蟬の脱け殻をうつせみというが、語源は現人 で「この世の人」といったような意味。空蟬と宛字して蟬の脱け殻の意になったのは平安時代以降とのことだ。 蟬が羽化して飛び立つさまは登仙に喩えられたりするから、終齢幼虫はなるほど現人にちがいないが、それにしても空っぽの蟬との宛字を発明した御仁は、きっとリアリストだったんだろうね。少なくとも現人(古くは「うつそみ」と読み、さらに古くは「現 臣 」)の語源として現身 をでっちあげた近世の国学者のほうがよほどロマンチストだと思うよ(まれに現身を空蟬の語源とするちょぼいちがある)。 ところで羽化登仙には「酒を飲んで気持ちよくなっちゃう」なんて意味もあって、俗物でも毎晩登仙できるんでありがたい。 はい、掲出句について。終齢幼虫も成虫も一糸まとわぬ裸体です。おべべなんざ着ちゃいませんからね。裸体を脱いで裸体が出てくるなんてのはあたりき。 俳句・文◎風花銀次
2012年8月25日土曜日
ほそみ×銀次 Graptopsaltria nigrofuscata
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