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2013年2月13日水曜日

蟲雙紙 022 「すぎにしかた戀しきもの…」/ 風花銀次

 蟲雙紙〈二十二〉      風花銀次

すぎにしかた戀しきもの 針のない時計。こはれた兜虫。蝶や蜻蛉せいれいのうすきはね。蛇の衣のながながしきが、おしへされて文箱の底などにありける。見つけたる。
また、をりからあこがれし蟲の繪姿、雨などふりつれづれなる日、さがし出でたる。こぞのうつせみ。

 針のない時計や、逆にムーブメントも文字盤もない時計の短針だけを後生大事に取ってあったり、他人にはガラクタにしか見えないものを、男てなあ、なんで集めたがるんでしょうか。
 あたしもご多分にもれずで、宝箱に、前記のようなもののほかに、栄螺の蓋や割れた桜貝、真空管、和紙で薬包のように包んだ砂鉄などを収めてました。ミシンはないがボビンならあるぜ、て感じでね。ほかにも野原や花壇で拾った蝶や蜻蛉の翅、鳥の羽なんかも大切な宝物だし、蛇の脱殻の長くて切れてないやつ、小さな日本にほん金蛇かなへびの脱殻の全身タイツみたくなってるやつ、伊勢海老の髭、蟹の第一脚(鉗脚かんきゃく、ようするに鋏ですね)、兜虫の角、玉虫の鞘翅、なんかの種子などなど、枚挙にいとまがありませんが、そんじょそこらにあるにもかかわらず蟬の脱殻てなあ鉄板の宝物でした。虫関係のものは「すぎにしかた」の五感すべてを蘇らせてくれる気がするよ。
 ところで話は変わりますが、先だって齋藤幹夫から「春告虫はるつげむし」について問われたので、答えずばなるまいね。まず「あるのかないのか」といえば、人それぞれにある、てことになるでしょうか。
 あたしの場合なら、春告虫の種は特定せずにニンフとします。ニンフてのは直翅目や半翅目、蜻蛉目など不完全変態をする昆虫の幼体で、日本語では若虫わかむしと身も蓋もないいい方をし、横文字では妖精ニンフと同じに綴る。
 草花の葉や花の上に蝗虫ばった螽斯きりぎりすなどのニンフを見かけたり、膨らんだ木の芽に椿象かめむしのニンフがしがみついてんのを見かけたりするようになると、春だなあと思う。
 まあ、立春からはずいぶんたってるけどね。そんでニンフは一年中どこにでもいて、たとえば夏なら蟬のニンフが夕方過ぎたころ地中から出てきて美しい羽化を見せてくれます。
 ちなみに昆虫の親、つまり成虫のことを、西欧ではかつてイマーゴといったんだそうです。イメージと同じような意味のラテン語ですが、精神分析用語のイマーゴと関係があるのかないのかは、知らない。
 動物行動学者の日高敏隆は蟬のニンフについて「地上には長くとどまらない。数時間もたてばニンフの殻だけ残して、『イメージ』は飛び去る」(『昆虫という世界』)なんて述べてましたが、このような好文字こうもんじも「すぎにしかた恋しきもの」のひとつといっていいだろうね。

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