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2013年2月2日土曜日

短歌&随想「獅歔星」/ 齋藤幹夫

獅歔星 -やほよろづの星々-  齋藤幹夫

春立つを告ぐる星あれ獸園にすすりなきするとらはれの獅子

 春告鳥は鶯。春告草は梅。春告魚は鴎に問ふまでもなく鰊。さて春告蟲は雪溪襀翅せつけいかはげらなのか天鵞絨びろうど吊虻つりあぶか、そもそも有るのか無いのかは銀次あにいにお願ひするとして、春告星といふものも聞いたことが無い。  春の星座の代表格は獅子座。立春の宵の口の東の空に、獲物に跳びかからむがごとく天頂を目指す雄雄しき姿を魅せる。尾の位置に輝くデネボラは、牛飼座のアルクトゥルスと處女をとめ座のスピカで春の大三角形となる。  希臘神話の獅子はヘラクレスの十二の難行の最初の相手。ネメアの森に棲む人食いライオンで、下半身が蛇、上半身が女體、背に翼を持つ怪物エキドナが母、父は雙頭の犬オルトロスといふ名の實の兄(怪物の王ティフォンといふ説もある)。皮はヘラクレスの放つた矢を跳ね返へすほど硬く、その下には筋肉が變化した甲羅を持つ。ヘラクレスに三日三晩首を絞め續けられて殺され、神神の王ゼウスが星座にした(女神ヘーラによるとの説もある)。  英雄ヘラクレスを苦しめた獅子は星座になり、百獸の王の名に相應しい勇猛果敢な姿を魅せつけるが、その心臟の位置にある星レグルスの輝きは一等星でありながら歔欷するやうに儚い。まるで獸園の鎖された檻の中にゐるやうに。サファリパーク型の獸園では目の前を闊步する姿が見られもし、運が良ければ吠える姿も見られるが雄叫びには程遠く、悲しみに滿ちてゐるやうに聞えるのは私の偏見からだらうか。幼少の頃の私にとつてライオンは珍しい存在ではなかつた。無論私がアフリカで幼少の時を過ごしたからではない。生まれ育つた町の動物園にライオンがゐて、よく父に連れられ觀に行つてゐたからだ。その檻の中のライオンは幼少の私の目にも悲しげに映つた。檻の中で虛ろな眼をしてゐるライオンよりも、圖鑑の中の百獸の王としての堂堂たる威嚴ある姿のライオンの方が私には好ましかつた。  獅子座は春の星座であるが、春にしか見る事の出來ない星座といふ意味では無い。その時期がよく見えるといつたものである。一般に星占ひと呼ばれてゐるものは、黃道を十二等分して獅子宮、處女宮等の宮を定め、誕生時に太陽がどの宮にあるかで獅子座だの處女座だのの名稱が決まり、それはあくまでも俗稱に過ぎず、實際に夜空に輝く星のことでは無い。  星占ひなど頭から信じないこの私は獅子座生れ。ものの本によるとその性格は「我儘・自分勝手・理想主義」だとか。やけに當たつてゐる。こんな性格では、次にすすり泣くのは私自身か。

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