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2013年1月3日木曜日

短歌&随想「鬼笑星」/ 齋藤幹夫

鬼笑星 -やほよろづの星々- 齋藤幹夫

吉凶のいづれを暗に示さむや元日の星々のどよめき

 星を觀るのに月光は邪魔者扱ひをされると聞く。  二〇一三年一月一日は更待月であり、かなり明るい。冬の澄んだ大氣の中の星は他の季節より輝きを增すと言はれるが、大晦日から元日は大氣を汚す基となるものの動きがかなり納まるからか、尚更に星の輝きが、その月光の下でも增すやうに感じられる。更待月が正中に達する頃の午前二時過ぎ、大熊座がその對極の北の空を支配し、北斗七星を一際輝かせてゐた。  道敎では北極星を宇宙の全てを支配する天帝、北斗七星は天帝の乘り物としてゐる。その思想が陰陽道へと流れ、その後佛敎にも取り入れられ、北辰妙見信仰の妙見大菩薩は北斗七星と同體とされた。眞言宗では、人は生まれ年の干支によつて定められた本命星、北斗七星の杓の部分から順に貧狼星、巨門星、祿存星、文曲星、廉貞星、武曲星、破軍星と名付けられた七つの星の何れかに屬し、そこに年每に廻つて來る九曜星を倂せることにより一年の運氣が決まるとされてゐる。然しながら一年の運氣が變はるのは、一月一日ではない。その周期は立春から翌年の節分までで、それが節分會、星祭である。  私は眞言宗を信仰する家に育ち、人の運氣は節分の日までと昔から聞かされてゐたので、新しい年を迎へたからと言つても、運氣は昨年よりまだ引き摺つてゐるのだと心の奧に思ふ氣持ちが多少なりとあり、初詣に行くには行くが、手を合せても何處か上の空である。御神籤も駄菓子屋の籤と變はりがなく、ゲーム感覺で樂しむばかり。昔、風花銀次と初詣に行つた際には、二人して既に木の枝に結ばれた御神籤を解き、大吉だ末吉だのと馬鹿騷ぎをしたこともあり、その翌日には競馬にも勝つたくらゐだから、所詮、運なんてそんなもの、としか思つてゐない。  二〇一四年一月一日は新月。來年の元日は天氣にさへ惠まれれば、絶好の星空が見られるだらう。星が吉凶のいづれを暗示してゐるのかは、私の範疇外の事として、その星を愛でながら屠蘇を頂かう。美味い酒が飮めれば吉として、飮めなけば凶とする。年が明けたばかりで、來年の正月の事などを書いてゐるのだから、鬼も笑ふどころか苦笑すら浮かべてはくれぬか。鬼に見放されたのならば、運も不運もあつたもんぢやない。

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