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2012年11月12日月曜日

ひとり兎園會 1-1 「虛舟」/ 齋藤幹夫

 ひとり兎園會 ―其之壹 虛舟―                     齋藤幹夫

享和三年癸亥の春二月廿二日の午の時ばかりに、當時寄合席小笠原越中守知行所常陸國はらやどりといふ濱にて、沖のかたに舟の如きもの遙に見えしかば、浦人等小船あまた漕ぎ出だしつゝ、遂に濱邊に引きつけてよく見るに、その舟のかたち、譬へばのごとくにしてまろく長さ三間あまり、上は硝子障子にして、チヤンをもて塗りつめ、底は鐵の板がねを段々筋のごとくに張りたり。海嚴にあたるとも打ち碎かれざる爲なるべし。上より内の透き徹りて隱れなきを、みな立ちよりて見てけるに、そのかたち異樣なるひとりの婦人ぞゐたりける。                   「虛舟の蠻女」より  曲亭馬琴
 愚息が習い事の剣道から帰ってくるなり、興奮した面持ちで「UFOを見た。あれは絶対UFOだ」などと云っている。UFOってものは「Unidentified Flying Object」の略で「未確認飛行物体」だ。誰から見て「未確認」なのかと云うと、軍や航空交通管制等の然るべき機関から見てだ。少なくとも自分の行動範囲の上空の飛行物体を全て把握している訳ではない貴様などが容易くUFOなどと口にすべきことではない。ましてやその然るべき機関には他にも「Unidentified Aerial Phenomenon(未確認空中現象)」の UAP と云う用語があるのだから、貴様が見たものが物体なのか現象なのか、その頭に判断し得る能力などあるものか、とは愚息と云えどもそんな物云いはしない。むしろ大いに空想して遊んでほしいと願っているし、それはどんな具合だったか、それをなんと考えるかと話に乗ってやり、私も一緒に空想に浸ったりもする。彼らが大人になっても、百物語のように「怪」をただ楽しむことができるようであれば共に遊ぶことも吝かでない。H・G・ウェルズの『宇宙戦争』をこの歳になって読み返しても、ジュブナイル版で読んだ時と同じように胸が躍るのを抑えられないのだから、未知なるもの不可解なるもの不可思議なるものにはまだ空想を逞しゅうできる。それに体験もしたいし、見聞き読み書きしたいと思いもする。しかし、UFO=宇宙人の乗り物で云々、交通事故多発地点には未だ成仏できない自縛霊が云々と頭から信じ込み、なんでもかんでも「超常現象」と十把一紮げ、さらには自己の不満、不運をそこに因があるとして自己解決するような輩には嫌悪感を隠しはしない。それが愚息であったならば先の言葉を叩きつける前に鉄拳を叩きつけてくれよう。
 文政8年(西暦1825年)に瀧澤馬琴は、随筆家山崎美成、国学者屋代弘賢、 2代目蜀山人こと亀屋久右衛門ら総勢12名の会員で寄合い、毎月1回「兎園会」をなるものを開催し巷説奇聞、奇談珍説を持ち寄り披露しあった。その記録や考証を収録したものが『兎園小説』だが、その第 11 集に曲亭馬琴の「虛舟の蠻女」がある。 1803 年、現在の茨城県の沖合に漂流している香盒こうごうのような舟を発見した漁村の人々が、それを浜に引き寄せるとその中には「眉と髮の毛の赤かるに、その顔も桃色にて、頭髮は化髮いれがみなるが、白く長くして背 そびらに垂れた」女が乗っていたと云う。要は赤毛で血色が良く、ウィッグだかヘアピースを付けた女なのだが、自分たちとは違うなりをした人間が鉄でできた舟でやって来たのだから当時の日本人にとっては吃驚するしかなかったようだ。その土地の古老が「不義密通の廉で海に流された異國の女」と村人に説明するが保護することなく、役所に届ければ銭がかかるからと、再び海に流し返して厄介払いをすると云う逸話である。澁澤龍彥がこれを材に『うつろ舟』と云う短篇を著していることでも有名だが、逸話と共に必ずと言っていいほど掲載される図版、2012年4月にも茨城県日立市の旧家で、江戸時代に海岸防御に携わった郷士の子孫の家の倉庫で「異国舩渡来御届書」と共に発見された図版、丸い舟と女性が描かれたもののほうが人口に膾炙されている。と云うのもその図版こそが、虚舟= UFO であると云う莫迦を拗らせた戯言に拍車を掛けているからだ。 確かに私も少年の頃にその図と共に「江戸時代にUFO」と書かれた記事が載った雑誌に胸を躍らせた。しかし今は違う。虚舟が地球外から飛来し海に墜落。後に漂流しているところを常陸の国の漁民に発見されたと云う創作物としてのものならば一向に構わないし、 認めもしよう。 だがそれを実しやかに虚舟はUF
O、 すなわち空飛ぶ円盤、 と云うことは宇宙人の乗り物であり、 乗っていた女性は宇宙人である、と断言する奴らには向かっ腹が立つ。 澁澤龍彥は 『うつろ舟』のなかで「さしずめ空とぶ円盤のような形をした、小型の潜水艇だと思えば、よいかもしれない」と記しているが、 その場合だと「 Unidentified Submerged  Object(未確認潜水物体)」 USOである。しかし馬琴の「虛舟
の蠻女」では漂流していたのだからさしずめ「Unidentified Floating Object(未確認漂流物体)」と云ったところで、 確かに UFO だが、奴らにとっての UFO はあくまでも空飛ぶ円盤なのだから、 Floating (漂流)に置き換えて云っているとは考え難い。 うつろ舟はうつぼ舟とも呼ばれ、 空舟と書くことから「空を行く舟」、または空穂(矢を入れ、腰につけて持ち歩く筒形の中空の容器)の、中がからであるの意味の「中空ちゅうくう」の字面だけを採り「なかぞら」の意味のほうをこじ付け「中空を行く舟、すなわちUFOだ」と断言する乱暴者もいるから、開いた口が塞がらない。柳田國男は『妹の力』所収の「うつぼ船の話」で「海に対する尋常以上の信用が、噂の根をなしていたことは認めてもよいが、少なくとも記述の粉飾、ことにいわゆる蛮女とうつぼ舟との見取図なるものに至っては、いい加減人を馬鹿にしたものである」と激怒し、虚舟の逸話を、民謡「牡丹長者」や日本各地にある類似した伝説を挙げながら作り話であると断定しているが、澁澤龍彥は『東西不思議物語』の「ウツボ舟の女のこと」の中で柳田國男の説を踏まえながらも「それでも私には、何か心に訴えかけてくるものがあるような気がしてならない。おそらく、円盤の形をしたウツボ舟というイメージに、超時代的な面白さがあるためかもしれない」と楽しんでいるのは、流石である。
 13歳の頃、私は夏風邪を拗らせ学校を休み、母が拵えた握り飯も食べる気にもならず枕元に放置し、眠っては覚め、覚めては眠り、を繰り返していた。この日何度目か解らぬが、干過ぎに目を覚ますと私の体は寝床を遠く離れ、宇宙空間に浮かんでいる何かの乗り物の窓から地球を見つめていた。やがて地球は此方へ近付き視界に収めきれなくなり、これは地球が近付いているのではなく私のほうが地上に向かって急降下しているのだと悟った。Google Earthを思い浮かべてほしい。丁度マウスのホイールを回しカーソルに向かって拡大している感じだ。Google Earthと違うのは、境界線や地名、その他の記号が無い事と、近付いてくる地上と私との間には雲が広がっていることだった。その雲を抜けると衛星写真のような景色から航空写真のようなものになり、私の住む町であると解るようになった。やがて住んでいる家も認められ、最早落下しているような感覚で屋根瓦がみるみるうちに近付いてきた。気が付くと私は家の前の敷地に裸足のまま、置き去りにされたかのように突っ立っていた。夢かうつつかと聞かれれば、限りなくうつつの映像に近い夢であり、夏風邪の高熱に浮かされていたのだろう、と云うしかない。しかし私の息子達にはこう云っている。お父さんはUFOに連れ去られたことがある、と。それも実しやかに。

               ひとり兎園會 ――其之壹 虛舟―― 閉會

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