曼荼羅風 齋藤幹夫
――其之壱 天災―― ばかなことをいうな。いままでのおれとち がって、すっかり学問を仕入れてきたんだ。 あの野郎にひとつ天災をくらわしてやらあ。 古典落語「天災」より 居酒屋「曼荼羅風」は印度か西蔵 の外国の食いもんを出すか、創作料理とか云いながら生野菜の上に刺身を乗っけて小 酸 っぱい汁をぶっかけたカウパー氏だかカルパッチョだかっていう物を出すような店だろうと思っていたが、軒先には「めし」と書かれた赤提灯がぶら下がり、入口には縄暖簾が揺れていて、それを潜ればなんのことはない、頭がつるりと禿げあがり、ぷっくりと太った、おそらくは耳順過ぎて破瓜なる前かなと言ったところの大将が白の板前服で切盛りする大衆居酒屋である。料理は旬の物から切った物、焼いた物、煮た物、揚げた物、どれをとっても旨いし値段もそれこそ大衆居酒屋のそれであるから、私のような、財布の中身がお札よりも何処かしこの会員証と診察券のほうが多く、それでいて旨い肴で呑みたい者にはことさら嬉しい。店の中は、六人掛けの付場の前にくっ付いた長卓(大将がそう呼んでいるので)と、その後ろには一応座布団を四枚敷いて座卓を置いてはいるが、四人坐るなら通路側の二人は框に腰かけることになる。店の奥の厠へ誰か行こうものなら、膝を抱えて足を上げ、長卓と框の間を空けて通してやらねばない。要するに狭い店である。 屋号の曼荼羅風は「まんだらふう」ではなく「まんだらかぜ」と読むようで、曼荼羅は落語界の符丁で「手拭」のこと、風は「扇子」のことだとか。若い時分に高名な噺家に弟子入りし真打間近であったとかなかったとか噂のある、落語好きの大将が曼荼羅と風をくっ付けただけの屋号らしいが、客から「手拭と扇子は噺家にとっちゃ無くてはならぬもの。この店もそうなってほしいね」と云われたことから「そりゃいい。由来はそれにします」ってことで、爾来、客に屋号の由来を尋ねられればそこまでの件 を応えているので、良い屋号だねぇ、などと一度も云われたことがない。云われたことはないが、この地で三十年以上やっているのだから常連にとっては「無くてはならぬ」店なのだろう。私などは常連と呼ぶにはおこがましく通いだして精精二三年の新参者でしかないが、すでに「無くてはならぬ」店となっている。世間の、否大半は家庭の喧騒から逃れたい時に一人ふらりと訪れている。 今日も今日とてその家庭の喧騒から逃れ、長卓の一席を陣取り岩牡蠣の天麩羅を肴に芋焼酎のお湯割りをちびりちびりやっていると、真後ろの框の一卓を陣取っている馴染みの古老、大将は「贔屓にしてくれている熊さんと八つぁん」と呼ぶ御二方が喧々諤々とやっている。 「戸棚を開けたら開けたで閉めることを知らねぇたぁ、糞して尻 を拭かねぇのと一緒だ、なんて嬶の奴が云いやがるのよ。夫婦 になってこのかたずぅと云い続けやがって、何十年も云い続ける暇があんなら気付いた時に手 前 で閉めりゃ良いことだろうに。そうだろぉ、お前 だってそう思うだろう」 「思わねぇよ。そりゃあ閉めねぇお前が悪 い」 「そうじゃねぇんだ。云い方だよ云い方。夫婦になったばかりの頃はよ、お前さん、戸棚開けたらちゃんと閉めておくんなまし。頭をぶつけでもしたら大事ですよ。なんて云い方してたのによ、今じゃ糞しても尻を拭かねぇ畜生扱いだ。これじゃあどうだ、思うだろ」 「これじゃあどうだ、って随分威張ってるじゃねぇか。だから思わねぇって。夫婦になった時から云い続けて直んねぇんじゃあ畜生扱いもしたくならぁな、お前の嬶も。犬猫のほうがまだ云うことを聞く。どう足掻いたって悪いのはお前だ。それにでけぇ声で糞糞云うな。食ってる者 もいるんだから」 「薄情だねぇ、お前も。餓鬼ん時からの付き合いなのによ。そのうえ悪いのはお前だ、って譲らねぇ強情ときたもんだ。薄情に強情。同情の欠片もねぇ」 「同情なんかするかい。一杯 付き合えなんて云うから来てみればそんな話か、くだらねぇ。そんな話で手前の嬶の豚の尻みてぇな顔を思い浮かべながら呑んでも一寸 も旨かねぇ。俺ぁ帰 るぜ。おい大将、邪魔したな。勘定はこいつから貰っとくれぇ」 「何云ってやがんだ。手 前 の嬶の顔も牛の尻みてぇなもんじゃねぇか。慣れてるだろうに。おいおい本当 に帰っちゃうのかよ。薄情だな。薄情の二乗だ。……帰りやがったよ、熊澤工務店の野郎」 大将が「何やら大変そうですね、八 つ田 さん」と残った古老のほうに声を掛けた。 本当に「熊さんと八 つぁん」のようだ。 「応ともよ大将、聞いとくれよ」と八つ田さんこと八つぁんが徳利と猪口を左右の手に持ち、長卓の私の隣に移って来た。大将が皆まで云うのを「全部聞えてましたよ」の一言で遮った。が「聞いてたんなら話が早え。どう思うよ。俺ぁ今すぐにでも三行半を叩き付けてやりてぇぐれぇだ」と益々鼻息が荒くなる。そこに大将、続かせまいとしたのかは解らぬが、間に髪を容れず「夫婦喧嘩に三行半とは落語の『天災』ですな」と来たので、私も「大将、その『天災』と云うのはどんな噺で」とさらに追い打ちをかける。 古典落語「天災」とは、三日にあげず親子喧嘩に夫婦喧嘩。飯の後の腹ごなしと毎日三度三度喧嘩をやらかし、親しき仲にも礼儀無しの男、八五郎が女房と母親(死んだ親父のかみさんで、自分とは赤の他人と思っていたのだが)に離縁状を叩き付けてやろうと、それを書いてくれと頼みに行った先のご隠居に「お前のような気の荒い男は、心学と云うものを聞きに行け」と紅 羅 坊 名 丸 先生を紹介される。紅羅坊名丸先生は「気に入らぬ風もあろうに柳かな。柳のように心を柔らかく持て」「ならぬ堪忍するが堪忍。堪忍の袋をつねに首にかけ、破れたら縫え」と諭すが八公には此方のほうが柳に風、何処吹く風で全く効果がない。それでは紅羅坊名丸先生、喩 話 を用いて腹の立つことを天からわが身に降りかかった災難、「天災」だと思いなさいと諭せば、天とは喧嘩出来ねぇ、と八公もようやく納得し、良い事聞いたと帰っていく。長屋へ帰ると八公の女房が、同じ長屋に住む熊五郎が、離縁の片の付いていない時分に新しい女を連れ込み、そこに前の女房がやってきて長屋中の者で鎮めるほどの大喧嘩があったと伝える。さっき仕入れた学問の使い時だと喜び勇んで熊公の宅へ乗り込む八公だが、所詮浅知恵、うろ覚え。「気に入らぬ風もあろうに蛙かなよ。蛙は柳で、柳はやわらけぇや」とか「願人 の坊主が袋、ずだぶくろよ。破れたら縫え」と支離滅裂。強引に話を「天が来たと思えば腹が立たねぇ。これすなわち天災だ」と持っていく始末。そこで熊公「なーに、うちに来たのは先妻だ」と落とす噺。 「これに談志師匠は『天災と諦めろ』『先妻が諦めない』とさらに畳み込みます。流石です」と大将は「天災」の粗筋を語り終えると同時に蓴菜 の酢の物を「良かったら、召上って下さい」と差し出す。天災から前妻、蓴菜と来た洒落には何も触れずに後を続けた。 「八つ田さん。たかが夫婦喧嘩、と云えば非常に申し訳ないが、国書の古事記では国産み、神産みの伊 邪 那 岐 、伊 邪 那 美 の夫婦喧嘩が無ければ人間が滅んじまったわけですし、神代の昔からの付き物です。古事記と云えばあの岩戸隠れ、天岩戸の逸話だって阿蘇山の噴火という天災と照らし合わせれば説明が付くなんて云われてますよ。それから云うと夫婦喧嘩あらざれば人は無し。天災あらざればこの世は無しです。八つ田さんもひとつ天災だと思って。でも奥さんに戸棚を開けっぱなしにしたのを、天災だと思え、なんて云っちゃいけません。それこそ落語になっちゃいます」 それでも納得いかないご様子の八つぁんは反論する。「そうは云うけどよぉ。夫婦喧嘩は犬も食わねぇらしいが、そもそも食わなきゃ糞も出ねぇ。出なきゃ尻拭く道理もねぇ。それに古事記じゃ糞からも神様が産まれらぁ。附 子 は食わねど爪楊枝くらいの糞を放 る、とは云うがな」 云わない。云わないが八つぁんの気持ちが私には大いに解る。この私も家庭の喧騒から逃れたくてやって来ており、喧騒のもとは九割九分がかみさんで、やれ何処ぞの何々さんがどうしたこうしただの興味のない話を延々聞かされ「どう思う」と聞くから「どうでもいい」と答えれば「何だその返事は」と怒りだし、昼間買い物に行ったら急に雨が降って来たんだが何でだろうと聞かれ「上空に雨雲があったからだろう」と答えれば「そんなことは解っている」とこれまた怒りだす。何を返しても怒りだすのだから聞えない振り、生返事で済ませると、これはこれで怒りだす。女はただ共感を得たいだけ、話をして不満を解消したいだけだと良く聞くが共感できないし、此方に不満が溜まる。奴らは正解なんか求めてはいない。森羅万象を捻じ曲げていても自分の気分が良くなる返事がほしいのだ、と私のほうが八つぁんに話を聞いて貰っていた。八つぁんのほうもお前の気持ちはよく解るだの、その通りだ、間違い無ぇだのと相槌をうち、二人して話が盛り上がり、いつの間にかうちの嬶は、私のかみさんなんか、と「嬶の不満自慢」になってしまっていた。 「お前さんのお陰で随分とすっきりした。よし、この辺で御遑 するかな」 と八つぁんは勘定を済ませ、上機嫌の千鳥足で曼荼羅風を後にした。八つぁんが後手に引き戸を閉めると、あれで八つ田さん夫婦は仲が良いんですよ、と大将は笑っていた。 一人残された私はすっきりとした心持ちには程遠く、むしろ急に現実に引き戻された気分になっていた。 ――天災は忘れた頃にやってくると云うが、現妻は忘れたいのにいつも居る。 と云う現実に。それでもそろそろ帰らねばならない時間である。縄暖簾もいつの間にか店の中に仕舞われていた。大将にお勘定を頼むと、私の心中を察したのか知らないが、「こう云っちゃ何ですが」と前置きして、お愛想の決まり文句の言葉を続けた。 「お後がよろしいようで」 註:文中の落語の引用部分は、興津要編 『古典落語』講談社文庫に拠った。また、 平仮名を漢字表記に改めている箇所、省 略している箇所、及び三点リーダーを省 略した箇所がある事をお断りしておく。
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