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2012年10月24日水曜日

蟲雙紙 006 「おなじ蟲なれども…」/ 風花銀次

 蟲雙紙〈六〉        風花銀次

おなじ蟲なれども、きき耳ことなるもの。つくつく法師。鈴蟲。松蟲。蟋蟀こほろぎ螽斯きりぎりす。おほよそ蟲の音は聞くひとにより聞きなすものなり。

 つくつく法師は「ツクツクボーシ」と鳴くわけでもなければ「オーシツクツク」と鳴くわけでもない。そのように聞く人があるというだけのことで、たとえば古くには「筑紫恋し」と聞いていたことが横井也有の『鶉衣』に見えます。
 どう聞こえるかは聞く人次第というあたりきを述べたわけですが、このあたりきが通じない人というのも世の中にはあって、すべての人が同様に聞きなすという前提で、鈴虫と松虫に呼称の交替があったのなかったのと不毛な論争を繰り広げていたりするんだから、学者さんにも案外暇な人たちてなあいるものなんですね。
 はい、「虫のこえ」という、みなさんおなじみの唱歌がございます。この唱歌の歌詞、もとは「きりきりきりきり きりぎりす」だった部分、「螽斯はキリキリとは鳴かない」という昆虫学者たちの尻馬に乗った国語学者や国文学者が「今の螽斯は昔の蟋蟀、昔の螽斯は今の蟋蟀」などと益体もない難癖をつけた揚げ句「きりきりきりきり こおろぎや」とまずい歌詞にかえさせちまったってんだから野暮の極み。昭和七年のことだとさ。
 もちろん蟋蟀だってキリキリとは鳴かない。そのように聞ききなす人が多数派であるとはいえるけども。
 そんで、螽斯の場合「ギイギイ」と繰り返して「チョン」と間の手を入れる感じに聞きなされることがほとんどですが、だからといって詩人が「ギイギイ」のところを「キリキリ」と聞きなしたとしても、きりきりしやあがれ、の「きりきり」だったとしても、文句を言われる筋合いはありません。
 筋合いはなくたって、どうしても道理を引っ込めさせたいという暗い欲望に衝き動かされる手合いはいつの世にもいて、最近なら、ほら例の市長がそんな手合いだよ。

1 件のコメント:

  1. 【現代語訳】
    同じ虫の鳴き声なのに、いろんなふうに聞こえるのは、ツクツクボウシ、スズムシ、マツムシ、コオロギ、キリギリスあたりかしら。だいたい虫の声なんて、どう聞こえるかは聞く人によるものよ。

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