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2012年9月5日水曜日

Baloney! - 「花零れり」/ 風花銀次

 花零れり◎風花銀次

 ご存じの方はご存じのとおり(あたりきの話で、ご存じでない方はご存じない)あたしはへたの横好きで虫や花やを写真に撮ったりなどして遊んでますが、生まれついての酒飲みゆえ運転免許なんて結構なものを持っていず、いくら虫がたくさんいそうでも、うっかり郊外の山奥なんて行ったら帰ってこらんなくっちゃうおそれ大いにこれありだから、公共交通機関だけで移動できる都区内での撮影がもっぱら。
 したがって虫といっても写ってるだけでみんなの気を引くような珍虫奇虫のたぐいはまったくなく、そんじょそこらにいくらでもいるありふれた虫のあれこればかり。
 はい、あたしは俳句や短歌では師匠というものを持ったことはございませんが、写真に関しては「風々齋」に写真を提供してくれている虫仲間のほそみさんに少々の手ほどきを受け、師匠のようなものといえなくもありません。広角レンズやマクロレンズを使ってのけれんばかりを請うて教わり、自己満足の写真を撮っていますが、まあ、よい気分さ。
 けれんなんて、どっかで聞きかじった言葉を生意気に使ってますが、要するにこけおどしです。最初にへたの横好きといったとおりで腕がなく、こけおどしやはったりに頼っちまうんですね。しかも、そのこけおどしやはったりは当然オリジナルなアイデアなんかじゃないんだが、うん、よしとしよう。
 ところで腕がないだけでなく、あるじがっていても宿六だから立派な機材をそろえるようなもなく、あまりちょこまか動き回る虫は撮れないから、なるべく動かずにいるやつということで、せっせと子孫繁栄に励んでいる最中の写真なんかが増えてきました。師匠譲りってことになるんでしょうかね。人間のそのような営みをピーピングすると犯罪になっちまうところ、相手が虫だと生態写真てことで許してもらえるんでらくちん。
 ふうん、そんじゃ Homo sapiens の交尾だって生態写真てことにすればよ
さそうなものなのにね、なんてことはどうでもよく、お話を続けたいんだがよろしいか。よろしいかなんて澄ましてねえで勝手にすりゃあいいんだ。てめえの署名で書いてんだもの。
 まことにそのとおり。では遠慮なく。

  春は菜の花。こがね色のなみうつひまの葉がくれに、 紅 娘 てんとうむしの、うしろ
  よりひよどりごえのしかたでしかけたる。

 テントウムシが夏の季語だなんてだれが決めたのか。成虫で越冬したテントウムシの、春の陽気に誘われての生殖三昧に詩情や俳味を感じるあたしのような人間はどうすりゃいいのか。どうすりゃいいのかったって好きにするだけのことで似而非季語なんぞに興味はない。つまりテントウムシを季語とは認めない。
 勝手ですね。
 どうも明治以降(てか、特に戦後か)むやみやたらに季語が増えた様子ですが、これは本来無季の雑句をむりやり有季定型の伝統俳句とやらにでっちあげるためのいんちきと、もうひとつ、新しい歳時記の編纂にあたり、有象無象の俳句結社の主催者の句を採ってもらうために無知蒙昧の弟子たちが季感もへったくれもない新季語を粗製濫造申請したことが理由と愚考する。
 このため収録語数の多さだけが自慢の歳時記には、あほかいな、としかいいようのない季語も多く、似而非季語という所以なんだが、だからといって、その語を使わないという法はなく、あたし個人は季語として使わんように気をつけるのみ。季語てものは共通認識コ モ ン セ ン スでなくちゃいけません。
 てことで、歳時記を開いて初めて見かけた季語の本意を訪ねもせずで一句ひねり出す自称伝統派とやらの連中も、「季語なんて古臭い」て理由だけで、これをやめちまおうという革新派気取りの連中(いまだにいる)も、ひとしくお子様にすぎず、なるべく関わりを持たずにいますが、ちゃらんぽらんなあたしは有季も無季もどっちでも。
 なんて柄にもないことをしばしば申し述べながら話を進めます。
 はい、テントウムシは漢字では紅娘のほかに瓢虫、天道虫などと綴る。ちなみに中文で紅娘(Hóngniáng)は「仲人」「月下氷人」をも意味し、伝奇
小説『鶯鶯伝おうおうでん』を脚色した元代の戯曲『西廂せいそう』が、いまでは『紅娘』て外題の京劇に。「願普天下有情的都成眷属 す い た ど う し ね ん ず れ ば く っ つ く」て主題だそうですが、観たことはありません。
 余談ついでにグーグル翻訳で「紅娘」を訳すと「マッチ製造業者」と出るのは、紅娘=matchmaker(仲人)からの連想ゲームめいた誤訳で、なんで
だかぐっとくる。
 わが国では一般に「天道虫」の表記が好まれるようで、その理由が日の本の国だからかどうかは知らないが、日本だけでも約百五十種が棲息するというテントウムシのうち、特にポピュラーなのがナナホシテントウ(七星瓢虫 Coccinella septempunctata)、ナミテントウ(並瓢虫 Harmonia axyridis)あたりだろうか。ナミテントウには標準和名にテントウムシが用いられたこともある。これらは見た目からも紅娘の表記がふさわしい気がするね。
 ただしナミテントウなんかは体色の変異が多いから、ぼんやりしていると別種同士でいたしてるような勘違いをやらかす。だが虫の生殖器はまさしく鍵と鍵穴の関係で、種が違えば抜き差しなんないどころか基本的に入りもしない。例外もあるようだが、属のレベルで違えばまず入んないことになってるんだそうだ。
 上記二種のほか、前翅に市松模様を持つ小さくてかわいいヒメカメノコテントウ(姫亀甲瓢虫 Propylaea japonica)など肉食のテントウムシたちが農業害虫を捕食する益虫として知られる一方で、草食のニジュウヤホシテントウ(二十八星瓢虫 Henosepilachna vigintioctopunctata)たちは農作物を食害する害虫ということになっている。いずれにしたって人間の勝手な言い草だから当の虫たちの知ったことじゃない。
 鞘翅目はだいたいうしろからするしかたで、テントウムシのように背が山なりにまるくなっていると、お腹が背中につっかかり、ひっくり返りそうな彼氏が腰を使いながら前脚を宙にばたつかせるのも滑稽。でも、脚があと四本あるんでよかった。
 しかも、よくよく見ると彼女たらアブラムシ(油虫上科 Aphidoidea)を
賞味なさってたりしてはしたない。あたしらの感覚では、あの最中だってのに食べかけのお菓子なんかがいいひとの口元にぶらさがってたら興ざめだけど、これが虫の世界じゃスタンダードといえなくもないんだね。
 テントウムシにはないが、求愛給餌、婚姻贈呈という行動をする虫がいて(鳥にもいる)、要するに「めしおごるから、やらせろよ」ということで、
プレゼントした餌に彼女が夢中になってるうちにやっちまう。
 といってもガガンボモドキ(擬大蚊科 Bittacidae)では大きなプレゼントを用意できなきゃもてないらしく、なかなかたいへんそうだし、オドリバエ(踊蠅科 Empididae)の仲間にはプレゼントを絹で包むものがいたり、シリアゲムシ(挙尾虫科 Panorpidae)なら手料理の肉団子を贈るものがいたり
と、もてるため、みな、それなりに気を使っているようで、まめでないあたしにはできそうもない。虫に生まれなくてよかった。
 次に、夏は、と枕草子のパロディを続けようと思っていたが、どうしたものか。虫の種数は膨大で好きな虫を選ぶのもむつかしい。地球上の動物種の半分以上が虫だってんだからむべなるかな、だ。
 だから、パロディはやめにして、トンボにいこう。俳句では秋の季語で、これにはべつに異存はない。
「夏にもたくさんいるよ。赤とんぼなら秋だろうけど」という向きも当然あ
ろうが、夏だと思っているそのときが秋ということもある。節気の立春・立夏・立秋・立冬をそれぞれの季の始めとする合理性に基づかなければ、季語は決まりごととして成り立たない。「涼しくなったら秋」てんじゃ、人それぞれだし、たとえば残暑なんてものは金輪際ありえないよね。
 といいつつ、多く見られるのは秋だが、トンボはたしかに夏にもいる。
 そんじゃ夏のトンボを俳句に詠みたいときはどうすればいいのか、とは初学の者によくありそうな疑問だが「その語を使えばその季節になる」というものでもないからお好きなように。
 もし夏のトンボを詠んだのに秋だと思われたってんなら詠みようが悪いんだろう。要するに本意なしってことじゃないか。もしかしたら読者の読みように問題があるのかもしれないけれど、おそらくは秋だとしても構わないような句にちがいない。どうしても夏だってことにしたきゃ詞書てえ便利なものがある。
 てことでトンボは秋でよろしい。近世俳諧にも

  とんぼうや急に干上げし羽の皺  素丸
  蜻蛉の尻でなぶるや角田川    一茶

 などが秋の句として見える。
 これらの句はナイーブな感覚でいうときの、いわゆる普通のトンボ(不均翅亜目 Anisoptera)を詠んでるんだろうね。イトトンボ(均翅亜目 Zygoptera)なら初夏から仲夏にかけてのイメージだもの。もちろんイトト
ンボは晩夏にも秋にもいるし、成虫越冬する種があることも承知のうえで、あくまでもそんな感じがする、という程度のこと。近世俳諧でイトトンボを詠んだ句を思いつかないが、これは単に勉強不足かもしれないから、多くを語るのはやめておく。
 近世よりうんと遡ればトンボの古名は「あきづ」であり、「秋に出づ」を約したのが語源だとか。そしてあきづといえばあきしまで、わが国を指す美称。『日本書紀』によれば神武天皇が国見をした際、狭い国ではあるが「蜻蛉 あきづなめの如くにあるかな」とのたまい「これりて、始めて秋津洲の有り」。
 よりによって国土の形をたとえるに首長自ら「蜻蛉の臀なめ」とは、じつにおおらかでよろこばしいかぎりだ。臀なめはトンボが連結しているさまで、俗にいう「つるみとんぼ」のこと。テントウムシとは逆で、前が彼氏で後ろが彼女だ。
 トンボは生殖器を、ほかの虫たちと同じく腹部後端に備えるが、彼氏は、ここを彼女の首根っこを押さえるために使うので、まず腹部前端の貯精嚢に自らの腹部後端をくっつけて精子をたくわえておく(よくわかんないね。自分自身といたすような感じか?)。それから首根っこを押さえられた彼女が
腹部を前に曲げて貯精嚢から精子を受け取るという段取り。
 このとき、ちょいといびつなハート型のような輪っかになるので、おねえさんたちは「かわいい!」などというが、産卵のときまでくっついて飛んでんのは浮気防止のためだぜ、ってえと「うざい!」だって。
 わからなくはないけれど、鳥など上空からの天敵にまず襲われるのは彼氏のほうだから、身を呈して彼女を守っているともいえる、と念のためにいっておく。
 チョウは春。これにも異存はない。種を問わなければ通年見られるが、現代俳句は夏蝶・秋蝶・凍蝶などの季語を発明した。なんだかなあ。
 近世でも支考に「薬園の花にかりねや秋の蝶」なんて句があるじゃない、という人はなかなか勉強熱心(と偉そうなことをいってみる)。しかし支考
の句は本来「秋」一語をもって季語とすべきじゃないかしらん。同様に白雄の「石に蝶もぬけもやらで凍てしかな」も「凍てし」のみを季語とすべきだが、凍蝶の項に採る歳時記あり。
 この白雄句について、いわでもの解説。「石に蝶も」「ぬけもやらで」ではございません。「もぬけ」は脱皮の意味だから、凍てついて動かずの蝶は脱皮もしないのに抜け殻みたい、てな感じになるでしょうか。
 さて、いい年をして虫なんかを追っかけ回していると植物、花にも興味がいくのは自然のなりゆき。
 そんで花といえばサクラてのが古今集以来の日本人のお約束で、約束したおぼえなんかなくたって、ちゃあんとみんな知ってんだからたいしたもの。
 ちなみに、サクラはバラ目バラ科サクラ属の植物(Cerasus sp.)の総称
で、野生種は世界に五十種もないくらいだが、変成種や交配種、園芸種を含めると日本だけでも六百種超を数え、うち半分の三百種が江戸時代までに存在していた、つまり作出されていたとのことだから、あたしら日本人てものは、ほんとにサクラを好いてるんですね。
 六百種以上もあると花期もそれぞれだから、うまくすれば都区内でも半年以上ぶっ通しで桜の花が楽しめる。染井吉野に飽いたという方はお試しあれ。以下に主なところを挙げておく。
 まずは十 月じゆうがつざくら福桜ぶくざくら。花期は十月から一月上旬、春にも咲く。飛鳥山公園や浜離宮庭園、新宿御苑など。冬桜ふゆざくら、十一月から一月。赤坂見附交番脇にある冬桜は街宣車のいないときがおすすめ。ざくらは十一月下旬から一月上旬ころで小石川植物園など。松の内に熱いお茶でする花見もおつりきで俳味なしとしない。
 早春の二月には寒桜かんざくら河津かわづざくらが北の丸公園、大横川親水公園などで三月中旬ころまで。二月中旬から三月下旬、寒緋かんひざくら。都内では品川区の荏原神社が最も早いことで有名。寒緋桜が終わって四月になると衣通姫そとおりひめ思 川おもいかわ妹背いもせ駿河台匂するがだいにおいほか、じつに多くの品種が花期を迎える。いたるところにいろんな品種が植わっているから行き当たりばったりでどうぞ。霞桜かすみざくらが有栖川宮記念公園などで五月上旬ころまでか。
 なお開花時期は年ごとの気候によっても植わっている場所によっても変わるから、だいたいの目安だと思っておくんなさい。
 と、このように八カ月近くにもわたって楽しめるのだが、それでも花も桜も春の季語にきわまっていて、びくともしない。
 花も桜も、といったのは、花といえば桜がお約束でも、季語としては桜そのものに限定せず、はなやかさや豊穣の観念をも示すものだからだ。年中なにがしかの花が咲いているにもかかわらず四季の始めの春の季語とするのは予祝のようなものでもあるんだろうね。
 だから花を含む合成語を独立した新季語(しかも春の季語)としてつくり放題につくるのはいただけない。めでたさが減っちまう。それにコードとしての季語は全体にシンプルで、数も少ないほうがよろしい。すりゃあ、考えなしに句作するやつも減るんじゃないか。
 虫を追いつつ花の写真もよく撮るが、花は清楚な風情が好きなので、ゴージャスというかリッチな感じの写真は撮らず、生半可のわびさびを申し述べたりしています。だけどリッチじゃなくてエッチなら、と思った途端、清楚でなくてもいいんじゃない、と転んじゃった。
 そもそも花なんて植物の生殖器なわけなのに大事な隠し所を隠しもせずで清楚もなにもあるもんか。あったらあったでなによりだけど、たわむれにBotanical Pornなどと題して撮り狂い。
 一月のとある日、熱帯植物館で蘭が御開帳てお話だから行ってきた。
 蘭のみか、いろいろの植物がどうせ見せびらかしてるあそこだもの、いやよもいわせずマクロレンズで大写し。雌蕊はとっくにお湿りで膨らみきった葯が花粉をこぼすのを待っているが固くとざされた温室の奥ゆえ訪花昆虫の影もなく、とどのつまりじれっぱなし。
 それにしても、あんなことを虫に手伝わせようなんて、いったいどんな顕花植物が始めたのか。情けをかけてもらえずうなだれたウナズキヒメフヨウ(頷姫芙蓉 Malvaviscus arboreus var. mexicanus)に「あたしは自分たちでするしかたしか知らないけれど、どんな感じだい」なんて話しかけていたら、怪訝そうな顔をした学芸員のおねえさんが通りかかった。
 ためしてみようか、なんていわねえよ。叱られっちまうからね。

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