ぼくとヤモリとイナズマじじい 志野 樹 梅雨のあいまの気持ちよく晴れた日だった。気温が今年はじめて三十度をこえた。 ぼくは日がしずむまで遊びほうけていて、家に帰るのがすっかりおそくなってしまった。だから、明るい大通りではなく近道をえらんで帰ることにした。 「ん?」 足が止まった。白いへいでかこまれた大きな家の前だった。へいにはぼくの目の高さにゴルフボールほどの穴があいている。そこから何かがのぞいていた。 そっと近づいてみた。のぞいていたのはいっぴきのヤモリだった。小さい顔のわりに大きな目がくりくりしていてかわいい。ぼくをじっと見つめて、いっしょにあそぼうとさそっているみたいだった。 「おい! 人の家の前で何をのぞいてる」 うしろから声をかけられて、ぼくはばねじかけの人形のように飛び上がった。ふりかえると、ステテコすがたのじいさんがにらんでいた。 イナズマじじいだ。 つるつるのハゲ頭がジグザグに走ってくるのがイナズマみたいだから、イナズマじじいというあだ名がついていた。イナズマじじいは、ぼくらが公園のすべり台の上でふざけていると、すっとんできて「こらー、小さい子がまねするからやめろー」とカミナリを落としていく。 いつもの道で帰ればよかった、とぼくは思った。ここがイナズマじじいの家だとは知らなかった。 ぼくがおろおろしていると、イナズマじじいはヤモリに気づいたらしい。ヤモリは穴から出てきて、へいにひたっとすいついている。 「なんだヤモリか。おまえさん、生き物が好きか」 と、意外にやさしい声で聞いた。 「うん」 ぼくは、まだ心臓がバクバクしていて、多くはしゃべれなかった。 「そうか、今時めずらしいな。かってみたいか?」 「かってみたい」 は虫類をかったことはないけれど、忍者のようなヤモリのしぐさに、ぼくはすっかり夢中になっていた。 イナズマじじいはうなずくと家の中に入っていき、ビニールぶくろを手にしてもどってきた。ヤモリに向かってすっと手をのばす。次のしゅんかん、とうめいなビニールぶくろの中で、ヤモリがいきづいていた。 飼育ケースにヤモリをはなした。 「どこでつかまえたの? ヤモリは家を守るっていうから、むやみに取ったらダメよ」 と、ママが言った。 「もらったんだ。ママ、うちってガとかハエとかいない?」 「虫もここまでは飛んでこないわねえ」 イナズマじじいが、ヤモリには生きた虫をあげればいいと教えてくれた。だけど草も木もはえていないマンションの十階では、ハエいっぴきつかまえるのもむずかしい。 ヤモリはケースのそこにはりついて、あたりをうかがっている。見知らぬ場所にとまどっているみたいだった。 すみっこにうずくまっているヤモリがかわいそうになったので、ぼくはキャラメルの外箱でかくれがを作ってあげた。箱を入れたとき、ヤモリはびっくりしてとびのいた。だけど、ぼくがおしっこをしてもどってきたら、ヤモリはちゃっかりと箱の中にもぐっていた。 「ヤモリがいるんだって」 パパが会社から帰ってくるなり、そう言った。ママが携帯電話で話したらしい。 「ほら、ペットショップで買ってきたぞ」 パパがさし出したのは、紙のふくろに入った生きたコオロギだった。十ぴきもいる。 さっそくケースにコオロギをほうりこんだ。ヤモリは待ってましたとばかりにエサにねらいを定める。 たたっ ヤモリがコオロギをとらえた。カリカリカリとかみくだく音。やさしい顔をしているくせにすごいハンターだ。コオロギをのみこんでから、舌をぺろんと出して口のまわりをなめている。 よほどおなかがすいていたのだろう。たった十分で、ヤモリは十ぴきのコオロギをぜんぶ食べてしまった。 しばらくして、ぼくはイナズマじじいをたずねた。ヤモリのいる家なら虫がたくさんいる、少し取らせてもらいなさいとママが言ったからだ。パパだって毎日コオロギを買ってくるわけにはいかない。でも、生きた虫を食べないとヤモリは生きていけないのだ。 門柱のチャイムをならすと、イナズマじじいではなく、髪が白くて品のいいおばあさんが出てきた。手に大きなかばんをさげている。 「ええと、ここのうちのおじいさんはいますか」 ぼくはイナズマじじいの名前を知らなかったから、へんなたずね方になってしまった。 「おじいさん、ちょっとぐあいが悪くて入院しちゃったの。私もこれから行かなくてはならないから、また来てくれる?」 おばあさんが申しわけなさそうに頭をさげた。 家にもどったぼくは、ママの言ったことを思い出していた。ヤモリは家を守ってくれる。イナズマじじいが入院したのは、大切なヤモリをぼくがもらってきたせいかもしれない。 イナズマじじいの家のそばでつかまえたガをケースに入れた。今日はじめてのごはんだというのに、ヤモリは見向きもしない。かくれがの中でじっとしている。 家の飼育ケースは小さい。ヤモリはかべをのぼったり、へいをのりこえたりするのに、ケースの中は動きまわれる場所がほとんどなかった。ヤモリはもらったばかりのころより、元気がなくなっているような気がした。 ぼくは、ヤモリをイナズマじじいの家に帰すことに決めた。 ケースから出したヤモリを手のひらにのせ、へいに近づけてやった。ヤモリはへいに移るやいなや、すごいいきおいでよじのぼる。とちゅう、一度だけぼくのほうをふりかえり、へいの向こうに消えていった。さっきまで元気がなかったのがうそみたいなすばやさだ。 「おや、来てたのか」 聞きおぼえのある声がした。イナズマじじいが門によりかかって立っていた。 「こんにちは。イッ……いや、おじいさん、ぐあい悪かったの?」 ぼくはイナズマじじいと言いそうになって、あわててとりつくろった。 「あら、この間の子ね。おじいさんたら、家のかべにはしごをかけて高いところにいるヤモリを見ていたの。そうしたら足をすべらせて落ちてしまって。今日退院してきたのよ」 イナズマじじいのそばで、かばんを手にしたおばあさんが言った。 「ふん、ちょっと足をくじいたくらいで入院なんておおげさなんじゃ」 もんくを言うイナズマじじいの右足には、あつく包帯がまかれていた。 「なんでヤモリを見ていたの?」 イナズマじじいもヤモリにきょうみがあるなんて、ぼくは思いもしなかった。 「おまえさんに持ち帰らせたものの、わしもヤモリを飼育したことがないから勉強しとこうと思ったのさ」 「おじいさんが落ちたのは、ヤモリがチョウをつかまえるところを見て、こうふんしたからなのよ」 おばあさんが、おでこにシワをよせてわらった。 「ぼくんちマンションだから生きた虫が取れなくて……もらったヤモリ、今にがしちゃったんだ」 ぼくはカラになったケースを見せた。 「ヤモリは大食いだから、エサを集めるのも大変だろう。でも、おまえさん、それでいいのか?」 イナズマじじいが、ぼくの目をのぞきこんだ。 「もう少しかってみたかったけど、ヤモリはずっと住んでいたこの家で自由に生きていくほうがいいと思ったんだ」 「そういうことなら、うちの庭に来てかんさつしたらいい。トカゲやカエルもいるぞ」 「いいの? うれしいな。イナズマ……じゃなかった」 ぼくはあわてて口をおさえた。 「うわっはっは、イナズマじじいと言いたいんじゃろ」 イナズマじじいがあたりかまわず大声でわらう。バレてる、とぼくは思った。汗で背中がひんやりする。 「だいじょうぶ。おじいさんのお父さんも、子どもが悪さをするとおこるカミナリじじいだったの。カミナリじじいの子だからイナズマじじいって呼ばれても平気なのよ、ね、おじいさん」 おばあさんがイナズマじじいに向かってウインクをした。 「ふふん、庭のミカンの木にカミキリムシなんかも来るから、友達をつれてきてもいいぞ。ただし、あぶないことしたらカミナリを落とすからな」 イナズマじじいの言葉に、ぼくは何度も首をたてにふった。今年は楽しい夏になりそうだ。
2018年2月11日日曜日
童話「ぼくとヤモリとイナズマじじい」/ 志野 樹
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