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2012年10月17日水曜日

蟲雙紙 005 「五月、祭のころ…」/ 風花銀次

 蟲雙紙〈五〉        風花銀次

五月、祭のころいとをかし。竝揚羽、黃揚羽の翅の模樣のけぢめばかりならず、黃みの薄き濃きもありてをかし。木々の木の葉、まだいとしげうはあらで若やかに靑みわたりたるに、おとづれたる蝶のあの葉この葉とたたきてゆくは、太鼓の稽古のごとくありて、かそけき音のたどたどしきを聞きつけたらむはなに心地かせむ。
祭ちかくなりて、黑揚羽、烏揚羽などのをどり舞ひつつ、山椒に觸れ、枳殼からたちなどをかすめて、いきちがひとびありくこそをかしけれ。疾く遲く、つねながらをかしう見ゆ。尾狀突起のすりきれて、打ち枯らしたるもあるが、かならずくながひせむと、つかずはなれず連舞つれまひするもをかし。
神輿をかつぐ者どもの、裝束さうぞきしたてつれば、田舍者もいさみて江戸つ子のやうにねりありく。一頭の長崎揚羽、てゆくごとく舞ふもをかし。
死ぬる死ぬるとおもひしめたる蟲の、死なで蛹になりたるが、殼を脱ぎてこのころをどりくるふはおもしろきものなり。

 三社祭のころともなると、目につく虫の種類も増えてきてうれしいかぎり。
 ちなみに浅草にはかつて通俗教育昆虫館てものがございました。昆虫学者の名和靖が日露戦争の戦勝記念につくったんだそうですが、じつは戦争に勝ったことなんてどうでもよく、とにかく昆虫館をつくりたかっただけにちがいないと勝手に推察しております。これは、のちに一階部分に木馬が設置され木馬昆虫館と改称。さらに木馬館に改称されたあと昆虫展示を廃止。この木馬館は現在大衆演劇界の聖地となっています。
 とまあ、たまには役に立つ豆知識を披露したりなんかもいたしますよ。
 さて、並揚羽も黄揚羽も年に二回から四回発生する多化性で、春型と夏型があり、並揚羽の夏型は大型で黄みが強いため黄揚羽に混同されることしばしばです。ただし羽の模様の違いを覚えちまえば間違えることはまずありません。黄揚羽は前翅付け根が黒く塗りつぶされたようになっているんで一目瞭然。
 蝶にかぎらず虫たちはずいぶん偏食で食草や食樹てものが決まってます。虫たちの母親は、好き嫌いしなさい! と大いに偏食を奨揚し、この食草・食樹をあやまたず見分け産卵するんですが、じつは葉っぱを味見しているとのこと。鳳蝶あげはなら前脚の感覚毛をたたきつけて確かめているそうで、これをドラミングと称し、たたく音が聞こえることもあるんだとか。あたしは聞いたことないけどね。
 はい、黒揚羽や烏揚羽は辰巳芸者のようだ、といったら、若者から「逆に、よさこいみたい」なんていわれました。なにが逆なんだかさっぱりわかりませんが、なにに似てるかってのは見る人次第で、だれだって身の丈に合ったものの見方しかできないんだから、どうでもいいといえば、逆にどうでもいい。なるほど、いわれてみれば黒揚羽や烏揚羽の黒地に赤い模様はよさこいの衣裳にありそうな感じだね。
 ところで黒揚羽と烏揚羽も混同されることしばしばなので、見分け方を覚えてほしいと逆に思う次第。とりあえず烏揚羽は黒揚羽をメタリックにした感じで、翅の表が金緑石のように輝くと覚えれば、逆にわかりやすいんじゃないでしょうか。
 神輿の担ぎ方のうち、いわゆる江戸前担ぎでは「えっさ、えっさ」が正調の掛け声ということですが、最近は地方出身者による「せいや」「そいや」などが優勢になっているようです。深川では「わっしょい」を守っているそうで、これは全国的にも多い掛け声だからだれにもしっくりくる。
 長崎揚羽はもともと南方系の蝶ですが近年分布域が北上し温暖化との関係が云々されてます。東京都心では二〇〇三年に千代田区北の丸公園で初めて確認されました。そんで、なにを隠そう、あたしは九州日向の国の出でやはり南方系なんですが、上京したのは温暖化とは関係ありません。そもそも温暖化が言われる以前から、東京は九州より暑くってかなわなかった。逆にね(って、しつこいね)。
 生息域を分かつのは気温だけでなく地形的な条件もあります。馬でも越される箱根八里を可憐な虫たちは越されなかったりするので、自力で洋上のルートを取れない場合、なにものかがなにかしらのお手伝いをしていることになるんですが、もちろん多くは人間がお手伝いしてあげています。移動後定着するためには気候的条件を満たすほか、食草・食樹が必要。
 虫の変態に比べれば人間の変態なんてわかりやすくってちゃちなものです。
 たとえば蛹の内部では呼吸器系と一部の神経を除いた組織はどろどろに溶けているそうで、要するに作りなおすわけですが、かれらは蛹になるとき、いわばメルトダウンの中で、どんなことを思ってるんでしょう。ありきたりの想像をすると「死んじゃう!」て感じでしょうか。

1 件のコメント:

  1. 【現代語訳】
    五月の祭りのころがとてもステキ。ナミアゲハとキアゲハは翅の模様の違いばかりじゃなく、黄色い部分の濃淡もはっきりしてていいわ。木々の葉も、まだそんなには茂ってないんだけど、若々しく青々としているところに蝶がやってきて、あちこちの葉を小さな前足でたたいていくのは、太鼓のお稽古をしているみたい。かすかな音が聞こえたような気がしたら、どんな心地がするかしら。
    祭が近くなって、クロアゲハやカラスアゲハがサンショウやカラタチをかすめて、踊るように飛び交うのもステキ。速く飛んだり、ゆっくり飛んだり、いつものことだけどとてもいいわ。尾状突起がすりきれてしまって、ずいぶん翅がいたんでるのもいるけど、「絶対オトしてやる」って、くっついてデュエットを踊るように飛ぶのもいいわね。
    お神輿を担ぐ人たちが、法被なんかを着ると、地方の出身者も前からの江戸っ子みたいに勇ましそうに練り歩くの。その前を、ナガサキアゲハが引率するように飛んでいくのもいい感じ。
    死んじゃう、と思ったけど死なずにサナギになったイモムシやケムシが、羽化して、踊り狂うこのころが、とても美しいのよ。

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