しばしお待ちを...

2013年1月2日水曜日

蟲雙紙 016 「おひさきなく…」/ 風花銀次

 蟲雙紙〈十六〉       風花銀次

おひさきなく、まめやかに、せまき世間のみ見てゐたらん人は、いぶせくあなづらはしく思ひやられて、なほさりぬべからん人のむすめなどは、蟲をとらせ、世のありさまを俯瞰させならはさまほしう、蟲屋などにてしばしもあらせばや、とこそおぼゆれ。
蟲とりする人をば、ばかばかしうわろきことにいひおもひたる男こそ、いとにくけれ。げにそもまたさることぞかし。いとうつくしき鱗翅目をはじめつかまへ、鞘翅目、半翅目、膜翅目、雙翅目、蜻蛉せいれい目はさらにもいはず、なれど知らざる蟲は多くこそあらめ。身近き蟲ども、山ふかくすむ蟲ども、止水性、流水性の蟲、粒よりもさき蟲まで、いつかはそれをみとめたりし。
蟲とらぬひとは、いとさしもやあらざらん。それもあるかぎりは、しかさぞあらん。
とりたる蟲を殺め標本にしたるに、こころにくからずおぼえん、ことわりなれど、とるる蟲のうつろひて、をりをり仲間つどひ、とりかへむとやりとりするも、よろこばしからずやはある。さてこもりゐざるは、まいてめでたし。知らぬ蟲のことなど、ひとに問ひきくをはぢず。心にくきものなり。

 結構なご趣味ですね、なんて口ではいいながら、腹の底では「いい年して虫をおっかけまわして、ばかじゃね」と思ってる男の人は少なからずあるようです。俳句をやってるというと「風流ですね」なんて紋切り型を述べる野郎はだいたいそんな手合い。
 縁なき衆生だと思ってるんで腹も立ちませんけども、これが、おねえちゃんなんかの場合、いい年をして虫をおっかけまわしてる男には「少年みたい」なんて愚にもつかないことをぬかします。褒め言葉だとでも思ってやがんのか。
 まあ、自分の理解できないことに熱中してるやつのことは子供扱いするか変態扱いするか気違い扱いしてればらくちんで、「能や狂言が好きな人は変質者」なんていった幼稚なばかが市長をやってるご時世だけれども、そんな、どっかの市長さんのようなおねえちゃんたちのことも縁なき衆生だと思ってます。
 てか、そんなのじゃなくても、おねえちゃんに縁なんかねえけどな。
 はい、あたしゃ男なんで、こんなもんですみますが、虫めづる姫君(のなれのはて)たちは、さらに、もっと多くの好奇の目にさらされるようです。
 そんで、縁なき衆生のことをあれこれいうのもなんなんですが、ちょいといわせておくんなさいよ。
 先に述べた「少年みたい」という台詞についてで、女性にょしょうてものは、全体に男よか女のほうがおとなだと思いたがる傾向があるようなんですが、ありゃ、いったいなんなんでしょうか。あたしゃ「女のがおとなだあ」なんて思ったことは一度もなく、男だろうが女だろうが「おとなかどうかは人による」てのがあたりきだと思う次第。
 そもそも、市場原理(最小公倍数)と個人的事情(最大公約数)でしかものごとを考えらんないような、世間てものの中だけで生きてるような奴がおとななわきゃあない。もちろん、そんなのは男にもたくさんいる。てか、そんなののほうが多い。もともとはそんなじゃなくても飼い馴らされちまうようです。
 男を最初に飼い馴らそうとするのは、多くの場合おっかさんですが、大事な息子の危機におやじはなにやってやがんでしょうね。なにやってるって、とっくに飼い馴らされちまってるんですね。
 だがしかし、ちょいと待て。
 つらつら考えるに、やつらは、もしかして生活に長けてんのがおとなだっていいてえのかもしんない。ヴィリエ・ド・リラダン伯爵みたく「生活? そんなものは召し使いに任せておけ」なんていっちゃうのは、おとなじゃないって、そういやいわれたことがあったような気がするよ。
 とどのつまり、おとなてえものは「大人たいじん」や「」なんてのとはまったくちがう、ちんけなしろものなんでしょうね。
 そんならそれで、あたしゃ、おとなじゃなくていいや。むしろ、おとなになんかなりたくないね。大人たいじんになりたい!
 てなわけで、サワッディーカップ!

1 件のコメント:

  1. 【現代語訳】
    将来の展望もなく、せまい世間に必死でしがみついてるような人たちは、うっとうしくて、軽蔑しちゃうんだけど、それなりの人の娘なんかには昆虫採集でもさせて、世界を俯瞰する訓練をしたほうがいいし、しばらくのあいだでも虫屋(昆虫愛好者)にならせたらいいのに、と思うわ。
    昆虫採集する人のことを、ばかばかしいくだらないこをやってると思っている男の人って、ほんとに癪に障る。それは、そういうところもあるでしょうけど。とても美しいチョウ目にはじまって、コウチュウ目やカメムシ目、ハチ目、ハエ目、トンボ目などなどを捕まえ、それでも知らない虫は、まだたくさんいるでしょうね。身近な虫、人のあまり行かない山の奥に棲む虫、止水性や流水性の水棲昆虫、ケシ粒よりも小さな虫、それらすべてをいつかは見つけることができるかしら。
    虫に興味がない人は、思いもよらないでしょうけど、虫屋ってそういうものよ。
    捕まえた虫を殺して標本にするのに罪悪感を感じるのはもっともだけれど。でも、とれる虫って場所により時により違うものだから、たまに仲間で集まって標本の交換を交渉したりするのが、楽しくないなんてことあるかしら。それに家に閉じこもっていないのは、とても素晴らしいことよ。知らない虫のことを仲間に尋ねたりするのも、ちっとも恥ずかしいことじゃないわ。それって、心憎いわよね。

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