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2012年11月14日水曜日

蟲雙紙 009 「童子にさぶらふ蟲は…」/ 風花銀次

 蟲雙紙〈九〉        風花銀次

童子にさぶらふ蟲は、兜蟲のつがひにて、かぶぶん、ぶぶぶんと名づけ、いみじうをかしければ、かしづかせたるが、あるとき防蟲シートをやぶり逃げたるを、童子「いづこに行きたるか、出でよ」とよぶに、出でず。日のさし入らざるにうち眠りてゐむか、さらば褒美取らせむとて「かぶぶん、いづら。ぶぶぶん、いづら。昆蟲ゼリー食へ」といへど、かさりともいはで、ゆくへ杳としてしれず。
「あはれ、いみじうゆるぎ步きつるものを。およびにつきし蜜をぶぶぶんになめさせ、かぶぶんの大いなる角にひもかけて貨車を牽かせなどして、あそびしをり、かかる日來むとは思はざりけり」
裏山へいきしか、鎭守の杜へいきしか、いづこへなりいけと、いといたく泣く。
日暮れて、居間に父上おはしますに、聞きおよびてゑまひ給ふ。家ぬちの明かりを消させ、コールマンのランタンのみともさせて「しばし待て」と仰せらるれば、暗きなかで晩餐をすましぬ。
童子、晝より兜蟲を探しくたびれて、もはやいねむとせしとき、高らかに羽音たてて、かぶぶんとぶぶぶんランタンめがけ飛び來たりぬ。
さて、かしこまり許されて、もとのやうになりき。
 兜虫てのは、なにしろかっこいいんですが、そればかりでなく、自分の体重の二〇倍以上のものを引っ張ることができる力持ちでもあり、今も昔も男の子のよいお友達です。また虫が苦手なおっかさんでも、兜虫か鍬形虫なら、まあ飼育することを許可してくれることが多いてのもなにより。
 世界では約一六〇〇種の兜虫がいることになってますが、日本には人為的移入種を含めて五種。そのうち在来種の黒丸金くろまるこは名前も見た目も、兜虫とは思えないけども、かわいいんでよい。
 とりあえず野外で見られるのは五種ですが、一九九九年以降、規制緩和により外国産兜虫の輸入が一部許され、現在五〇種超が昆虫ショップなんかで売られてます。
 てことは、あたしが子供のころは標本だってめったに見られず、図鑑をながめては「いつかコスタリカに」とか「そのうちボルネオに」と憧れるのみだった外国の兜虫たちの生きて動いてるところがかんたんに見られるようになったということになりますが、これも善し悪しで、憧れを強く持ち続けるてな楽しさは減っちまったんじゃないでしょうか。芥川龍之介の「芋粥」じゃないけどさ。
 そんで在来の兜虫のうち、もっともポピュラーな本土産の、いわゆる標準和名もそのままの兜虫は、あたしらには見慣れた存在ですが、世界の兜虫全体から見ると特殊で珍しいものなんだそうです。特に角の形がね。
 一般に大型の兜虫では角は枝分かれしないか、枝分かれしても二岐が普通なのに、日本の兜虫は大型であるにもかかわらず胸角が二岐に、頭角は二岐に分かれた先がそれぞれさらに二岐に分かれ、都合四岐。こんなのはほかには中国に産する大陸兜虫なんかくらいのもので、ちょいとないらしい。あんまり身近だと、特殊さや珍しさってわかんないものなんですね。
 外国産の、さらに大型の兜虫もかっこいいけれど、あたしは日本の兜虫がやはり好きで、でもそれは珍しいからとか特殊だからとかってことではなく、なんというか愛嬌があってよろしい。天然ものを自分で捕まえられるところもよい。
 さて、かぶぶん、ぶぶぶんてのは、我が家の息子が初めて自分で捕まえて飼育した兜虫。名前のとおり飼育ケースのなかをぶんぶん飛び回る元気な子たちで、なんと一一月下旬まで長生きしてあたしたち家族を楽しませ、ぶぶぶんはたくさんの卵を産んで翌年には二世たちが楽しませてくれました。
 虫をペットとして飼う文化は諸外国、特に欧米にはあんまりないとのこと。もっとも各種調査によると、最近は日本でも減ってきてるらしいけども、これは一時期のでたらめな外国産兜虫鍬形虫ブームが落ち着いてきたせいもあるかもしれず、放虫するばかがいなくなればなによりで、ちゃんと飼えるやつが飼えばいいと思う次第です。

1 件のコメント:

  1. 【現代語訳】
    男の子といつもいっしょにいる虫はオスとメスのカブトムシで、かぶぶん、ぶぶぶんと名前をつけて、とてもかわいがっていましたが、あるときコバエを防ぐ防虫シートに穴を開けて逃げてしまいました。男の子は「どこへ行ったの? 出ておいで」と呼びますが出てきません。暗いところで眠ってるのかな、それじゃあご褒美をあげるよ、「かぶぶんはどこ? ぶぶぶんはどこ? 昆虫ゼリーをお食べ」。だけど物音ひとつしませんし、どこへ行ったのかさっぱりわかりません。
    「ああ、体をゆすって堂々と歩き回っていたのに! 指についた蜜をぶぶぶんになめさせたり、かぶぶんの大きな角に紐をかけておもちゃの貨車を引っ張らせて遊んでたときは、こんな日が来るなんて思わなかったよ!」
    裏山へ行ったの? 鎮守の森へ行ったの? もう、どこへでも行っちゃえ! といって、とても悲しそうに泣きます。
    日が暮れて、リビングで出来事を聞いたお父さんはにっこり笑い、家の中の電気を消させ、コールマンのアウトドア用ランタンだけつけさせると、「ちょっと待ちなさい」というので、みんな暗いなかで晩ごはんを食べました。
    昼間からカブトムシを探しまわり疲れはてていた男の子が、もう寝ようとしたそのとき、大きな羽音がしてかぶぶんとぶぶぶんがランタンめがけて飛んできました。
    「どこへでも行っちゃえ」なんて言ったことも忘れて、男の子はカブトムシと仲直りしました。

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