身代わり狂騒曲 風花千里
序章 源内死す 一 明和六年如月晦日(一七六九年四月六日)。 昨夜から季節外れの雪が降り続いている。 雪は江戸の町を覆い尽くし、明け方からは吹雪く有様。いつもは五月蠅い近所の餓鬼共も、今日は家の中で鳴りをひそめていた。 「馬鹿野郎ぉ……何でこんなに早く逝っちまったんだ」 座敷に安置された亡骸に取りすがり、絵師の鈴木春信が癇の強そうな声で泣いている。昨日から一睡もしていないので、目の下に薄墨を流したように隈ができていた。布団に寝かされた仏より、よほど死人めいた形相だった。 「春信さんよ、そんなに揺さぶるな。仏が仰天して、三途の川の途中で溺れてしまうぞ」 と、窘めたのは平沢 平角 常富 。出羽国久保田藩の江戸留守居役でありながら、「宝暦の色男」と異名をとる大江戸きっての粋人だ。 「あの源内さんが、こんなにぽっくり死んじまうとは……」 二人の様子を視界の端でとらえつつ、重三郎は呟いた。 目の前に横たわる仏は、本草学に通じ、平線儀(水平を作り出す道具)や火 浣 布 (燃えない布)を発明した時の才人、平賀源内だった。 源内が急死したのは昨晩のことだ。春信や平角らと共に、木挽町にある側用人・田沼意次の下屋敷に招かれた帰りだった。 源内はかなり酔っていた。新内節を口ずさみながら木挽町の町中を千鳥足で歩いていたところ、降り始めた雪に足を滑らせ、派手に転倒した。重三郎が手を差し伸べても、源内は自力で起き上がることができない。慌ててそばにいた仲間数人で、築地の医者の元へ担ぎ込んだ。 医者の名は工 藤 平 助 という。少し前まで田沼邸で酒を酌み交わしていた仲だから、事情を察して速やかに診てくれた。 運び込まれた源内は、すぐに高鼾をかいて眠ってしまった。 付き添ってきた連中は、源内が酔いつぶれて寝てしまったのだと苦笑した。 ところが源内は転んだ拍子に強かに頭を打っていた。時間が経つにつれ、重三郎らが呼び掛けても反応しなくなり、体を引き攣らせて震え出した。 平助はできる限りの治療を施したが、仲間の祈りもむなしく、源内は深夜にそっと息を引き取った。 「源内はさぞかし悔しいだろうよ。薬品会を開きゃ大盛況、戯作を書きゃあ大当たり。これからって時に頓死しちまったんじゃ、おちおち成仏もできねえんじゃねえのかな」 座で一番年嵩の治郎兵衛が言った。大工の棟梁らしく歯切れのいい口調だ。しかし時折鼻声になるのは、源内の死が応えているからに違いなかった。 俳諧が三度の飯より好きだという治郎兵衛は、源内と同じ俳諧の同好会に属し、十歳近く年下の才人を生き神様のごとく崇めていた。 治郎兵衛の嘆き節に、座が静まった。十畳の室内に、春信の虎落 笛 のような痛々しい嗚咽のみが響く。 「みんな、何しみったれた面 してるんだ」 唐突に沈黙が破られた。大田 南畝 が拳を握って立ち上がっていた。 南畝は重三郎より一つ年上の二十歳。自作の狂詩集『寝 惚 先生文集』に序文を書いてもらった縁で、源内を兄のように慕っていた。 「源内さんは面白いことが好きだった。悪戯や突拍子もない話を、何より好んだ人じゃないか。めそめそした弔いなんて喜ぶはずがないと思うよ」 と子供染みた口調で治郎兵衛に食ってかかった。 「遅れてきたくせに、偉そうな口を利くでない」 平角が南畝を睨んだ。 昨夜、南畝は皆と一緒に、源内の亡骸を神田白 壁 町のこの家に運び込んだが、その後、姿が見えなくなった。 今朝になって南畝は戻ってきた。聞けば、着替えをしに自宅に帰っていたという。 「南畝はまだ粋がりてえ年頃なんだよ」 治郎兵衛が取りなした。 「それじゃ、どんな葬式をしてやったらいいんだ」 「こんな湿っぽい雰囲気の中で葬式を出しても、源内さんは絶対に浮かばれないと思う。もっと奇想天外な方法で送って、あの世の源内さんを驚かせてやりたい」 気の利いた台詞を吐こうとして固くなり、間を外しがちな南畝が、珍しく最後まで言い切った。 「源内さんを、あの世で仰天させる?」 「おもしれえかもしれねえな」 座のあちこちで囁く声がする。源内の死を聞きつけて集まった、ごく親しい輩 たちだ。俳諧を通じて懇意になった者の他に、戯作者や蘭学者も駆けつけていた。 「源内さんは『紋切型』を、何より嫌っていましたからね」 仏の前で不謹慎だと思いつつ、重三郎もつい口が軽くなる。源内は二十も年下の重三郎に何かと目をかけてくれたから、思い出話には事欠かなかった。 源内は決まり切った形式を毛嫌いした。戯作でも発明でも、一度完成した型に囚われることなく常に新しい手を考え、実践してきた。仏が常人と同じ葬式を喜ぶかと問われたら、やはり、否、と言わざるをえない。 「どうやって驚かすつもりなんだ」 平角も一座に諮るように問うた。南畝の提案には興味があると見える。自らを洒落者と称す平角は、酔狂な話題を喉から手が出るほど欲していた。 「奇抜な発想で度肝を抜いてきた源内にひと泡吹かせるのは、並大抵のこっちゃ無理だぜ」 治郎兵衛も身を乗り出していた。 この家に集っているのは、洒落、戯 言 、与太話が大好きな連中だ。真面目な顔をしている時こそ、洒落を考えているような手合いばかりだった。 源内の急死は耐え難い事実。けれど悲嘆にくれても故人のためにならぬなら、いつまでも神妙に頭を垂れている筋合いはない。 一転して座が活気づいた。 「みんなで真っ赤なべべ着て、葬式で踊り狂うってのは、どうだい?」 「俺らが踊っても源内さんは喜ぶまいよ。陰間茶屋のお稚児さんにやらせたほうがいい」 突飛な発想が故人を喜ばせるとなれば、おのおのが知恵を絞り出す。 「贔屓ってんなら、路 考 を呼ばなきゃ、話になるめえ」 源内が歌舞伎の女形、二代目瀬川菊之丞に入れ上げていたのは有名な話である。路考は、菊之丞の俳名だった。 ──その程度の思いつきで源内さんが魂消るものか。 重三郎は独りごちた。型破りで知られる源内が、誰でも考えつく凡庸な筋立てを面白がるはずがなかった。 調子に乗ると悪ふざけも度を超してくる。棺桶を飾り立て、皆で担いで御堀端を練り歩くだの、源内を〈平賀権現〉として祀るだの、奇策が次々と飛び出した。 その時だ。尖ったようなキンキン声が、早口で言い立てた。 「源内さんは死んでない、ってことにするのは、どうだ」 疾風が塵を吹き飛ばすように、騒めきが消えた。 二 ──源内さんの死をなかったことにする? そりゃ、傑作だ。 重三郎は思わず膝を打った。 ──つまり源内さんを甦らせようって趣向。面白い。だが、そんな夢みたいなことができるのか。 重三郎は何か思いつくと、とことん考えねば済まない性格だ。眉間に気を集め、思考を深める。 医者が診立てたのだから、源内が死んだのは事実だ。 ならば、死を伏せたままにしておくのはどうか。 源内は方々に顔が広いが、裏を返せば、各方面に限っての付き合いは浅い。多忙で留守がちと世間に触れ回っておけば、源内の他界は隠しおおせるのではあるまいか。 ──いいや。 重三郎は即座に打ち消した。 この先、源内が何の行動も起こさなければ、いつかは不在を見破る輩が出てくる。源内の死を隠し通すには、やはり生存しているという証が必要だった。 考えているうちに、頭の奥でいい考えが閃いた。 「身代わりを仕立て上げ、源内さんが生きているように見せかけるのは、いかがでしょう」 「馬鹿も休み休み言え。源内さんは戯作のみならず、本草学、医学、鉱山学にも功績を残している。それほどの人物が、滅多矢鱈に巷を歩ってるわけがない」 平角が憮然とした表情をつくった。 平角は源内の弟分を自任している。源内を「唯一無二の存在」と公言して憚らない、筋金入りの信奉者だった。重三郎のような若輩が、軽々しく身代わりを立てるなどと発言すれば、機嫌を損ねるのは当然だ。 重三郎も引かなかった。何の根拠もないが、己の思いつきに手応えを感じていた。 「源内さんほど多彩な才を持った人はいない。それは承知してます」 「ではなぜ、そんな馬鹿げた思いつきを口にする」 平角はまだおかんむりの態だ。平素、大勢の家臣に傅 かれる平角は、一度機嫌を損ねると、すぐには元に戻らない。 「身代わりが源内さんの仕事を一手に引き受けるのは無茶な話。でも、ここにいる人々で分担するんだったら、どうです」 重三郎は皆に問うつもりで、座を見回した。 「分担? どういうことでえ」 治郎兵衛の頭が傾いだ。 「たとえば、絵師は源内さんの号で好きな絵を描く。戯作者は源内さんの筆名で本を出す。各々が得意な方面で源内さんになり済ませば、生身の身代わりはいらない」 重三郎が自信たっぷりに言い終えた途端、庇から音を立てて雪が落ちた。 「お前は……とんでもない話を考え出したな」 虚をつかれたように、南畝が目を瞠った。 と同時に「面白い。全く面白い」と呟く。 「いかにも奇天烈な思いつきだ。ただ、手分けして演じたとして、源内さんになりきれない部分があるんじゃないのか」 「平角の言うとおりだ。源内は秩父で火浣布を作ったり、鉱山の調査をしていたりした。その方面の仕事を代われる奴は、この中には一人もいねえよ」 治郎兵衛が断言した。 明和の初め、源内は武蔵国野中村の名主、中島利兵衛と共に秩父の山奥に分け入り、石綿を発見した。その石綿を元に小さな火浣布を織らせ、御上に献上した。 さらに、清の商人から寄せられた馬衣用火浣布の注文に応えるべく、大判を製作しようと腐心していた。 結局、大判は完成していないようだが、つい最近まで利兵衛の持つ工房を訪れ、織物の指導をしていたはずだった。 秩父の中津川村に赴いてもいた。金、銀、銅、鉄を採掘すべき山を見立て、実際に開発もした。昨夜の田沼邸でも、酒に酔う前から鉱山開発の重要性を力説した。 火浣布製作を継続し、鉱山開発を進めるのなら、今後も利兵衛と共同作業をしなければならない。源内と似ても似つかぬ人間が訪ねれば、猜疑心の強い利兵衛から、門前払いを食わされる可能性があった。 「似た風貌の男を探し出せばいい。我々で身代わりになれないところは、そいつに動いてもらう」 「そんな都合よく似た男がいてたまるもんか。少しばかり似てたって、源内を知る奴が見たら一目瞭然。たとえば、身代わりが玄白先生とばったり出会っちまったらどうする」 口に含んだ水を吐き散らすような調子で、治郎兵衛が言った。 ──玄白先生のことを忘れていた。 重三郎は額を押さえ、天を仰いだ。 話題の主は杉田玄白という蘭学医。小浜・酒井家の奥医師をしている。源内とは以前から親交が深いが、近頃は父親の体調が悪く、病床に付き添っている。源内の死はまだ知らないはずだった。 「仰る通り、少し似ているくらいでは玄白先生に見抜かれてしまう」 重三郎は声を落とした。 「先生は糞真面目なお方。源内さんの身代わりを創り出すと聞いたら、縁起でもないと計画をぶち壊しにかかるかもしれない」 「そうだな……いや、ちと待てよ」 着物の襟に顎を埋め、治郎兵衛が考え込んだ。時折、うー、と低い唸り声を発するのが薄気味悪い。 「何かいい考えでも?」 「いいことを思いついた。重三郎、耳を貸せ」 治郎兵衛は襟元にめり込んだ猪首を、ぐっと引っ張り上げた。 「ちょっと俺に心当たりがある。とりあえずお膳立てをしてやるから、あとはおめえの才覚次第だ」 と囁く治郎兵衛の面には、水に墨液を落としたような邪な笑みが広がっていた。 «第一章 佐助の憂鬱
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