曼荼羅風 齋藤幹夫
――其之陸 小粒 ―― 友だちが、ちいさいといったら、「背がちいさけりゃあどうなんだ?」といっておやんなさい。「浅草の観音さまをみろ。わずか一寸八分でも、十八間四面という大きなお堂へはいっている。仁王さまは大きくても門番だ。太閤さまは、五尺にたりないからだでも、加藤だの、福島だのという家来がある。山椒は小つぶでもヒリリとからいぞ」とでもいったらどうだい? 古典落語「小粒」より 霜月の寒さの増す夜の通りを、曼荼羅風を目指し急ぎ足で歩いていると、前方にひょろりとした姿 の男が操り人形のような動きで此方に向かってきている。 「おう、お前も今からか」 見覚えがあると思ったが、やはり八つぁんである。相変わらず声がでかい。 「ああ、八つ田さん今晩は。其方も今からですか。今夜は遅い御出勤で」 普段は坐っている所ばかりしか知らないから気が付かなかったが、こうして面と向き合うと一七三糎の私が少し見上げる形となる。八つぁんは声もでかいが、身長もなかなかでかい。 「一寸会議やってて遅くなっちまった」 八つぁんの口から「会議」と来た。 「会議も会議よ。これから年末年始にかけちゃあ毎年のことながら野菜の値段が高くなるだろう。八百屋には辛え季節よ。その時期には別の物も扱って少しでも補おうってんで、クリスマスの玄関飾りから正月のお飾りやら売るんだがな、それでもどうもってやつよ。さて今年はどうするって嬶と会議をしてた。嬶と二人、無え知恵絞っても、元々無えから何も出て来ねえ。そして俺が代りに出て来た」 途中で厭になって打っ棄ったに違いない。それにしてもクリスマス・リースまでとは。 「そんな名前は知らねえが、それだろうな。今度倅を呼んで嬶と二人で会議をやれってことで今日のところは一応の鳧はつけて――」 店の前で立ち話もなんですから中に入りませんかと話を遮った。なにせ八つぁん、引手に指を掛けたまま話し続けるから、開けようにも開けられない。私に即されて中に入った八つぁんの後に続くと、框に熊さんが連れと二人で卓を挟んでいた。大将の「いらっしゃい」に掌を見せて応えた八つぁんは躊躇も無く熊さんのいる框に腰かけ、共通のお知合いなのかと思いながら長卓の方へ向かう私の襟首を引っ張り、框に腰掛けさせ、生麦酒を二つ頼む。 「よお熊。誰だい、この小せえのは。お前の隠し子か何かか」 共通のお知り合いではなかったようだ。なのに小せえだの、隠し子だのと失礼である。 「隠し子なんかじゃねえよ、蛸八。こいつぁ知合いの倅でよ、高校を中退 めちまってぶらぶらしてたから熊澤工務 店 で面倒見てんだが、二日に空けず現場で喧嘩をおっ始めるから、説教くれていたところだ」 「お前んとこの職人か、この小せえの。で、なんで説教なんかくれてんだい。下手でも打ちやがったのかい」 「説教のもと、その喧嘩のもともさっきからお前が云っているそれよ。先輩から小せえの、ちびだのと云われる度に喧嘩だよ。現場が先に進まねえったらねえのよ。それで説教だ」 確かに、不貞腐れた面で柳葉魚 を口に運んでいるこの青年、坐っていても背が低いことが判る。また、自分の気にしている、ましてや自分ではどうすることも出来ない身長のことを云われて反発したくなるのも解る。まだ若いから、とかそう云う問題ではなかろう。この歳の私でさえ気にしていることを云われれば腹も立つ。 「小せえって云われてか、へえ。で、身長はいくつあんだい、小せえの」態 とだ。八つぁん は態と云っている。青年はむっとしたまま答えもしない。 「悪 い悪い。でもよお、お前さんまだ若えし、これから伸びるかもしんねえじゃねえか。気にすんなって。小さくても箸は使える、って云うじゃねえか。人間、食えてなんぼだ。やい、お前は柳葉魚を手で食ってるな。箸使え、箸」 「云わねぇし。それを云うなら、小さくても針は呑まれぬ、だし。それに先のことなんか解んぇっすよ。今なんすよ、今云われんのがムカツクんすよ」 漸く口を開いたが、尚更御立腹のようだ。八つぁんの配慮の無さには無理もない。もう放っておいてやればいいのに八つぁんは続ける。 「おいらはこの通り小さかねえから、お前の気持なんざ解らねえが、職人の端くれなら、喧嘩すんなら仕事終わってからにしろよ」 八つぁんの云う通りだがその云い方では、はいそうですかと納得がいくはずもない。青年は益益むっとして、次の柳葉魚を手掴みで口へ運び、冷たいお茶で流し込む。 「解ってるんすけど、迷惑掛けちゃいけねえってことくらい」 この青年が尚更のこと気の毒に思えて来た。しかし、身長で人の価値が決まる訳では無いとか、身長が低くたって立派な人は大勢いるとか云ったって、下手したら嫌味に聞こえる。励ますの、慰めるのといった話は苦手である。 「大将、落語にはちびの出て来る噺はねぇのかい。こいつがよ、なんかすかっとするような痛快な噺はよ」 八つぁんが介入すると余計に話が拗れると思ってか、熊さんは大将に話を振ってみる。 「落語に、ですか。小さい者が出て来る噺はありますが、痛快無比って訳には――」 「それはどんな噺っすか」 青年の方から食い付いてきた。当人としてはそれほど気に病むことなのだろう。 「『小粒』っていう噺なんですが――」 子供、坊ちゃん、駒下駄の歯に挟まるなど背の小ささを莫迦にされている男がいた。背の大きいやつは雨が降ったら先に濡れると云い返すが、背の小さい奴はお天道さんから遠いから渇きが遅いと云い返され、大掃除の時には屈まずに縁の下に潜れる、長火鉢の抽斗の中で寝ていたとやり込められっぱなしで我慢がならない。 そこで、御隠居さんに知恵を借りて逆にやり込めてやろうと企む。御隠居さんから、観音様は、仁王様は、太閤様は加藤福島が云々と知恵を授かった小さい男、わざわざ莫迦にする男の許へ出向き早速試してみるのだが、観音様は一銭八厘でお堂は大きいが家賃は出ないだの、仁王様は自分の足にあわせた草鞋が売れない、太閤様の背は五尺に足りないから角力とりにはなれないなどと、巧くいかない。 小さい男、苦しい時の神仏頼みと柴山の仁王尊に二十一日の願を掛ければ、信心の威徳によって身の丈を三寸程伸ばしてやると夢枕に仁王尊が立った。そこで目を覚ますと布団から足が三寸ばかり出ている。これは有難いと跳ね起きてみれば、三 布 布団を横に着て寝ていた。 「てな噺なんですが、何の救いようもありはしません。ただの笑い話で。ああ、これ良かったら皆さんでどうぞ。聊か小粒ですが味はぴか一の文句無しですから」 大将、そう云いながら蒸し牡蠣を出す。 「面白え。そして旨え。本 気 、旨いっす」 小さい青年、さっきの噺でまた臍を曲げるかと思いきや、笑いながら蒸し牡蠣に早速口を付けている。 「そんなに旨いなら、俺のも食え。旨えもの食えば、厭なことも忘れるってもんだ」 熊さんが牡蠣の乗った皿を青年の前へ滑らせた時、大将が、あの、と声を掛けて来た。 「私、思ったんですが、工務店の仕事っていうのはでかい者 より小さい者のほうが、何かと便利ってなことはねえですか。ほら、どこか修繕するってえ時には、やれ狭いだの、やれ低いだのってえ厄介なもの多くございまして『入んねえよ、どっかに小せえ餓鬼いねえか。飛びっきり腕の立つ餓鬼はよお』なんて云わないまでも。ねえ熊澤さん、素人考えで相すみませんが」 「応、云われてみれば一理あんなあ」 流石大将、目の付けどころが違う。成程そうだ。マトリョーシカの箱を逆に収めようとしても無理な話。鼠捕りで象は捕らえられない。八つぁんは、かぁ、と意味不明な声を上げ、熊さんは腕組み押して頷いているが、青年は、でも高い所には手が届かないと反論する。 「踏み台があるじゃねえか。小せえやつは高え所も物を使えば何とでもなるが、でかい奴じゃあ低いとこ狭い所はどうしようもなんねえな」 「そう――、すね」 「そうよ、大が小を兼ねるなんてえもんは嘘っぱちだ。ただでかいだけのこの蛸八なんて熊澤工務 店 じゃあ糞の役にも立たねえ」 「でもつっかえ棒くらいにはなるかも」 青年、中中上手いことを云う。しかし、熊さんは苦虫を噛み潰したような顔の前で手をひらひらとさせながら云う。 「ならねえよ。じっとしていねえ。」 「なんだとこのぉ、云いたい放題じゃねえか。それに小僧、なんだい人のこと捕まえて、つっかえ棒ってのは、箆棒奴。おい、お前も何か云い返せ、仲間だろうに」 八つぁんは突然私に話を振って来たが、いつから仲間になったのだろう。仲間と云われてこんなに嬉しくないのも珍しい。話を振っておきながら、八つぁんは話を続ける。 「でも、まあいいや。俺もさっきは知らねえとは云え、小せえだのちんちくりんだの云って悪かったからなあ。これで相子だ」 「相子じゃあ無ぇっすよ。ちんちくりんって云うのが増えてるし」 「よく覚えてやがるねえ、どうも」 「敏感なんすよ。その手の言葉に」 青年はもう怒ってはいないようで、笑いながら返してくる。その時八つぁんが、ああっ、と素っ頓狂な声を出した。 「そう云えばよ、青年。お前んとこのこの老い耄れも、小せえ時は小さかったんだぜ」 当たり前である。 「そうじゃねえよ青年。お前と一緒でよぉ、ちんちくりんだったって話よ」 「誰が老い耄れのちんちくりんだ、蛸八手前。俺は標準だ。手前が無駄に出かかっただけじゃあねえか、餓鬼ん時から」 「老い耄れとちんちくりんは別っこだい。そうだったじゃねえか。騎馬戦やるときゃあ、お前はいつも上だったろう。お、俺ぁ――、一度でいいから上になってみてえと――」 「なんの話だよ。なんで泣いてやがんだい、お前。もういいや黙ってろ蛸八。――あのなあ、お前に小せえだの、ちびだの云ってるあいつだがよ、お前のこと買ってるんだぜ。俺にはよ、お前は呑みこみが早えとか、モノになるとかいつも云ってんだよ。使えねえ奴なんざ端から教えもしなけりゃ、置いときもしねえよ」 熊さんの言葉に今まで笑っていた青年は黙り込む。そしてこう云った。 「おやじ、今夜はこれで帰ります。明日も現場早いんで。御馳走様でした。」 熊さんは黙ったままひとつ頷き、八つぁんは何か云おうとしたが、大将の一言が皆まで云わせなかった。 「お後がよろしいようで」註:註:文中の落語の引用部分は、興津要編『古典落語』講談社文庫に拠った。
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