってないとか、それこそ落語であるような話じゃないでしょうに」 私も自然小声となっていた。 「あれは俺らの大家じゃねぇよ。ありゃあ俺らの恩師よ。中学の時のよぉ」 熊さんはぐうっと顔を近づけて精一杯の囁き声で云った。八つぁんも頬を擦り付けんばかりに顔を近づけて囁く。二人の囁きによると、白頭翁は曼荼羅風の大家さんであると同時に熊さん八つぁんの中学時代の担任教師なのだとか。以前、八つぁんの悪餓鬼振りは聞いていたが、熊さんのほうはどうやら、かなりの乱暴者でここいら辺りを牛耳っていたようだ。そんな二人だから白頭翁には特に目を付けられて、褒められたことは一度も無いが殴られたことは数知れず。殴られてそれで終 いではなく、正座させられ延々と説教を食らうのが流れ。悪さをしている暇があるなら勉学に励めとは云わず、親孝行の一つでもしろと云い、先ずは陸積 、次は田眞兄弟と「二十四孝」の孝行譚を聞かされる。名は権藤と云うのだが、拳骨と孝行で「拳孝 」と渾名されていた。曼荼羅風には忘れた頃に顔を出し、かち合ったが最後、昔のように、流石に殴られぬはせぬが説教が始まる。聞き流しておけばと思うものの、条件反射か心 的 外 傷 か、二人とも頭を垂れてしまうのだと云う。 「さて、八つ田、熊澤。時に――」 ほら始まった、と熊さん八つぁん声を揃えて小さく云う。 「そこに一緒におられるのは、どちらかの倅かなにかか」 どうやら私のことを訊いているようだ。 「いえいえ、その、此奴 は曼 荼羅風 の常連、知り合いでして、その、まぁ、今日は珍しく三人の都合があったんで、何だか、曼 荼羅風 で待ち合わせをしておりましてね――」 熊さん、死泥 喪泥 に応えるが、嘘である。私がここの暖簾を潜ると大概二人はいるし、互いに連絡先も知らないし、待ち合わせをしているのに「何だか」はない。 「お若いの、こう云っちゃあなんだが、そこの与太者達と付き合っておるとあなたの身代が危ぶまれる。そのような暇があったら親孝行の一つでもするのが宜しい。ご出身はこの辺かな。ご両親は御健在か」 「出 は九州のほうでして、父は五年前に亡くしておりまして、母は九州でひとり暮 らしております。父の三回忌以降、帰郷もしていませんが、元気にやっているようです」 何故か矛先が私に向いている。助け舟を求めようと熊さん八つぁんに目をやると、この二人、にやにやとした笑みを浮かべて悪餓鬼の顔での知らん振り。わが身に火の粉が降りかからねば、勿怪の幸いなのだろう。いまだに説教される理由が解ったような気がした。 「それはいかん。『二十四孝』の老莱子 の話は御存知かな。知らぬか。老莱――」 「大家さんの口から『二十四孝』なんて出ると、落語の『二十四孝』そのままですね」 大将のほうが、この「拳孝先生」を遮り、助け船を出してくれた。 「落語の『二十四孝』と云うのは、どのような噺でげすか」 私は藁をも掴む思いである。言葉尻が妙な具合になったことも構いはしない。 「噺の出だしのほうは『天災』のそれと被るんですがね――」 毎日夫婦喧嘩をし、自分の母親に手をあげる乱暴者の男がある日、住まう長屋の大家から、お前のような奴には貸してはおけぬ、明け渡せと云われる。それは困ると大家に侘びを入れると、今まで通り置いてやるが、その代わり心を入れ変え親孝行をしろと云われる。しかしこの男、親孝行の仕方が解らない。そこで大家は唐の国の『二十四孝』の話をする。真冬、鯉を食べたいと云う母親のために池の氷を己が体温で溶かし、鯉を手に入れた王祥。またもや真冬、筍が食べたいと願う母親のために、竹藪に行くが何せ季節外れで筍などあろうはずもない。母親に孝を尽くすことが出来ないと天を仰いで泣いていると、突如筍が生え、手に入れることが出来た孟宗。貧しく蚊帳も吊れぬ暮らしで、母親には蚊に悩まされることなくゆっくり寝てもらおうと己が体に酒を塗って寝るが、母親はおろか自分自身も刺されることがなかった呉猛。これまた貧しい夫婦は、母親にはひもじい思いをさせまいと、自分達の食う分を回すが、母親は孫たちへ与える。夫婦は、子に代えはあるが母親に代えは無いと、わが子を生き埋めにすることにした。穴を掘っていると土中から金の釜が出て来て、以降裕福に暮らした郭巨。聞きながら、そんな話があるかといちいち反論するが、孝行の威徳を天が感ずるところと大家に諭され、天が感ぜずとも孝行をなせば大家が小遣いをくれると云うので孝行息子になることを決意。早速家に戻った男は母親に、鯉は食べたくないか、筍は要らないかと聞くが、川魚は生臭くて嫌い、筍は歯が悪くてどうもと云われ巧くいかない。ならば子供を生き埋めにすると云うが、男に子供は無いし女房には気でも違ったかと云われる始末。ならば蚊帳を吊れないのはわが家も同じと酒の用意をするが、塗るよりも腹の中に入れたほうが気が抜けないで持ちが良いだろうと呑んでしまい、自分が先に寝てしまった。翌日起きて自分の身体を見てみると、蚊に刺されてはいない。これぞ孝行の威徳を天が感ずるところだと云えば、母親が「なに云ってるんだよ。あたしが一晩中 あおいでいたんだ」 「てな噺なんですが、端折ったり、くっ付けたりして時間調整が出来るっつうんで繋ぎ噺として演 られることが多いんですが、なかなかどうして良く出来たものでしょう。この男や、福澤諭吉じゃないですが『二十四孝』ってのには、莫迦な、って話が多い訳でございますが、江戸時代の徳川さんは奨励したそうで、それを落語で揶揄 ったんですかねぇ。世の礼儀、常識なんてぇのは落語を聴いてれば身に付くなんて云われもしますから」 大将そこで話を止め、良かったらと茄子の香々を差し出した。孝行をなすと云うことか。 「確かに変梃な話ばかりではあるな、真似ようにも無理がある。王裒 の話は死後の親孝行譚だ。『孝行をしたい時分に親は無し』なる言葉も意味なさぬわな。まあ、生前にこそ孝行を、と云う意味であろうが」 拳孝先生、あっさり認めるが、そこで八つぁん余計なことを云う。 「なんでぇ、変梃りんて解っていながら、何十年も俺らに要らぬ説教くれてたのかい」 「莫迦者っ。常識外れの貴様らに、そんじょ其処らの喩話をしても、なんの効き目もあるまい。未だに己が身の丈もわからんかっ」 おそらく八つぁんは、軽はずみな物云いと行動でここまで生きてきたに違いない。 「孝行をしたい時分に親は無しと云うのは、いつの時代も云われ続けておるな。つまりは所詮全う出来ぬこと。それならばわが子を確りと育てよと云うておるのと同じ。親が確りしておらねば、子をきちんと育て上げることも出来ぬ。子が育てば即ち親は死ぬるのだ。確り育った子も然り、孝行をしたい時分に親は無し、と延々と続く」 八つぁんますます頭を垂れて、熊さんが穴埋めに入る。 「ええ、ええ、親としての心持、充分に承知しております。それはこの蛸八も同じで――」 「本当に解っておるのか知れたもんではないわ。特に八つ田は」 「な、何を仰いますやら、重々解っていますとも。だって実際親になったんだもの。そりゃあもう、子供が産まれてこのかた、いえ、今じゃ子供らは皆独立していますがね、お、俺がちゃんとしなくては子が半端になっちまうと云う心持で、その、他所様には任せておけぬが子育てと、まあ思っておりまして、しかしまあ、よく云ったものですな『子は貸せない』なんて。上手いこと突いてきやがる。そりゃあ貸せはしません、わが子だもの」 「云わぬわ。子は鎹だ。虚け者がっ」 どう転んでも説教をくらうようだ。自分から買って出ているようなもの。折角穴熊になった熊さんの苦労も水の泡である。 「大将、私はまだまだ龕箱 には入れませんな。確り育ってない「教え子」がまだここにいる。それは私の不徳のいたすところだわな」 「いやいや、落語の国じゃ、大家は親も同然って云いますし、お二方が教え子と云う子ならば、やはり親も同然でしょう。精々長生きして親孝行してもらっては如何です」 「いやはや、いつになったら孝行してくれるのやら。あと百年は生きねばなりませんな」 「ええ、まだ百年もお生きになさるおつもりで」 最早八つぁん、救いようがない。まだ解らぬかっ、と拳孝先生の説教がぶり返す。私はその場をこっそり離れ、遑 の旨を大将に告げた。 「お後が宜しいようで」註:文中の落語の引用部分は、興津要編『古典落語』講談社文庫に拠った。
2013年1月27日日曜日
小説「身代わり狂騒曲」 03 ‐ 修業の始まり / 風花千里
身代わり狂騒曲 風花千里
第三章 修業の始まり 一 佐助は目を覚まし、寝床の中で大きな伸びをした。 今朝の空気は、蕩 けるように暖かい。あまりの心地よさに、もうひと眠りしようと目を閉じかけた。 「うわっ!」 驚いて、勢いよく跳ね起きる。 視界に映ったのは、自分の長屋でも、博打仲間の溜まり場でもなかった。 「痛 ててて……」 頭が猛烈に痛む。悲鳴を上げた喉の奥が、からからに渇いていた。 寝る前の記憶を必死に辿る。 ──色男が帰った後、四人で酒を飲んだんだ
2013年1月26日土曜日
俳句十句「事後硬直」/ 風花銀次
事後硬直 風花銀次» PDFで読む祝子 川に毛のない金魚を放ちけり 嘘つぱちの艷懺悔しに萩寺へ 思惟像の胎内すでに煮凝れり 婦負郡婦中町速星冴え返る 薄明かりして人間の縫ひ目かな 月夜野驛見覺えがある知らぬひと しぐるゝや身に覺えある比丘尼橋 つちふまずあるとおもへばある春だ 猫となる瞬間の戀猫である 夏も花に硬直一代男かな
2013年1月23日水曜日
2013年1月21日月曜日
俳句十句「風まかせ」/ 風花千里
風まかせ 風花千里 白南風や水牛のごと走りたし マテ茶持つ指は微熱を帯びにけり みつ豆や葉陰に虫の影ふたつ 短夜に鳥の耳目を集めけり 逝く夏に乗じて恋をかすめとる 卵溶く音の軽さや天の川 硝子戸は彼岸の花より赤々し 更待やじくじく疼く熱の花 茸狩や何やら首がむず痒い まどろみのあはひに匂ふ酸橘かな» PDFで読む
2013年1月18日金曜日
短歌&随想「狼潤星」/ 齋藤幹夫
狼潤星 -やほよろづの星々- 齋藤幹夫風花のふいに終はりて天空に冴えわたる
シリウスは大犬座のその口元で咆哮のやうな輝きを魅せる。オリオン座のペテルギウス、小犬座のプロキオンとともに冬の大三角形を形成し、地上から見る恆星の中では二番目に明るい。名はギリシア語で「燒き焦がすもの」の意のセイリオスに由來するとされるが、私はあの靑い輝きに、天狼星の名からか、潤みを帶びた悲しげな狼の遠天狼星 の遠吠え
2013年1月16日水曜日
蟲雙紙 018 「蟲の國より…」/ 風花銀次
蟲雙紙〈十八〉 風花銀次 蟲の國よりおこせたる文に文字なし。文字なくてなんの文かと思ふらめども、されどそれはゆかしき情などつづられ、子は亡き親を偲べばよし。さて子のためにわざと淸げに卷きたる文を、いとかたく卷かむに、目をかすめ盜むものありて、やがて親にもにぬぬすびとの子のよろこびぞめきたる、いとわびしくすさまじ。
2013年1月13日日曜日
詞句窯變 ― trans haiku 002 "León de Plata" / 風花銀次譯
trans haiku "León de Plata" On strange occasions I translated haikus that Leonhard of the Argentine novelist produced. I worried whether I could translate it. However, I tried it because his haikus are attractive. Well, rather may be honkadori as ever, but... I had a good time! I named "León de Plata" from a part of our name. Incidentally, Gin(銀) is meaning silver(plata).
Ginji Kazahana
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詞句窯變「銀獅子」 風花銀次 縁あつてアルゼンチンの小説家レオンハルト氏から、彼の俳句の日本語譯を賴まれた。あたしでいいんかいな、と思ひつつ、拜見した句がなにやら好ましかつたので、身の程知らずにも引き受けた次第。まあ、飜譯つたつて相變はらず本歌取り的なあれだけどね。そんで銀次の銀とレオンハルトのレオで「銀獅子」なんて洒落てみた。 |
2013年1月11日金曜日
2013年1月9日水曜日
蟲雙紙 017 「すさまじきもの…」/ 風花銀次
蟲雙紙〈十七〉 風花銀次 すさまじきもの、夜鳴く蟬。冬の蚊。三四月の黒き紅小 灰 蝶 。粉蜱 たかりたる標本。羽化せぬ蛹、繭。やどりばちのうちつづき出できたる。蟲とらぬ蟲屋。撮影にゆきたるにバッテリー切れのカメラ。まいてめづらしき蟲あればいとすさまじ。
2013年1月5日土曜日
2013年1月4日金曜日
小説「身代わり狂騒曲」 02 ‐ 葬式 / 風花千里
身代わり狂騒曲 風花千里
第二章 葬式 一 日本橋堀江町は問屋と商店が多い町だ。 特に一丁目は団扇問屋が多く軒を連ねている。扱われる団扇は〈東 団扇〉と称され、〈花のお江戸の名物〉とも謳われていた。 重三郎は表通りの一角を折れ、路地へ入った。 路地裏に長屋が犇めき合っている。朝六つの裏通りには、棒手振りの売り声や家々からの煮炊きの匂いなど人の気配が色濃くたち込めていた。 「あそこだな」 背伸びをして路地奥を窺った。十間ほど先に人が集まっているのが見えた。 夜明け前に吉原を出て日本橋までやってきた
2013年1月3日木曜日
短歌&随想「鬼笑星」/ 齋藤幹夫
鬼笑星 -やほよろづの星々- 齋藤幹夫吉凶のいづれを暗に示さむや元日の星々のどよめき
星を觀るのに月光は邪魔者扱ひをされると聞く。 二〇一三年一月一日は更待月であり、かなり明るい。冬の澄んだ大氣の中の星は他の季節より輝きを增すと言はれるが、大晦日から元日は大氣を汚す基となるものの動きがかなり納まるからか、尚更に星の輝きが、その月光の下でも增すやうに感じられる。更待月が正中に達する頃の午前二時過ぎ、大熊
2013年1月2日水曜日
蟲雙紙 016 「おひさきなく…」/ 風花銀次
蟲雙紙〈十六〉 風花銀次 おひさきなく、まめやかに、せまき世間のみ見てゐたらん人は、いぶせくあなづらはしく思ひやられて、なほさりぬべからん人のむすめなどは、蟲をとらせ、世のありさまを俯瞰させならはさまほしう、蟲屋などにてしばしもあらせばや、とこそおぼゆれ。 蟲とりする人をば、ばかばかしうわろきことにいひおもひたる男こそ、いとにくけれ。げにそもまたさることぞかし。いとうつくしき鱗翅目をはじめつかまへ、鞘翅目、半翅目、膜翅目、雙翅目、蜻蛉 目はさらにもいはず、なれど知らざる蟲は多くこそあらめ。身近き蟲ども、山ふかくすむ蟲ども、
2013年1月1日火曜日
詞句窯變 ― trans haiku 001 / 風花銀次譯
Konoha tiru hodo no oto mote tutae keri |
木の葉散るほどの音もて傳へけり |
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