かぶと森 志野 樹 幼稚園の夏休みです。シンはじいじの家に一人で泊まっていました。ママが乳がんという、おっぱいにおできのようなものができる病気で手術することになったからです。パパは会社が遠くなってしまうので、じいじの家には泊まれません。 じいじは一人で暮らしていて、洗たく、そうじ、料理となんでもできました。 「森へ行ってみよう」 じいじがそう言ったのは、シンが来た翌日のことでした。夜、ママを恋しがって泣いたシンは目がはれて真っ赤になっていました。 森の中を歩くと、まだ日も高くないのに、セミたちが自慢の歌を聞かせています。 「この木を見てごらん」 じいじが指さすほうを見ると、緑色に光るカナブンがとまっています。その隣にはオオムラサキが羽を休めています。シンは目を輝かせました。昆虫が大好きなのですが、シンの住んでいる街にはあまりいません。 「じいじ、何してるの」 じいじがカナブンのいる木に、金色のテープを貼っています。少し歩き回ってほかの木にもテープを貼りました。 「これでよし。いつまでもいると、スズメバチがやってくる。あとでまた来よう」 シンはもう少し遊んでいたかったのですが、スズメバチに刺されたらたいへんなことになります。二人は近くの川で泳ぎ、午後はたっぷりと昼寝をしました。 夕方、目を覚ましたシンに、じいじが「もう一度森へ行くぞ」と言いました。 夜の森なんて初めてです。森への道はさびしく、大きなマントを広げて空から闇が覆いかぶさってくるようでした。 シンはじいじの手をにぎりしめていました。 「さあ、ここだ」 暗い中に何か光っています。近づいてみると、朝貼った金のテープです。じいじは懐中電灯でテープのあたりを照らしました。 「あっ、カブトムシ!」 幹にカブトムシのオスとメスが仲良くとまっています。木のしるを飲んでいるのです。 「スズメバチは昼間だが、カブトムシは夜出てくるんだ」 じいじは、肩にかけていたバッグから小さな虫かごを取り出しました。 「ほれ、取ってみろ」 じいじに声をかけられてもシンは足がすくんで動けません。昆虫博物館やペットショップで見たことはありますが、生きているカブトムシに触ったことがないのです。 「なんだ、こわいのか。じゃ、見てろ」 じいじは木のしるをなめるのに夢中だったオスを難なくつかまえ、続いてメスもかごに入れました。 「ここは、かぶと森とも呼ばれていて、カブトムシがたくさんとれる場所なんだ」 「生きているカブトムシ飼うの初めてだよ」 シンは、じいじにしがみつきました。 「オレはこんなことしか知らないからな」 じいじは照れくさそうに言いました。それからほかの木を回って、さらに何匹かのカブトムシをつかまえました。 「上手に飼えば、夏の終わりに卵をたくさんうむぞ。シンが世話をしてやらなきゃな」 「ぼくにできるかな」 「教えてやるからやってみろ」 シンは大事そうに虫かごを抱えました。 「じいじ、カブトムシは卵を育てないの?」 「オスもメスも卵がかえるころには死んでしまうんだ」 「かわいそう。ぼくにはママがいてよかった」 「カブトムシは自分の力で大きくなるんだ」 じいじの言葉に、シンは何かを考えているようでした。 「ママも病気が治らないと死んじゃうの?」 じいじはシンの顔を見ました。シンは両親の話から何かを感じていたのかもしれません。 「だいじょうぶ、ママは死なない。病院で悪いところを取ってもらえば元気になる」 「ほんと? ほんとに死なない?」 「ああ、死ぬんだったらじいじのほうが先だ」 「えっ」 「じいじのほうがママより年寄りだからな。カブトムシだってそうだろう。卵をうんで、親が死んで、かえったカブトムシがまた卵をうんでって、そのくり返しなんだ」 「でも、じいじが死んじゃうのはいやだ」 「じいじはまだまだ死なないさ。シンに虫の取り方やら教えることがあるからな」 じいじは、シンの頭をガシガシなでました。 「シンも泣いてばかりいてはだめだぞ。お前に元気がないとママが帰ってきて心配する」 「うん、ぼくもう泣かない」 「よし、そろそろ帰ろう。早く寝て、明日はカブトムシのすみかを作ってやらなくちゃ」 「ふぁ~い」 シンは返事のかわりに大あくび。それを見たじいじは、シンの肩に虫かごをかけると、くるりと後ろを向いてしゃがみました。「ほれ、おんぶしてやるから、背中に乗れ」 帰り道、真夏の夜だというのに涼しい風が通り抜けていく森の中、じいじの背中に揺られながら、シンは夢の国へと下りていくのでした。
2018年7月12日木曜日
童話「かぶと森」/ 志野 樹
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