蟲雙紙〈十〉 風花銀次 正月一日、三月三日は、よろづまゆこもりたる。 五月五日、豆 娘 むつびくらしたる。 七月七日は、機織蟲 鳴きて、芋の露にうつりたる空いと高く、雲ひとつ見えたる。 九月九日は、あかつきがたより雨少し降りて、お菊蟲も濡れそぼち、黃金 色にかがよひ、大明神などともてはやされて、アリストロキア酸を蓄へたれど、やがてなよやかな蝶いでて、ややもすれば、こはれむばかりに見えたるもをかし。卵や幼虫、あるいは成虫で越冬するものなどさまざまなので、繭籠るといっても蛹越冬と決めつける必要はなく、要するに閉じ籠ってると理解してくださればありがたい。また正月一日だろうが暖かきゃ浮かれ出てくる成虫越冬の蝶なんかもいるし、新暦の三月三日なら啓蟄間近、旧暦なら結構な種が蟄居を解いてます。 蜻蛉 目のうち不均翅亜目、つまりナイーブな感覚でいうときのいわゆる「とんぼ」は勝虫なんて呼ばれたりもします。前進あるのみで決して退かないからとも、雄略天皇の腕に食いついた虻を蜻蛉がとっ捕まえて食べちまったことに由来するともいわれますが、なんにしても戦国武将たちは縁起をかついで兜の前立など武具の装飾に意匠として取り入れていたということです。 一方、均翅亜目の糸蜻蛉は勝ち負けなんざ超越した風情で、むしろ虻に捕食されちまうこともしばしばです。初夏には池畔で繁殖にはげむので、ハート型の輪っかがたくさん見られてうれしいかぎり。あたしも糸蜻蛉みたくラブ&ピースでいきたい、なんて時節柄申し述べたりいたします。 七月七日の朝、里芋の葉の上でころころ転がる露を集めて墨をすり、その墨で文字を書くと手蹟がよろしくなるという習わしはもともと中国のもので乞 巧奠 といいます。棚機津 女 が手芸に巧みなだけでなく能書家だったことによるようです。 そんで、機織虫てのは螽斯 のことで、この古称を縁に「たなはたの手たまもゆらにをるはたをおりしもならふむしのこゑ哉」なんて藤原定家卿が詠んでます。螽斯は基本的に夜行性ですが昼にも鳴く、てか朝っぱらから鳴くやつもありまして、さて、芋の露を虫の視点で覗きこむとどんなでしょうか。ありきたりをいえば全周魚眼レンズみたいな感じでしょうか。 お菊虫てのは麝香鳳蝶 の蛹のことで、その形が後ろ手に縛られた女性のように見えるため、一八世紀末の播州姫路城下で大発生した際に「お菊が虫の姿を借りて帰ってきた」と人々が噂したことによる命名。お菊はいうまでもなく怪談「播州皿屋敷」のお菊で、姫路市内の十二所神社の末社お菊神社では菊姫命として祀られてます。縁結びの御利益あるそうで、菊理 媛 からの連想かもしんないが、ちと無理がある気がしますね。 麝香鳳蝶が食草にする馬兜鈴 はアリストロキア酸というアルカロイド毒を持ち、これを幼虫時代からせっせと体内に溜め込み、成虫になってからも小鳥などの天敵から身を守るのに役だててます。そのおかげかどうか麝香鳳蝶はゆったり優雅に飛ぶ。 ちなみに九月九日は重陽 。菊の節句ともいい、菊酒を飲んで長寿を祈ります。 はい、無駄に長生きしようなんざ思っちゃいませんが、放射能はいらねえ菊の酒を飲みてえ、なんて清志郎節を時節柄申し述べる次第です。
2012年11月21日水曜日
蟲雙紙 010 「正月一日、三月三日は…」/ 風花銀次
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【現代語訳】
返信削除正月一日、三月三日はみんな閉じこもってるわ。
五月五日、イトトンボは日がな愛しあってる。
七月七日はキリギリスが鳴いて、芋の露ごしに覗く空はとても高く雲がひとつ浮かんでるのが見えるの。
九月九日は朝方から雨が少し降って、ジャコウアゲハのサナギは濡れそぼって金色に輝き、お菊大明神なんてもてはやされてるわ。アルカロイド毒のアリストロキア酸を体に蓄えてるんだけど、そのうちやわらかな蝶が出てきて、うっかりするとこわれそうなくらいはかなげに見えるのもステキね。