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2012年12月26日水曜日

蟲雙紙 015 「文机のよこに…」/ 風花銀次

 蟲雙紙〈十五〉       風花銀次

文机のよこに、あをきかめのおほきなるをすゑて、櫻の若葉いみじうしげりたる枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、文机のうへに葉こぼれ落ちたる、ひるつかた、雌赤緑小灰蝶めすあかみどりしじみの、少しなよらかなる終齢幼蟲、のこりぎくのかさねたるごとき、いとあざやかなるが這ひまはりたり。書く手をやすめ見入りてあれば、茶をもてきたる家人、有職故實も知らぬげになどいふ。

 王朝文学なんかを読んでますと、大きな壺や瓶に桜を盛大に生けてたりするんで、「桜切るばか梅切らぬばか」なんていうんじゃなかったっけ、と心配になっちまいますが、この俚諺は桜と梅の剪定法の違いを述べたもので「桜は切らずに折るのがよく、梅は折らずに切るのがよい」てことらしく、けして昔のやんごとなき方々がばかだったてんじゃあないようなんでなにより。よかった。
 そんで桜を生けてたとしても、花より葉っぱが大事な風情なら、きっと桜を食樹とする虫を飼育してるに違いない。
 桜を食樹とする虫ったっていろいろあるんですが、都会に住んでる人たちには紋黒天社蛾もんくろしやちほこ白灯蛾しろひとりなどの幼虫、つまり毛虫のイメージが強く、いい印象はもってないかもしんないね。
 都会じゃあんまり、てか、まず見らんないんだが、やはり桜を食樹にする雌赤緑小灰蝶は、いわゆるゼフィルスとよばれるグループの美麗な蝶で、橅科から食性転換したらしいとのこと。
 それにしても、こんだけばかみたいに桜ばっかりぎょうさん植わってんだから、東京都心にもいてくれるとうれしいんですが、あたしをうれしがらせるのが仕事じゃないんでしょうがないね。
 ついでにいわずもがなをいっちまうと、ゼフィルスの語源てものは、希臘神話で春の訪れを告げる西風神ゼピュロスで、この神さんときたら、花神フロ|ラてちゃんとした女房があるのに、あちこちの物語でいろんな女神とできちまってるもんだから、けしからん!と怒る向きもあるんですが、そんななあ嫉妬と羨望の裏返しだぜ、としたり顔でいわれんのもいやなんで、あたしゃはなっから羨ましさを包み隠さず「女房がたくさんいたっていいじゃない。かみさんだもの」と申し述べる次第です。八百万いるらしいよ。
 はい、もちろんてふてふのゼフィルスはゼフィルス同士、同じ種同士で夫婦になってます。あたりきですね。おたがいお相手がどんだけいるかは聞いたこともないんで知んないけども。
 ちなみに残菊は表黄色、裏白の襲色目で秋着用。雌赤緑小灰蝶の幼虫もそのような配色なので「有職故実を知らねえな」となじられたわけだね。

1 件のコメント:

  1. 【現代語訳】
    文机の横に大きな青磁の瓶を置いて、桜の若葉がよく茂った五尺くらい枝をたくさん挿したの。文机の上に葉がこぼれかかっているお昼ころ、残菊の襲を着たみたいに黄色と白のあざやかな、メスアカミドリシジミの少しやわからそうな終齢幼虫が這いまわっていたから、書き物の手を休めて見ていたら、お茶を持ってきてくれたうちの人ったら「有職故実も知らないんだね」なんて言うのよ。

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