泥匠日記 風花銀次 鳴く蟲にいひおよびけり壁を塗る 鏝を洗ふ桶ふたつとも秋の水 漆喰の鶴がはねかく小春かな しぐるゝや壁の鏝繪の虎も壁も 建てさして餠つく音を入れにけり 短日のおのが影塗る左官かな 塗り込めておのれなくなる左官かな御 降 りや土壁ほどけつゝながらふ 初凪や地の鹽としてなまこ壁 春の土春の水もて結ぼほる あたゝかや鏝あたりきに動きだす うらゝかやなでてやらねばたゞの土 春風や手斧 はつりの梁ひとつ おもしろや苆 にまざれるこぼれ梅
2012年12月29日土曜日
俳句三十句「泥匠日記」/ 風花銀次
2012年12月26日水曜日
蟲雙紙 015 「文机のよこに…」/ 風花銀次
蟲雙紙〈十五〉 風花銀次 文机のよこに、あをき瓶 のおほきなるをすゑて、櫻の若葉いみじうしげりたる枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、文机のうへに葉こぼれ落ちたる、ひるつかた、雌赤緑小灰蝶 の、少しなよらかなる終齢幼蟲、のこりぎくのかさね著 たるごとき、いとあざやかなるが這ひまはりたり。書く手をやすめ見入りてあれば、茶をもてきたる家人、有職故實も知らぬげになどいふ。
2012年12月24日月曜日
小説「曼荼羅風」3 -牛ほめ- / 齋藤幹夫
曼荼羅風 齋藤幹夫
――其之参 牛ほめ―― 牛のほめかたはむずかしいぞ。牛というも のは、天角地眼一黒鹿頭耳小歯合といって、 角は天にむかい、眼は地を睨み、毛は黒く、 頭は鹿に似て、耳は小さく、歯の合ってい るのがいいんだ。まあ、そうそろったのは ねえが、そうほめとけば、まず間違いはね え。 古典落語「牛ほめ」より 帰ってからも本日やり残した仕事をやらねばならぬが、少し酒精を入れたほうが頭の回転も上がろうものと決め込み、一杯やっていくことにした。縄暖簾をちょいと流してやり心地の良い響きの引戸を開けると、二人組のご婦人方が丁度曼荼羅風を出るところであった。「あら吃驚したぁ」と云った後、小母様特有の笑い声を高々とあげ「あたし達が坐ってたところが空いたから、そこにお坐んなさいよ」などと付け足し、縄暖簾を豪快に揺らして店の外へ出て行った。混んでいるのかと思いきや、店の中には八つぁんと熊さん、そして少年が一人、付場の前にくっ付いた長卓に坐っているだけ。私の坐るところなど充分にあり、余計なお世話である。 「いらっしゃい」 大将は付け場から、少年は八つぁんの影から顔を覗かせ二人同時に笑顔で私を迎えてくれ、八つぁん熊さんは「よお」と片手を上げた。それにしてもよ、と八つぁんが、その右隣に坐っている少年の肩をぽんと叩く。 「本当に大 したもんだよ」 と云う八つぁんの横で尻高貝 を待ち針で穿りながら頷いている熊さんの隣に腰掛け、何が大したものなんですか、と訊いてみた。 この少年は大将のお孫さんである。確か中学二年生で、名は「遊生」と書いて「ゆうき」と読む。大将曰く、来る時は、小遣いをせびりに来る時だけらしい。その代わり給仕をさせたりはするものの晩飯を食わせ、腹は充分かと何度も執拗 いくらいに訊き、最後には小遣いを渡し、家に着いたら「着いた」って電話しろ、と遅くならない時間に帰らせ、兎に角可愛くて仕方ない様子。将来は噺家になりたいのだそうだ。その遊生君、先程私と擦れ違った御婦人方に、給仕をしながら三島由紀夫の「空お世辞を並べるべし」とばかりに世辞を振る舞い、終には「お釣りはこの坊ちゃんに」と小遣いを頂戴したという。何も小遣い目当てでやったことではないのだが、人を楽しませるのが好きなようである。 「本当に大したもんだ」 八つぁんは繰り返し云う。孫を褒められ満更でもないはずだが、そこは孫の手前、素直に喜んではいられない。 「そんな持ち上げないでやって下さい。図に乗りやがります。小賢しいだけですよ。太鼓も持てやぁしませんよ。世辞もなかなか難しいもんでしてね。だからこそ幇間 なんて職もあったくらいで、幇間になるには噺家になるより難しい。藝人のなかの藝人です。こいつに出来るとしたら精々『牛ほめ』の与太郎くらいで。ああ『牛ほめ』ってぇのはこんな噺で――」 与太郎は父から「伯父の佐兵衛の家へ行って来い」と云われる。佐兵衛は家を新築し、四五日前に与太郎の父は行ったのだが、その折佐兵衛は不在で、何も云えず仕舞いであった。そこで与太郎を行かせ、代わりに新宅を褒めて来いと云うのだ。父は与太郎に家の褒め方を教えるが、そこは与太郎、いくら教えても珍紛漢紛で、家は総体檜造りを家は総体ヘノコ造りと云ってみたり、畳は備後の五分縁は畳が貧乏ぼろぼろになったり、左右の壁は砂摺りが佐兵衛の嬶は引き摺りになってしまう始末。埒が明かないと見るや、与太郎が読んで云えるように褒め言葉を書き付けてやる。また、職人が手 抜 をやらかし台所の柱の節穴が空いていて伯父も気にしていると云うから、その穴に秋葉様のお札を貼り付ければ節穴かくしにもなるし火の用心にもなると進言すれば、この後、莫迦だなどと云われることなく、おまけに小遣いまでくれるだろうと、一端の挨拶をさせて一人前に見させてやろうという親心も見せながら与太郎を唆す。ついでに牛も褒めて来いと、その書き付けも持って、与太郎は伯父の新宅へ。時折下手を打ちつつも書き付けを読みながら色々と褒め、その場その場を凌ぎ、件の台所の柱の節穴では、与太郎の進言に伯父も感心して小遣いを与える。牛を見せろと与太郎は牛小屋へ赴き、云われた、否書き付けて貰った通り「天角地眼一黒鹿頭耳小歯合」と褒める。伯父は褒めて貰ったのと与太郎の成長振りを喜びながらも、牛の糞の始末の煩わしさを「後ろに尻の穴があるから糞をするんだ。この穴が無ければいいんだがな」と牛の肛門の所為にする。そこで与太郎、下げの一言。 「穴の上へ秋葉様のお札をお貼んなさい。穴が隠れて、屁の用心にならあ」 「なんてな噺でございます」噺家志望の遊生君、大将を差し置いて皆まで語った。 「秋葉様ってのは火防 の神様、秋葉大権現ですね。ほら、うちにもそこに貼ってあるお札がそれでして。大元は静岡は浜松の秋葉山本宮秋葉神社で、この辺じゃ墨田の向島、台東の松が谷にありますね。松が谷の秋葉さんは元は秋葉原にあって、その名の由来になったって云われてますが、秋葉原にあったのは鎮火社って名でしてね、勧請されたときに地元の人たちが、火防の神様が来たってんで、火防なら秋葉様だって思い込んじまった結果です。でもって後付けのように秋葉神社って名が変わった次第で。さ、これ召上って下さい」 遊生君の話に註釈を付けて大将は、壁の砂摺りに掛けた砂肝 の唐揚げを差し出した。 「それに八つ田さん。こいつに世辞を云ったって何の得にもなりません。喋るだけ損です。舌 が擦り減っちまいますよ」 そう云う大将に八つぁんは、いやいや、そうじゃねぇんだ。実は、と何やら語り出す。 八つぁんは地元の商店街で八百屋「八 百 八 」を営んでいる。親の代から子の代へ、野菜果物は八百八で、などと云う合言葉は無いのだが、そのような不文律が出来上がっているくらい毎日客で賑わっている。地元の者だけではない。新参の私の女房も利用するほど、ここいらに住む者には、野菜果物は八百八、なのだ。その八百八の二代目は、つまり八つぁんには息子がいるわけだが、某有名大学の経済学部を卒業し、とても八つぁんの息子とは思えない(あくまでも熊さんの弁)。卒業後は大企業に勤めたが、ある日「辞めて来た」と八百八に舞い戻り、暫くは家業を手伝いながら、何某 の農家と直接取引の契約をし、新鮮で旨い野菜果物を安く店先に並べる等の八百八改革を行って、評判を益々上げていった。そんなある日、この店を閉じてスーパーマーケットにしないか、と云いだした。所謂スーパーには野菜どころか肉、魚は勿論、何から何まで売っている。商店街を潰すようなことが出来るか、と八つぁんは反対し、息子も、それもそうだと納得したが、結局はこの商店街から遠く離れた郊外に「スーパーヤツダ」を開店し繁盛させているらしい。その息子が久しぶりに八百八に顔を見せた際、夕方の忙しい時であったので、丁度いいとばかりに手伝わせた。実にてきぱきと動くのだが、全く愛想がない。客商売に愛想は付きもの。ましてや今では自分も主として、客あっての商いをやっているのだから尚更だ。昔っから云っているのになおっちゃあいねぇ、と嘆く。これが遊生君を褒める原因であるようだ。 「お前 の倅は経営者だ。現場にゃ出ねぇだろ。現場は現場で人を雇ってんだろうに、愛想なんか要らねぇだろ」 「雇い人相手にも仏頂面ばかりじゃよくねぇよ。客を相手にする時は尚更だ、愛想良くしなくちゃならねぇ。来てくれる客の御蔭でおまんま食えて、でかくさせてもらったようなもんだからな」 八つぁんの珍しく正当 な意見に、熊さんも「まあ、そうだな」とこちらも珍しく折れた。八つぁんはなおも続ける。 「俺なんざ、帽子屋の若奥さんが泥付葱かなんか選んでたときにゃ、綺麗なおべべと綺麗なお手手が汚れちまいまさぁ。俺っちが選んで差し上げましょう、なんて云ったもんだぜ」 「帽子屋の若奥さんは別嬪さんだからなぁ」 「金物屋の娘、悦ちゃんが来た時なんか手を引いてた坊主に飴玉くれて、悦っちゃんに似て賢そうな顔してなさる、なんてことも云ってるぜ」 「悦ちゃんもえらい別嬪さんになったからなぁ」 「おい熊澤工務店、俺は別嬪さんにしか世辞を云わねぇみてぇじゃねぇか」 「別嬪さんにしか云ってねぇんだろ。その証拠に手前 の嬶には云わねぇだろが」 「云うかよ。うちの嬶なんざ製造元に不良品だ、って返品して新しいのと交換 てもらいてぇぐれぇよ。だがよ、製造元が潰れちまってるんでそうもいかねぇ。そもそも嬶にむかって世辞云う奴がいるかい。食った魚に餌は要らない、っ云 うだろぉ」 「云いませんよ。それを云うなら『釣った魚に餌はやらない』でしょ」 遊生君に突っ込まれ八つぁん、いつ変わったんだ、と惚けながら冷酒をぐいと空ける。 「巧言令色鮮なし仁、ですよ八つ田さん。言葉巧みで、口が上手くて外面のいい奴にゃあ、真っ当な輩が少ないっていう孔子さんの言葉です。八つ田さんの息子さんは心配要らんでしょうに。おい遊生、お前もよく覚えとけ」 「うへえ、とんだお鉢が回って来た。そろそろ退散仕りますか」 大将の御小言を撥 條 に遊生君は腰を上げたが、付台のほうに掌を上に向け両手を揃え差し出ている。しょうがねぇなと大将、赤地に白抜きの大入りとある点袋を渡しながら「着いたら電話しろよ」と可愛がり振りは隠せない。 丁度良い頃合いだと私も勘定を頼む。何だもう帰 るかい。早ぇじゃねえかと八つぁんが引き止めるが、悲しいかな勤め人。帰宅して残した仕事をやっつけなばならない。引き止められるのは嬉しいが、理由を云えば野暮となる。だから私はこう云った。 「帰ってうちのかみさんに、八百八で世辞を云われたことがあるかい、と早速訊いてみようと思いましてね」 八つぁん、蛙が潰れたような声を発し何かを云いかけたが、大将の科白 がそれを遮った。 「お後がよろしいようで」 註:文中の落語の引用部分は、興津要編 『古典落語』講談社文庫に拠った。また、 平仮名を漢字表記に改めている箇所、省 略している箇所、及び三点リーダーを省 略した箇所がある事をお断りしておく。
2012年12月21日金曜日
2012年12月19日水曜日
蟲雙紙 014 「八幡社の…」/ 風花銀次
蟲雙紙〈十四〉 風花銀次 八幡社のみんなみを向きて立ちたる鳥居には、六本脚の、群るるものどものおそろしげなる、脚長蜂の巣ぞかかりたる。参詣のをり、刺されたるひとありて、弓矢八幡ゆゑと、にくみなどしてわらふ。
2012年12月18日火曜日
緑月亭&齋藤幹夫「二律背反」
二律背反 俳句◎緑月亭 短歌◎齋藤幹夫 棘が葉に摘むもをかしき紅 の花 言の葉を刃 に變へて一身に返り血浴びむ覺悟はありや 死してまでなに抱へ込みたりや蝉 死して屍 拾ふ者ゐて油蝉なほも虚空に獅噛みつきたる 瓜つるりとして憎たらし戀 敵 八百八の瓜賣る兄 聲嗄 れて昨 日 の祭と後の情事と
2012年12月15日土曜日
ひとり兎園會 2 「肉人」/ 齋藤幹夫
ひとり兎園會 ―其之貳 肉人― 齋藤幹夫
神祖、駿河にゐませし御時、或日の朝、御庭に、形は小兒の如くにて、肉人ともいふ べく、手はありながら、指はなく、指なき手をもて、上を指して立たるものあり。見る 人驚き、變化の物ならんと立ちさわげども、いかにとも得とりいろはで、御庭のさうざ う敷なりしから、後には御耳へ入れ、如何に取りはからひ申さんと伺うに、人見ぬ所へ 逐出しやれと命ぜらる。やがて御城遠き小山の方へおひやれりとぞ。或人、これを聞て、 扨も扨もをしき事かな。左右の人たちの不學から、かかる仙藥を君に奉らざりし。此れ は、白澤圖に出たる、封といふものなり。此れを食すれば、多力になり、武勇もすぐる るよし。 「一宵話・卷之二」より 牧墨僊
2012年12月12日水曜日
蟲雙紙 013 「山は…」/ 風花銀次
蟲雙紙〈十三〉 風花銀次 山は、浅間山。妙高山。雨飾山。白馬岳。雪倉岳。てふてふ舞はんとをかしけれ。祖母山。茂見山。大崩山、よそより見るぞをかしき。国見岳もをかし。ちちははのそだててくれし恩おもひ出でらるるなるべし。時雨岳。小川岳。
2012年12月7日金曜日
「蟲雙紙」を現代語訳しました
非常に奇特な方がございまして「蟲雙紙」の文語部分を現代語訳してほしいなんておっしゃいますので、訳しました。といっても、わざわざあらためて単独ページをつくるほどでもございませんから各段のコメント欄にて披露しています。
なんだかオネエ言葉になってんのもありますが、もとが「枕草子」のパロディーだってのを意識しすぎちゃったんでしょうかねえ。まあ、よしとしましょう。
そんで、意訳を踏まえたうえで、あきらかな誤訳がございましたら、というのもおかしな話かもしれませんが(なにしろ自分で書いたものを自分で訳してるんですからね)お知らせください。
「文語文のほうがおかしい」てことも含めてご教示いただけたらなによりです。はい。
» 「蟲雙紙」一覧
なんだかオネエ言葉になってんのもありますが、もとが「枕草子」のパロディーだってのを意識しすぎちゃったんでしょうかねえ。まあ、よしとしましょう。
そんで、意訳を踏まえたうえで、あきらかな誤訳がございましたら、というのもおかしな話かもしれませんが(なにしろ自分で書いたものを自分で訳してるんですからね)お知らせください。
「文語文のほうがおかしい」てことも含めてご教示いただけたらなによりです。はい。
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2012年12月5日水曜日
蟲雙紙 012 「淺葱斑蝶はひむがしをば…」/ 風花銀次
蟲雙紙〈十二〉 風花銀次淺葱 斑蝶 はひむがしをば、ふるさとといふ。 劍山のはるかにたかきを、共連 「いく尋 あらむ」などいふ。知らざれば、しばし思案して「不 盡 の山ほどにはなからむ」とのたまひしを、土佐國にてやすみしをり、旅の無事を祈りて、酒 をくだされ給へるに、したたかにゑひたれば、ゆゆしうたかく舞ひけり。 さめたるのちに、「富嶽をも越えけむ」といへば、「メートルが上がりたる」とわらひ給ふ。 「日向國 では燒酎欲 し。琉球國 では泡盛欲し」といひけむこそをかしけれ。
2012年12月3日月曜日
ひとり兎園會 1-2 「虛舟」 二次會 / 齋藤幹夫
ひとり兎園會 ―其之壹 虛舟― 二次會 齋藤幹夫
人間は到底絶對の虛妄を談じ得るものではないといふことが、もしこの「うつぼ舟」 から證明することになるやうなら、これもまた愉快なる一箇の發見と言はねばならぬ。 「うつぼ舟の話」より 柳田國男
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