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2013年3月1日金曜日

短歌&随想「蟹薄星」/ 齋藤幹夫

蟹薄星 -やほよろづの星々-   齋藤幹夫

かの星の 耀 かがやき薄冰うすらひに沿ひひたすらによこばひの蟹

 山陰の日本海で水揚げされる松葉蟹は商標のやうなもので正式和名は楚 蟹ずわいがに。 別の種類で松葉蟹の和名を持つ扇蟹科松葉蟹屬の蟹にとつては遣る瀨無さ一杯であらう。人閒樣にとつては何て呼ばれやうが賣れればいいのだから、そんなことにはとんとお構ひ無し。蟹の氣持なんざ考へてられるか、否、蟹なんぞに氣持を抱く腦味噌なんかあるものか、旨い味噌がたつぷりと詰まつてゐれば、それでいいのだ、と云はむばかり。 食ひ物としての蟹はわれら人閒樣に一目も二目も置かれてゐるが、それ以外の、例へば物語等で擬人化された蟹は、大した扱ひを受けてはゐない。御存知、民話「さるかに合戰」では握り飯を盜られるは、柿は食へぬは投げつけられるはで、散散な目に會ひ擧句に殺されてしまふ。最後は子供と義勇軍とで見事に仇討を果たすが、その後日談となる芥川龍之介の『猿蟹合戰』ではけちよんけちよんに書かれ、その家族諸共悲慘な結末を迎へ、さらに同じ歷史を繰り返へす。またアニメや漫畫では「これでいいカニ」等と妙な喋り方にさせられるか、チョキで必ず負けるのにじやんけんをしてしまふ閒の拔けた存在にされる。  希臘神話のレヌネア谷に棲む九つの頭を持つ大蛇ヒュドラと戰ふヘラクレスの十二の難行の二番目においても、その扱はれかたは悲慘なもので、心ある方は淚すら流すかもしれない。ヘラクレスと大蛇ヒュドラの對決は激鬪を呈し、ヒュドラは次第に形勢不利となる。それを陰から見てゐた化け蟹カルキノスは、わが友の危機を目にして、義憤に驅られ「助太刀致し候」と飛び出で、ヘラクレスの脚をその巨大な鋏脚で挾むが、石に灸。蟹の穴入りする暇もなくヘラクレスに「猪口才な」と薄冰うすらひのごとく踏み潰されてしまふ。否、巨大な甲羅を踏み潰されたといふよりは、踏み拔かれたとするはうが適切であらう。嗚呼痛痛し。  その勇敢な行動に感銘を受けた、かどうかは知らぬが、化け蟹カルキノスは女神ヘラによつて星座にされる。とは云つても蟹座を構成する星星の中で一番明るいアルタルフでさへ三・八等星でかなり暗く、實に目立たない星座であり、地上が明るい場所では殆ど見えない。十二星座でなければ知名度も低かつたのではないか。私なんかは、街燈も無く星星がよく見える場所で蟹座を目にしたものならば大喜びの大燥ぎとなるが、それも一瞬のこと。さういふ所に行く場合は大方泊まり掛けで、一旦旅館に入れば天空を橫這ふ蟹の事など忘れ、再び夜空を見上げる事もなく、出された蟹料理に舌鼓を打ち、上げるのは盃ばかりとなる。

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