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2013年4月11日木曜日

ひとり兎園會 6 「轆轤首」/ 齋藤幹夫

 ひとり兎園會 ―其之陸 轆轤首―                 齋藤幹夫

七兵衞の家に一婢あり。人ろくろくびなりといへり。家人にその事を問ふに違はず。二三輩と俱に夜その家にいたる。家人かの婢の寢るのを待ちてこれを告ぐ。源藏往きて視るに、婢こゝろよく寢て覺めず。すでに夜半を過ぐれども、未だ異なることなし。やゝありて婢の胸あたりより、僅かに氣をいだすこと、寒晨に現る口氣の如し。須臾しゆゆにしてやゝ盛にの甑煙そうえんの如く、肩より上は見えぬばかりなり。視る者大いに怪しむ。時に桁上の欄閒を見れば、彼の婢の頭欄閒にありて睡る。その狀梟首の如し。視る者驚駭して動くおとにて、婢轉臥すれば、煙氣もまた消え失せ、頭はもとの如く、婢尚よくいねてめず。就て視れども異なる所なしと。源藏虛妄を言ふものにあらず、實談なるべしとなる。                   「甲子夜話」卷之八より
 地方の学校卒業し、花の都の東京の会社に見事御就職。オフィス・レディと呼ばれつつ、仕事覚えは儘ならず、傍から見れば洟垂はなったれ。しかし流行はやりの服装と化粧ばかりは覚えも早く即実践の心意気。盆の休みに突入しお久し振りの帰郷さとがえり。地元に残った友人と共に昔を懐かしむ笑顔のそれは表向き、心の裏は、東京に都会生活する私、眩しいくらい輝いて、さてもファッション雑誌から抜け出して来たモデルかと、周りはきっと羨望の眼差し投げているのだと一人合点の勘違い。地元に残る友達は、服装化粧喋り方、変ったさまに驚くが、それが尚更田舎者、田舎臭さを醸し出し、垢抜けないと云えぬまま、そこは大人の社交辞令。しばし田舎を楽しんで次に会うのはお正月、明日帰るね、東京に。付けること無いの名をわざと付け足し、左様なら。帰った先は二人部屋。会社の寮の狭い部屋。次の帰郷の正月は一重瞼が二重となって、団子鼻だんごっぱながすっきりとなって来たのが祖母の葬式。玉の輿ではないけれど、なにはともあれ御結婚。目出度く赤子を授かるが、生んだ母には似ず一重、鼻は団子のお嬢様。されど父にも似ておらず、動揺するは父ばかり。妻の不貞か火遊びか、要らぬ勘繰り疑りが、 過 去 すぎきしかたを口にせぬ妻に対して湧きあがる。
 その後も、整形をした過去を一切口にしない妻に、男は尚一層疑念を深くし続け、家庭内は殺伐とした雰囲気となり、終には離婚に至ったとか。これは知人から聞いた噂話。整形した顔は無論子供に遺伝するはずもないから、有り得ぬ話ではない。
 民俗学でいうところのMutilation(身体変工)は権威・支配・年齢・性差・宗教・美・罰・通過儀礼等を目的に、施し或いは施させた。有名なところでは、欧羅巴でのコルセットを用いた体の線の変形、所謂「くびれ」を作るもの。これは中世から近世辺りまでで廃れていったが、現代に於いても医療器具や矯正下着の「コルセット」が存在している。更にはGothic & Lolita(ゴスロリ)と呼ばれる愛好家がいたり、中世風のコルセットのみを着用した女性が、鞭打ってくれたり、罵ってくれたり、足で踏み付けてくれたり、それを乞う客にサーヴィスを提供してくれる店があるらしいから、未だに根強い人気があるとかないとか。他にも、纏足・宦官・割礼・はなそぎみみきり・刺青・頭蓋変形等のファッション・刑罰・風習と現在に於いてもなお行われているもの、または廃れたものと様様。美容整形やボディビルディングは進歩し続けている身体変工といえるだろう。
 差別表現、その助長云々を叫ぶ団体や個人に配慮してか最近は見なくなったが、私の少年時代のテレヴィ番組では外国の民族の(私達から見て)「奇妙」な風習を取り上げ放送していて、その映像に少年の私の眼を釘付けにさせていた。例えば、ガラス片等を用いて肌に傷を付け、蟹足腫ケロイドを利用して瘢痕文身を為す部族や、緬甸ミャンマータイに居住する部族「カヤン族」の、俗にいう「首長族」。 後者なんかはテレヴィ番組に加え、少年雑誌にも巻頭で「現代のろくろ首! 未開の地の奇習」との見出しで特集が組まれたりもして、煽り文句の「ろくろ首」と相俟って私を虜にしたものだ。後年、首長族は肩が下がることにより首が長く見えているだけ、肩凝りが酷い、等という現実を聴いた時の焦燥感ときたら――。
 轆轤首は首長族を「ろくろ首」と喩えるように首の長い、首が伸び縮みする妖怪と周知されている。轆轤首の「ろくろ」は、上下に動く物、伸び縮みする物を指す、井戸の釣瓶を上下させる轆轤だの、傘を開閉させる部分の轆轤だのと由来がある。これから見れば首が伸び縮みする妖怪に当て嵌まるといえる。しかし陶器を作る「轆轤」という説もあり、この轆轤は回るだけで上下に移動はしない。されど出来上がった後は陶器になる部分と土台を切り離す。その実、轆轤首の原型は胴体から頭部が離れるモノのようで、私はこれが本来の轆轤首の轆轤たる所以ではないかと思っている。江戸の怪談集『曾呂利物語』や随筆『甲子夜話』、ラフカディオ・ハーンの『ROKURO-KUBI』はこ
の抜首型。
 日本に於ける轆轤首、原型の抜首型は、中国の「飛頭蛮」が由来とされ、鳥山石燕の妖怪画集『画図百鬼夜行』にも、図のほうは首が伸びる型の轆轤首にしながらも、「飛頭蛮」の表記を以って「ろくろくび」と読ませている(『画図百鬼夜行』は、『三才図会』から発した『和漢三才図会』も基にしているから致し方ないことではあるが)。この飛頭蛮は『三才図会』『南方異物誌』では身体から頭部が離れる、首長族ならぬ「首離族」とも謂うべき「落頭民」なる部族、つまり「人間」とされている。こんな部族、人間を想像すると少年の頃に観たテレヴィ番組など足元にも及ばぬくらい興奮が収まらない。この人間としての落頭民(飛頭蛮、別の書には「飛頭獠」ともあり)は、夜になると躯幹から頭部が離れ、耳を翼として飛び回り虫や蟹等の小動物を食べ、朝方には元の躯幹に戻ってくるといわれている。『ROKU
RO-KUBI』でも主人公の囘龍を食おうとしており、頭部だけで飛び回るのは食事が目的のようだ。頭部だけでものを食ったとして、果たして食ったものは何処に溜まるものやら。離れた首の断面からだだ漏れするのではなかろうか。どうせなら胴と一体となっていたほうが満腹となるのではないかと疑問も湧くが、この部族、それでも腹が満たされるというのだから、時折食事する為に体を動かすことが億劫に思える私としては、至極便利な機能でとても羨ましい。
『和漢三才図会』の「飛頭蛮ろくろくび」は抜首型として書かれている。その図に於いては、寝転がった男の胴体から離れた頭部が木の梢辺りに浮かんでいる様子が描かれていて、離れた頭部と胴体は一本のS字をなした線で繋がっている。この線は漫画の「効果線」の類と考えればいいのだろうが、これを本邦では「首」と捉え、首が伸び縮みする轆轤首を作り出した所以とされている。余談だが、轆轤首は葛飾北斎にしても鳥山石燕にしても女として描かれていて、一般的にも女の妖怪と周知されている。だが『和漢三才図会』の「飛頭蛮ろくろくび」は中年太りの親父で、これは頂けない。無論、一部族としての描かれているのだから、老若男女を問うてはならないのだろうが、それでも、である。やはり轆轤首は毛利郁子が演じた大映の『妖怪百物語(1968)』『妖怪大戦争(1968)』あたりの艶っぽさが無くてはならない。だれが親父の項尻うなじなど見たいものか。
 若い時分、知人のエスニック料理屋でカウンターに立ち、バーテンダー擬きをしていたことがある。通りに面した外層は硝子張りで、往来の人々、店のメニューを掲げたA型看板を見ながら入るかどうか話し合っているカップルなどが丸見えであった。ある日、ラストオーダーの時間も過ぎた閉店間近の頃、A型看板を見つめている男がいる。今から店に入られても「そろそろ看板なので」と断わらねばならない、と思いながら私はその男を見ていた。しかし何か違和感がある。それが何なのか解らない私は、男を暫く見続けた。漸く解った途端、私は全身から血の気が引き、カウンターの陰に身を伏せた。その男と目を合わせていけないように思ったからである。違和感の元は、その男が「生首」で飛頭蛮そのものであったからだ。頭部だけがぽっかりと宙に浮き、看板を見下ろしている。カウンターに身を隠しながら私は考えた。入って来るのか来ないのか、そもそもは財布を持ってきているのか、勘定は出来るのか、首だけで来やがって、と。

         ひとり兎園會 ――其之陸 轆轤首―― 閉會

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