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2013年1月9日水曜日

蟲雙紙 017 「すさまじきもの…」/ 風花銀次

 蟲雙紙〈十七〉       風花銀次

すさまじきもの、夜鳴く蟬。冬の蚊。三四月の黒き紅小べにし粉蜱こなだにたかりたる標本。羽化せぬ蛹、繭。やどりばちのうちつづき出できたる。蟲とらぬ蟲屋。撮影にゆきたるにバッテリー切れのカメラ。まいてめづらしき蟲あればいとすさまじ。

 興ざめてか、うるさい。
 東京じゃ蟬が夜も鳴くんで、すわ温暖化のせいか、てな話になりがちですが、あたしの生まれ故郷九州日向国では夜に鳴くとんちきな蟬なんざありゃしません。おねえちゃんをひっかけるために日がな一日鳴き続けなきゃいけないんで、翌日に備えて夜はちゃんとおねんねしてます。ようするに東京もんてのは、人であれ蟬であれ、夜中もさもしくおねえちゃんあさりをしてるんですね。てなことをいうと叱られっちまいますが、街灯やネオンなどが明るいため昼間と勘違いしちゃうんだそうです。
 田舎にゃいねえかもしれねえが、冬の蚊なんざ東京じゃ珍しかないぜ、なんて妙な都会自慢をする人もあったもんじゃないでしょうけども、もともと低温に強い家蚊いえかは、温度変化が乏しい都市部じゃ一年中ご活躍だから、足の小指なんざ刺された日にゃシャレオツなブーツも履けねえんでね、せいぜいお気をつけあそばせ。
 紅小灰蝶は年に三回から五回発生する多化性で、春型はオレンジ色の部分が大きく鮮やかですが、夏型では黒い部分が増える。秋型はまた春型に近い色模様。だがしかし一筋縄じゃいかねえのが虫てもので、春型の黒化型なんてのもあって、これはオレンジ色の部分がほとんどない。こんなのに出くわすと、まあ、春なのに、とは思うけど、興ざめてことはなく、ちょうちょが飛んでりゃそんだけで、なんだか嬉しくなっちまう。
 粉蜱にやられると標本がぼろぼろになるだけでなく、死骸は蜱アレルギーのもとにもなり、興ざめどころか、てな感じです。
 飼育してた芋虫や毛虫がようやく蛹化して、いまかいまかと成虫が出てくんのを待ってんのに一向に羽化せず、蛹のまんま死んじまうこともある。また、蝶の幼虫を飼ってたはずなのに蛹から蜂が出てきてびっくりしちゃうなんてこともある。姫蜂ひめばち繭蜂まゆばちといった寄生蜂のしわざで、どの蛹からもこやつが続々登場したら、そりゃあ興ざめでしょうが、でも、よく見るとかわいい蜂なので、こやつをそのまま標本にする。
 最近は採らずに撮るだけでも虫屋といったりするそうです。そんで重たいカメラバッグをしょって野山に出かけ、いざ撮ろうとしたらバッテリー切れ、なんてことをやらかすまぬけもままありまして、そんなときにかぎって、まだ撮影したことのない虫がいたりするもので……。

1 件のコメント:

  1. 【現代語訳】
    興ざめなのは夜に鳴くセミ、それから冬のカ。三月、四月ころの黒いベニシジミ。コナダニがたかってぼろぼろになった昆虫標本。いつまでたっても羽化しない蛹。蝶の蛹から寄生蜂がぞくぞく出てくること。自分で採らずに買うだけの昆虫愛好家。撮影に出かけたのにデジカメのバッテリーが切れてて、ましてそんなときにめずらしい虫がいたりしたら、ほんとに興ざめだわ。

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