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2012年10月3日水曜日

蟲雙紙 003 「正月一日は…」/ 風花銀次

 蟲雙紙〈三〉        風花銀次

正月一日は、まいて空のけしきもうらうらと、めずらしうさき蝶など舞ひいでたるに、現世利益をもとめて列をなすひとびとには見えず、わらはべのいくたりか指さし、ゑまひてのち手を合はせたる、さまことにをかし。
七日、ななくさのほかの立ち枯れの草になにかの蛹、若菜つむをわすれ、いかなる蟲かと思ひめぐらすこそをかしけれ。持ち歸りて、いかなる蟲か賭けむといへば、家人さんざめき、穢し、捨てたまへ、などくちぐちにののしりて近う寄らざりけり。かつて「本地ほんぢたづぬるこそ心ばへをかしけれ。これがならむさまを見む」とて、よろづの蟲をとりあつめたる姫君ありしを知らざればなり。
賭事成らず、書齋に花器しつらへ枯れ草を插し、ならむさまはひとりにて見む。

 成虫で越冬する蝶は意外に多く、都心では蛺蝶たては蛺蝶たてはなどたてはちよう科のほか、黄蝶や裏銀うらぎんなどがいて、これらの蝶は真冬や初春でも暖かい日には代謝が活発になりうっかり舞い出てしまう。伝左甚五郎作「野荒らしの虎」でも有名な坂東十一番札所の吉見観音こと安楽寺では初詣の際にうっかり者の紫小灰蝶むらさきしじみが舞うのを見かけることたびたび。開いた翅の美しい紫色は目が覚めるようで、お元日のめでたさも倍増。
 新暦一月七日じゃ野に出て若菜を摘もうにも時期的に早すぎて七草はそろわず、結局は促成栽培のものをどこぞで購入するしかない、と塚本邦雄さんがお怒りだったと記憶しているが、巷間言われているように絶賛温暖化中の昨今ならば案外簡単にそろっちまうかもしれないね。
 さて『堤中納言物語』中の一篇で、変態の神秘こそ昆虫の魅力だから観察しましょう、と毛虫や芋虫など幼虫からの飼育に励むてのが「虫愛づる姫君」てお話なんだが、さりとて虫の記録などではなく、世間知のみに生きる人々と姫君との軋轢を描いた人間ドラマの名作だ。

1 件のコメント:

  1. 【現代語訳】
    正月一日は、まして空の様子もうらうらとして、珍しく小さな蝶が飛んでいたりするのに、現世利益を求める初詣の客たちは気づかないものね。子供のうちの何人かは蝶を指さして、笑い合い、手を合わせたりするんだけど、そんな様子がとてもかわいいわ。
    七日、立ち枯れした草になにかの蛹がついているのを見つけると、目当ての七草を摘むのも忘れて「なんの虫かしら」と考えこんでしまうのも楽しいものだわ。持ち帰って「どんな虫が出てくるか、ひとつ賭けましょうよ」というと、家族のみんなは、きたない! 捨ててちょうだい! なんて大騒ぎしてそばにも寄らなかったわ。むかし「ものごとの本質を究明する心ばえこそ大切よ。これが成虫になるところを観察しましょう」といって、いろんな虫を集めたお姫様がいたことを知らないのね。
    賭けは成立しなかったし、書斎の花瓶に枯れ草を挿してひとりで観察しましょう。

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