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2012年12月15日土曜日

ひとり兎園會 2 「肉人」/ 齋藤幹夫

 ひとり兎園會 ―其之貳 肉人―                       齋藤幹夫

  神祖、駿河にゐませし御時、或日の朝、御庭に、形は小兒の如くにて、肉人ともいふ  べく、手はありながら、指はなく、指なき手をもて、上を指して立たるものあり。見る  人驚き、變化の物ならんと立ちさわげども、いかにとも得とりいろはで、御庭のさうざ  う敷なりしから、後には御耳へ入れ、如何に取りはからひ申さんと伺うに、人見ぬ所へ  逐出しやれと命ぜらる。やがて御城遠き小山の方へおひやれりとぞ。或人、これを聞て、  扨も扨もをしき事かな。左右の人たちの不學から、かかる仙藥を君に奉らざりし。此れ  は、白澤圖に出たる、封といふものなり。此れを食すれば、多力になり、武勇もすぐる  るよし。                         「一宵話・卷之二」より  牧墨僊
 地震の予兆と云われるものに、犬猫、鴉の異常行動、龍宮ノ遣いが打ち上げられるなどの生物絡みのものや、地震雲、夜空が明るい、紅い月など自然現象によるものと様々ある。どれを取っても年がら年中起きている事象で、私にしてみれば眉唾物でしかないが、備えあれば憂いなし、の観点で個々が用心するのであれば悪いことでは無い気がする。それを「夜中なのに鴉が鳴いているから近いうちに地震が」などと普段どれだけ早寝なのだと思わせる莫迦や、低空の月を見て「月が赤いから地震が云々」と大気の層と光の波長の関係すら知らず、騒いでいる阿呆どもには局地的直下型地震でも発生すれば良いのにと思ってしまう。1995年1月17日の阪神淡路大震災の時は、赤い月の報告が(発生以降に、そう云えばと)多くあったそうだ。その年その日の月は望。月の出は前日の16時52分、夕刻である。さぞや多くの人が通勤通学の帰宅途中に「紅い月」を見たことだろう。正中付近において紅い月が見られれば、妙だ、変だと思いもするが、月が紅ければ、すわ地震が近いと思っている方々は、低空の紅い月を見ても気を引き締めておられるのであろうから、これ以上とやかくは申し上げないでおこう。
 いにしえから今日まで、月は凶事変事を伝える道具としてあらゆるジャンルに登場する。『一宵話』には1609年(慶長14年)3月4日には近畿地方の空に四角い月が昇ったとある。北園克衛の詩の「正方形の月が出ているぼくの孤独」を自然思い出してしまうが、光学現象で実際にも四角い月は見られるらしい。しかし『一宵話』に出た月は、その一カ月後の「肉人」の出現を予兆するものであったようだ。徳川家康の前に現れた肉人は、『一宵話』では『白澤圖』の「ほう」と推測されている。そもそも『白澤圖』とは、紀元前2500年頃、夏王朝以前の帝「黄帝」が、伝説の聖獣「白澤」より、あらゆる災厄を齎す11,520種類の妖怪鬼神への対処法を聴かされ、それを部下に纏めさせたものとされている。その11,520種類の妖怪鬼神のひとつに「封」があると云うのだが、『白澤圖』なるものが他の書物の中でしか伝わっていないものであるから、明確はっきりとしていない。「封」については『本草綱目』にも載っており、これの説明も『一宵話』と似たようなものであり、食すれば戦闘力がアップすると云ったゲームのアイテムのような効果があるとされる。また、似たようなものでは『山海経』に、牛の肝臓に目がついたような塊、傷を付けても自己再生することが出来る「視肉」と云うものがある。「視肉」は不老不死の妙薬と云われ、『史記』には「太歳」という呼名で出てくる。余談だが、「太歳」は2008年中国陜西省で発見されたと云う報道があった。専門家(一体何の専門家だか)が調査して生命反応が見られたと云う報道以降なにも聞こえてこない。誰か食ってみたのだろうか。百年後、二百年後に『2008年中国陜西省で発見された「太歳」を食べていまだ生きている人間』なんて報道があったら、私なんか色んな意味で胸をときめかすこと間違いなしだが、残念なことに私自身が生きていられないだろう。余談ついでに、人間様はなんでもかんでも口にするもので、よく海鼠を初めて食った人は、と聞くが、これは海鼠の形状からして「太歳」と似たような不老不死伝説が関係するのかと思ってしまう。兎に角「太歳」なるもの、現存する生物の中で最古の生命体で白亜紀を起源とし、あらゆる生命体の祖という説もある。また所謂粘菌、つまり変形菌であり移動しながら微生物などを摂食し胞子繁殖する、動植物と菌類の性質を併せ持った生物ではないかと云う説もあり、私には後者の方がしっくり来る。
 駿府城に現れた肉人が、封、視肉、太歳ではないかとする説は、不老不死への憧れ強き家康の逸話を受け発展していったのではと考えられる。別の説には、凡そ楕円形の肉の塊に眼鼻口にも見える襞皺があり、その顔の如き所からこれまた肉塊の四肢の如き物が突起した一頭身の妖怪「ぬっぺふほう」がある。これは怪事、変事の因を、妖怪を用いて説明すると云ったものではなく、むしろ面白可笑しく当て嵌めたもののように思える。実際にぬっぺふほうが現れたなどとはおそらく誰も思ってはいないだろうが、駿府城の怪事を楽しむにあたって、これはこれで成立するのではなかろうか。依然として、四角い月をUFO、肉人をこれまた宇宙人とまことしやかに口にする輩が少なからず見られるが、こちらは完全無視としよう。三度みたび余談を連ねるが、肉人らしい話には『日本靈異記』にも記述がある。

  昔佛在世の時に、舍衞しやゑ城の須達すだつ長者の女蘇曼そまんが生める卵十枚、開きて十男と成り、出
 家して皆、羅漢果らかんくわを得、城の長者の妻、懷妊して一つの肉團ししむらを生み、七日の頭
 ニ到りて、肉團開敷きて百の童子有り、一時に出家して、百人とも阿羅漢果あらかんくわを得たり。
                            『日本霊異記』下巻 十九

 駿府城下の或る家に、何の因果か因縁か、憑物祟りの類かと思うばかりの、現在でこそプロテウス症候群と名の付く病を患う人があった。働く事も出来ず、父母に食わせて貰ってただ生きるのみ。ただの穀潰と云えども親にしてみればわが子はわが子。愛おしくはあるが恨みは無い。しかしゆくゆく先は親が死ぬのが粗方の常。そうなればこの子も飢え死に、野垂れ死ぬ運命。いっそ見世物小屋に引き取ってもらえば飯の食いっ逸れはないだろうとも父母は考える。ある日、その子を一夜貸してはくれぬか、只とは云わぬ、見世物小屋にも口が利くと云う者達が訪れる。この者ら、面白き事無きこの世を面白く、己らが楽しければ金に糸目は付けず、己が命も賭すると云う酔狂な輩達。この度は家康の不老不死狂いを揶揄からかってやろうと策を練っているのであった、と云うプロットの創作物は如何だろうか。史実と創作を絡めあわせて、肉人登場の絡繰からくりを、宇宙人は論外として、妖怪、物の怪を理由にせずとも、面白い読み物を完成させることが出来るだろう。因みに、プロテウス症候群とはあの『エレファント・マン』のジョセフ・メリックのそれである。『日本靈異記』の説話もこの病を基にしているのかも知れない。
 私の妹は学生の頃、帰宅途中に「女の『野箆坊』」を見たと云う。ぬっぺふほうではなく、人のなりをして顔がつるりと眼鼻口の無い「のっぺらぼう」である。二十数年経った今日でも、見たのだと頑として譲らないから、何かしら見たのであろう。逢魔時に、眉が薄くて目の細い低い鼻の口が小さく唇の薄い方を見ただけの、見間違えられた方に対して大変失礼な話かもしれない。わが故郷は海岸から山までが狭い地形で、わが家は山の近くにあった。山と云っても小さく低いのだが、そこにはいたちが生息していた。何百年も生きた鼬はむじな変化へんげすると、草野巧の『幻想動物事典』にはあるが、妹の見たものがラフカディオ・ハーンよろしく「MUJINA」でもあるまい。(むしろ何百年も生きた鼬をこそ見てみたい。)兎にも角にも「再度の怪」こそが野箆坊の面白味。息急き切って帰って来た妹に「He! Was it anything like THIS that she showed you?(へえ! その女が見せたものはこんなんだったかえ?)」と己の顔をのっぺらに出来ないこの私、兄貴として不甲斐無い。
                    ひとり兎園會 ――其之貳 肉人―― 閉會

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