2013年5月31日金曜日
2013年5月30日木曜日
小説「身代わり狂騒曲」 07 ‐ 吉原詣 / 風花千里
身代わり狂騒曲 風花千里
第七章 吉原詣 一 とん、とん、とんとんとんとん…… 金槌を使う音が小気味よく響く。 佐助は軒先についた雨樋の修繕に取り掛かっていた。 四月も半ばになると、日によってはかなり気温が上がる。今日は朝から快晴で、午後は汗ばむほどの陽気だった。 首に巻いていた手拭いで、額に浮き出る汗を拭う。佐助は着古した薄手の着物の袖を襷がけにし、裾を尻端折 りにしていた。 裏長屋に住む男が、通りがかりに話し掛けてきた。 「ご精が出ますねえ」 「いつ壊れたんだか知らねえが、途中から樋が
2013年5月27日月曜日
小説「曼荼羅風」8 -御慶- / 齋藤幹夫
曼荼羅風 齋藤幹夫
――其之捌 御慶―― 「これをみておどろくな。それっ……切り餅だ。切り餅ってたって餅じゃあねえぞ。みろ、みろ、一分金百枚、二十五両で一包みだ。いいか、二つで五十両で、三つで……なんだかわからねえけど、ほうぼうにいれてきたんだ。それ、それ、それ……」 古典落語「御慶」より 子供の頃から、正月のぬるくまったりとした気配というか、時間の流れというか、何だか解らない雰囲気が好きではない。御節料理の、煮しめ、酢の物なんか旨いとは思わず、もっぱら伊達巻や蒲鉾ばかり口にして、漸く大人になってから、それも酒の味が解るようになって旨いと感じるようになった。 昨今では正月早早から開けている店もあるから、昔みたいに御節料理を拵えない家庭も多くあるらしいが、わが家の女房は、やれ冬至だから南瓜だ、七夕だから素麺だ、といった具合に、節句だ何だののという時にはそれなりの物を用意するので、毎年御節料理が出される。合間に拉麺やら咖哩を挟むが、三が日の食事毎に出てくる御節には飽きる。それにも増してあの正月の雰囲気には何歳 になっても慣れないから、正月の四日、今日から曼荼羅風も開けると聞いていたので、暖簾を潜ることにした。店の玄関には「千客萬来」と書かれた木札の護符の付いた注連縄が飾られていて、それを暫し眺めた後、軽やかの音を立てる引戸を開け中に入ると、大将が「いらっしゃい」に新年の挨拶を付け加えて歓迎してくれる。私が挨拶を返すのも終わらないうちに、背後より厳かな新年に似つかわしくないでかい声が聞こえて来た。 「おい、挨拶がすんだらお前もこっちに腰掛けろい。大将、こいつも一緒にこっちでな」 後ろの框には例の如く、熊さん八つぁん。 「ああ、明けましておめでとうございます」 取り敢えず挨拶をして、框の通路側に腰掛けると、熊さんは「いい、いい。堅え事は抜きだよ。まあ、よろしくな」といって私の肩をぽんぽんと二度叩いた。八つぁんは「御慶。最初は生麦酒 でいいよな。大将、こいつに出してやってくんねえ」と私の返事も聞かずに勝手に注文をしてしまった。 私の前に生麦酒のジョッキ、突出しの手羽中の甘辛煮が三本出てきた。こういうのが食べたかったのである。改めて、今年も宜しくと杯を合わせると八つぁんが口を開く。 「今夜は俺が奢るから、お前も遠慮せず、じゃんじゃんやってくれよ」 来た早早、それも新年早早、行き成り奢ると云われても、はい御馳走様、とはいかない。 「何ですか、行き成り奢るなんて」 理由を聞いてみると、八つぁんは「当たったのよ、宝籤」と云ってきた。 「ほお、そいつは凄い。失礼ですが、御幾らほど当たったんですか」 八つぁんは口の端を妙に吊上げ、私の目の前に三本の指を立てて突出す。 「さ、三億ぅ」 私は素っ頓狂な声を出して驚いたが、すかさず熊さんが口を出す。 「三千円よ」 熊さんは、情けないのか、呆れているのか、どちらとも取れる表情をしながら猪口を口に運ぶ。三千円で奢っていては、直ぐに足が出てしまうし、自分の分さえ覚束無い程の金額ではないか。それなのに、この堂堂とした態度はなんだろう。莫迦なのだろうか。 「足が出るってこたあ、百も承知よ。そんなこたあどうでもいいのよ。いいから飲め」 尚更、はい御馳走様、とはいかない。いやいやそれは一寸、と遠慮していると熊さんが、いいんだよ、遠慮せずやれ、と無責任なことを云いながら、金目鯛の煮付を突っついている。 「そうだ、遠慮は要らねえ。三億円が三千円だろうと当りは当り。俺の生涯初の高額当選だ。正月から目出度い話だろう、どうだ。こんな目出度いことを一人占めしたんじゃあ、今度は罰が当たるってもんだ。目出度さの御裾分だ。熊なんか目出度いからって、金目鯛なんか食ってやがるぜ。当ったら鯛、なんて良いこと云うなあ、昔の者 は。」 八つぁんの意味不明な説明に、熊さんが尚更に呆れた表情で、その後を引き取る。 「昔の者が聞いたら、云った覚えは無えと云うだろうけどよ、腐っても鯛、まあ、当りは当りでその通りだし、黙って馳走になっとけ。そうすりゃあ、この莫迦も納得するし」 やはり、莫迦、のようだ。 大将も笑いながら、八ツ田さんの心意気に甘えれば良いと云うので、ここは素直に御馳走になることにした。 「幸先の宜しい新年でしたねえ。重ね重ね、おめでとうございます」 「御慶」 何やら八つぁん、さっきから「ぎょけい」だかなんだかと、訳の解らないことを口にしている。普段から訳の解らないことを云っているから、いつも通りと云えばそれまでだが、それでも何だか気持が悪い。 「さっきから云っている、その『ぎょけい』というのは、一体何です」 「おめでとうと云ったら御慶だろう、普通」 さっぱり解らない。自分自身には「普通」のことでも、他人から見たらそれが「普通」なのかどうか解らないのだから「普通」と云われても困る。なのに、八つぁんに「普通」と云われても、尚更困るだけである。 「お前の普通は俺らにしてみれば、異常なんだよ、蛸八ッ。年が改まっても、莫迦は改まんねえなあ。莫迦の年輪刻んで、太くしてんじゃあねえよ」 熊さんが代弁してくれた。 「やい、この野郎。今日の目出度え席で、莫迦莫迦云ってんじゃねえよ、莫迦ッ。 ――『御慶』ってえのはよお、落語よ。富籤で千両当った男の噺よ」 八つぁんは反論しながらも「御慶」が落語から来ている事を教えてくれたが、それでも何のことだか解らない。 「『御慶』ってどんな噺ですか」 「『御慶』という噺は――」 と大将が、口を開きかけた八つぁんの差し置いて、割って入って来た。ここで割って入らないと、そのまま八つぁんが「『御慶』という噺はなあ――」などと話し出し、全く違うものにしてしまうと、懸念してのことだろう。歳 末 も押し迫った二十八日だというのに、仕事もせずにぶらぶらしている八五郎は、良い夢を見たから富籤に当たるに違いないと、それこそ夢のようなことを云いだす。呆れて離縁を迫る女房を尻目に、女房の着ている袢纏を腕ずくで脱がせて、質屋にも持って行き一分借り受け、富籤の札を買いに湯島天神へ。途中大道易者が出ていたから、梯子の上に鶴がとまる夢をみたから、鶴は千年、梯子は八 四 五 で、鶴の千八百四十五番の富籤の札を買えば千両当たるかどうか、占ってもらう。易者が云うには、梯子は下から上へと登る物だから八四五では無く五四八、鶴の千五百四十八番の札を買わなければ当たらないとのこと。云われた通り、鶴の千五百四十八番の札を買った八五郎、見事大富千両に当たってしまう。千両をそのまま貰えるのは二月末。今すぐにだと手数料二割引いた八百両になると云われるが、その銭が無いと離縁されてしまうと、八百両を持って帰る。 一包み二十五両が三十二個で八百両を見せられて、先程まで離縁を迫っていた女房も掌を反して大喜び。女房は春着が欲しい、珊瑚珠が欲しい、俺は裃が欲しい、裃には太刀が必要だなどとやりだし、早速裃脇差を買いに行くことにした。途中大家の所に行って、事の次第を話し、溜まっていた店賃を払い、祝儀まで出して喜ばれ、裃脇差も仕入れて帰って来た。大晦日になり、正月が来るのが待ちきれない八五郎は女房に手伝ってもらって裃を着て、夜が明けるのを今や遅しと待ち構える。陽が昇るや否や、早速大家のところへ年始の挨拶。裃脇差の八五郎だが、様にならず挨拶も碌に出来ない。大家に白扇を貰い、長いのは憶え切らないから短くって気の利いた挨拶、おめでとうと云われたら「御慶」お上がりくださいと云われたら「永日」と返すと教えられる。行く先々、出会う相手におめでとうと云わせては「御慶」と返し、無理矢理お上がりくださいと云わせ「永日」と返す。 そこへ向こうからやってきた知り合いの三人組に、おめでとうと云わせる。三人纏めて「御慶御慶御慶」と返すが、三人組には鶏の声にしか聞こえずに珍紛漢紛。八五郎「御慶と言ったんだ」と説明するが、三人組は「何処へ行ったんだ」と聞き違え「恵方参りに行ったんだ」 ――なんて噺なんですが、これ良かったどうぞ召し上がって下さい、と鯨の竜田揚げを出して来た。く じ ら、と洒落たようだ。 「正月から鯨とは益益縁起が良いや」 どこが「縁起が良い」のだか、八つぁんの気持は解らないが、漸く『御慶』の謎は解けた。しかし、今日は奢ると云う八つぁんに、私は「永日」と返した方がいいのではないか。 「何を下らねえこと云ってやがんだ、宝籤にも当ってもねえくせしやがって。『御慶』『永日』を使える者は、宝籤にあたった奴だけと江戸の昔から決まってやがんだよ。聞いてなかったのか、さっきの噺。上 の空から高みの見物か」 一寸だけ苛っとして、そっくりそのままお返しします、と云ったら、確かに「永日」は返して貰った、と云いながら頷いているから、二の句が継げない。そこに熊さんが口を開いた。 「ところでよ。千両たあ、今の銭勘定だと幾らぐらいになるんかな」 私も『御慶』を聴きながら、ふと湧いた疑問であった。そこにすぐさま大将が答える。 「それはですねえ――。例えば、曼荼羅風 の御品書にある湯豆腐ですが、江戸の頃の居酒屋では八文くらいだったようですので、四千文で一両ですから、曼荼羅風 のは三百円で、――えぇと、一両が十五万円になるってえと――、千両は一億五千万円になります」 「へえ、結構なもんだなあ。じゃあ、富籤が当った者は一生安泰だな。江戸の頃なんざ、今みてえに物が溢れてるってこともねえだろうからなあ。あんまし銭を使うこともねえだろう」 熊さんの言葉に、私も相槌を打つ。 「江戸時代の物価の何を対象にして、現代の物価に置き換えるかで、違ってくるから一両は幾らになるって、一概には言えないようで。これが卵だと話は変わってくるってな具合でして。今じゃあ、一パック十個入りが二百円程度で買える卵ですが、卵の価格の変動はこの五十年程変っていませんから、私も卵なんてえもんは風邪を拗らせた時くらいにしか食わせて貰えなかったくらいで、ちょいと昔の収入ではかなり高価なもんですね。江戸の頃にも高価なもんでして、一個が十文とすると、千両が八千円くらいにしかなりません。反対に江戸の町で一番高い土地代ってえのは、坪十八両くらいだったようでして、今の地面の値段で換算すると、千両がン十億円の価値になります」 「通貨収縮 、通 貨 膨 張 がごちゃ混ぜの世の中じゃないですか。今の世が安定しているのかいないのか、良いのか悪いのか判んないですが」 私の言葉に、今度は熊さんが相槌を打つ。 「しかし大将、詳しいねえ。まるで江戸時代に知り合いでもいるみてえだな」 「いえいえ、ただ好きなだけですよ熊澤さん。古典落語ってえのは、昔の暮しっ振りが見てとれなくちゃあいけませんから、自然と覚えてしまうもんでして、あれ、八ツ田さん――」 大将の目線の先を追うと、八つぁんが卓に突っ伏して寝てしまっている。 「なんだあ、この蛸八は。こいつは餓鬼ん時からこうだ。授業が始まるとすぐ寝てしまう。そんで夜が眠れねえから、毎日遅刻だ。しょうがねえなあ、じゃあ大将、勘定をしてくれ」 奢ると云った張本人が寝てしまって、熊さんが代りに払うと云う。私も財布を取り出すと、熊さんはそれを押し止めた。 「いいよ、いいよ。今日は俺が奢るよ。実は俺も宝籤で十万当った」 「お後がよろしいようで」註:文中の落語の引用部分は、興津要編『古典落語』講談社文庫に拠った。
2013年5月25日土曜日
詞句窯變 ― trans haiku 007 / 風花銀次譯
Nyoze nyotai nyonyo to yougan huki idashi |
如是女體によによと溶岩噴き出だし |
2013年5月22日水曜日
短歌&随想「熊動星」/ 齋藤幹夫
熊動星 -やほよろづの星々- 齋藤幹夫春雷に刹那けもののにほひして北辰かすかなる
人でなし、傍若無人といつた言葉は、動 ぎあり抑 人であらせられぬところの「神」の爲の言葉と思へるほど、聖書や數多ある神話の神神のやりたい放題加減には呆れるどころか、笑ひたくなるほど。特に希臘神話の全能神ゼウスの好色漢 振りは、世の男達からは感嘆の聲が擧がるかも知れぬが、女達からは輕蔑の眼差しを向けられても仕方の無い。 春の代表的な星座の小熊座とその母の大熊座も、この好 色 漢 の犧牲者。
2013年5月20日月曜日
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