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2013年6月18日火曜日

ひとり兎園會 7 「ダイダラボッチ」/ 齋藤幹夫

 ひとり兎園會 ―其之漆 ダイダラボッチ―                 齋藤幹夫

那賀郡なかのこほり平津驛家ひらつのうまや西にし一二をかり。大櫛おほくしふ。上古いにしへ人有ひとあり、體極かたちきはめて長大おほきに、うへりて、はまぐりりてくらふ。くらへるかひりてをかりき。とき人大朽ひとおほくちこころりて、今大櫛いまおほくしをかふ。大人おほひと踐蹟あとどころは、ながさ三十餘步ぶあまり、廣さ二十餘步ぶあまりあり。尿いまりは、二十餘步許ぶあまりばかりあり。                     「常陸風土記」より
 巨大物恐怖症、Megalophobiaなるものがあるらしい。疾病の不安
障害で正式に確定されているものかどうかは知らないが、世の中には、奈良や鎌倉の大仏を初め、巨大な構造物、船や橋梁やビル、果ては遊園地の観覧車にまで恐怖心を抱く者がいるらしい。東海道線の大船駅に近付くと、小高い山の向こうから巨大な白い顔が抜きんで出ている。何あろう「大船観音像」である。私がこれを初めて見た時には肝を冷やした。されど私が巨大物恐怖症と云う訳ではない。日常から乖離した風景、山よりも高い人型の白きモノの突然の出現に恐怖を覚えたのみで、二度目以降、大船観音像の出現は大船駅の目印でしかない。ましてや未だ嘗て巨大な建造物に恐怖心など抱いたこともないし、そんなモノにいちいち恐怖心を抱いていたら、江戸時代じゃあるまいし今の世の中、外も歩けない。その恐怖症をお持ちだというお方も、常日頃の見慣れていない場所、その人にとって日常から乖離した風景の中に巨大物を認めた時のみ湧き起こる恐怖心なのではないか。中には重症の方もおられるかも知れないし、引籠りの言い訳の方もおられるかも知れないから、一概には言えないが。現実世界ではなく、空想の産物の巨大生物にこそ私は恐怖する。その根底にあるのは怪獣王ゴジラ。ゴジラ映画こそがその切掛けであり、今尚夢に見て魘されることも屡屡。勿論リアルタイムで観たのではなく、父に連れられて行ったリヴァイヴァル上映で、幼少期に劇場と云う薄暗がりの非現実的空間に、非現実の映像をこの目に焼き付けられたのが、巨大なる空想の生物に対して畏怖の念を抱くようになったのだろうと考える。以来『ジャックと豆の木』から始まり、希臘神話、記紀、『ガルガンチュア物語』『ガリヴァー旅行記』等等の書物中の巨人達と遭遇しては、戦慄と恐怖、そして心躍る体験を貪った。

 頭上の窓から火が吹き出ているにもかかわらず、デパートの入口にうずくまって動かない親子がいる。
 両わきに、しっかりと三人の子供を抱えて、降りそそぐ火の粉の中に、祈るようにつぶやく母親。
「お父ちゃまの所へゆくのよ、ね、もうすぐお父ちゃまの所へゆくのよ……」
 交叉点に立って、ぐっと上体を起こしたゴジラは、眼光鋭くあたりを見廻した。
                 『ゴジラ』(香山滋)より


 昭和29年(1954年)に『ゴジラ』が公開されて以来そのシリーズ
は、平成16年(2004年)『ゴジラ FINAL WARS』まで28作品を数
える。初登場時の身長は50米で、昭和59年版『ゴジラ』以降、 80米
になったり100米になったり、その後55米、60米、また100米になっ
たり、やけに身長に拘ったりしているが、私に「巨大怪獣」を感じさせてくれたのは第4作の『モスラ対ゴジラ』('64)までで、それ以降の作品、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』('01)を例外として、その巨大さを感じさせるものはなかった。シリーズでないが『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(’07)の冒頭のゴジラ登場シーンは本作を凌ぐ迫力があったことを付け加えておく。最近の巨大生物を扱った映画では 『トロール・ハンター』('10)が私を満足させた至極の一品であった。トロールとは諾威ノルウェーに伝承される毛むくじゃらの巨人。日本でなら「ダイダラボッチ」と言ったところか。
 ダイダラボッチは日本各地で伝承されていて「羽黒山に腰掛けて鬼怒川で足を洗った」 とか 「富士山はダイダラボッチが土を盛って作った。その土を掘った跡が琵琶湖」などと様様で、いずれにせよ伝承の突拍子もない内容には目も眩むほど。余談だが、富士山の体積が1400万立方粁で琵琶湖の容積は27.5万立方粁だから全く辻褄が合わない、なんて検証をなさっている奇特な御仁がおられ、拍手喝采を送りたいほど(興味のあるかたは「ちず夫の窓」で検索されたし)。『常陸風土記』にもダイダラボッチと思しき「大人おおひと」の記述があり、その足跡の長さは、本邦の尺貫法の1=約1.818米換算で約75.72米。幅は約36.36米、小便で出来た穴の直径は約36.36米と記述があり、『播磨國風土記』にも「大人」の記述が見られる。
 諾威には「トロール注意」の道路標識が掲げられているようで、何とも洒落っ気のある役人のいることか、と感服する。本邦では狸や猪、鹿や猿のイラストの「動物注意」の標識が見られるが「ダイダラボッチ注意」の標識は見られない。感嘆符「!」の標識は「その他の危険」を意味する警戒標識。その下に補助標識にて「路肩弱し」だのと「その他」の部分が何なのかを説明している物があり、中には「!」のみの場合もある。これは、例えば採石場に近い道路でダンプや重機の出入りがある場合などを警戒させているのだが、世の中には「幽霊注意」の標識だと信じ込んでいる者が少なからずいるらしい。先日、居酒屋で飲んでいた時に、カウンターの右隣にいた一組の男女がそんな話題をしていたから「いやいや、幽霊注意ばかりではないですよ。長野県の飯綱高原のその標識は『ダイダラボッチに注意』らしいです。なんでも飯綱山の向こうにダイダラボッチ、と言うか、何やら巨人らしきモノが見えて、それに驚いてか時折事故が発生するとかで」と言っておいた。隣に座る男は「へえ!」と驚き、女は「怖ぁい」と恐ろしく顔を歪めていた。私は飯綱高原に「!」の警戒標識があるのかは知らない。行ったことがないのだから。
 ダイダラボッチが富士山や琵琶湖、淡路島を作ったとされるのは、そこには国造りの神への信仰心が少なからず含まれていると思われる。神=大いなるもの、それが具現化されて、且つ信仰心が薄れるとともに、擬人化され巨人伝説を生みだしたのかも知れない。世界の神話に共通し出て来る巨人は、恐怖から始まって畏怖となり、やがて憧憬に転ずる小さき人間の心根から生まれた空想の産物に他ならないと思うのは私だけだろうか。
 日本人の成人男性の平均身長は1977年(統計の取り様でデータは前後するが)に170糎を超え、それ以降、現在に至るまでほぼ横這い。これが戦後間もない頃の1948年では160糎前後と云われ、戦前、明治、江戸の頃では150糎台の後半だったようである。私の父方の祖父は明治生まれで、身長が175糎あったらしく、周りの者に「大男」と呼ばれていたようである。かく云う私の身長は、歳を取るとともに僅かずつ低くなってきており、現在は日本人の平均身長とほぼ変わらない。反面、うちの嬶ときたら、現在の成人女性の平均身長が159糎とあるなかで、170糎ときて私と然程変わらないから、それはでかい。結婚式では式場の世話役が、バランスが取れないからと、5糎のシークレット・シューズを私に履かせるほどだ。シークレット・シューズを履かされたからといって、恥ずかしいとも何とも思わず、寧ろ嬶を見下ろすことが出来て悦に入っていたくらい。然しそれも束の間、式の翌日から、シークレット・シューズを脱いだ私を尻に敷くことなど、嬶の身長からはダイダラボッチが羽黒山に腰掛けるがごとく容易いことであったようで、今もなお続いている。

     ひとり兎園會 ――其之漆 ダイダラボッチ―― 閉會

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